魔法の粉

 サーニャとシルファが悲鳴をあげていた翌日。丸1日頑張ってくれた二人ですが、翌日に疲れを残すようなことはせず、きびきび働いてくれました。


 本日は金曜日、学園の授業が午前しかない日です。そのためお嬢様は早くにご帰宅され、翌日の茶会の準備をするのが毎週の日課となっておられます。


 お茶会は主催のセンスが問われる大切な場の一つです。そのためお嬢様はお出しになられる紅茶やお菓子は勿論のこと、場のセッティングや茶器など全てのことに目を向けご準備をなされます。


 そのため現在、お嬢様は明日の会場となる本館庭園のお茶会スペースにて、お着替えもならさず制服のまま、並べられたお菓子や紅茶を吟味しておられました。


「明日はアジュレが来るからしっかり準備なさい!アジュレはチョコレートやケーキよりも焼き菓子の方が好きだから、当日はフィナンシェやクッキーの方がいいだろうし…茶器はどれにしようかしら。」


 前半は侍女たちに、後半は独り言のように呟くお嬢様は、うきうきと準備に取りかかっておりました。自分の美的センスを惜しげもなく披露できる場はそうはありません故、楽しみでならないのでしょう。


 いくつかご用意をしていた茶器を眺めながら、ふとお嬢様は後ろに控えていた私へと、振り返りました。


「ねぇ、レイ。もしかしてあれはあなたが作ったのかしら。かわいいじゃない。」


 あれ、と指を指されたのはレイアウト見本用に皿にのせられたマフィンでした。チョコレート生地のマフィンの上には真っ赤なストロベリークリームが絞られ、星が飾られている可愛らしいデザインです。


 しかしパティスリーで出されているものとは違い、手作り感の強いものでしたので、気になられたご様子。当日お出しする予定の焼き菓子と同系統のお菓子のため、見本で飾るよう予め準備していたものです。お嬢様でしたら必ず気づくと思われました。


「いいえお嬢様、それは私が作ったものではありません。昨日サーニャが作ったものです。」


 お嬢様は青い茶器を眺めながら、驚くこともこちらに目を向けることもなく小さく笑いました。まるで信じていないご様子で、冗談でも聞いているような態度です。


「レイ、そんなバレバレな冗談はやめてちょうだい。サーニャが作れるわけないじゃない。」


「お嬢様、シルファに確認してもらってもよろしいですよ。」


 途端にお嬢様の目の色が変わりました。シルファは料理に関して嘘をつくことは絶対にありません。彼は料理を愛し、その熱意のあまり度々旦那様と衝突することすらあるくらいですから。


 彼に確認するという言葉自体、事の信憑性を格段にあげることができます。…私がお嬢様に嘘をつくことはないのですけれど、信じてもらうにはこの方が早いのです。


「“あの”サーニャがこれを作ったっていうの!?」


 お嬢様が驚かれるのは無理のないこと。サーニャの料理で起こったあの惨事を、お嬢様もよくご存じですから。


 私が静かに頷くと、お嬢様は茶器を置いて歩き出しました。そのお顔は憤慨なされたような、悔しそうな、複雑な表情です。


「ちょっと厨房に行くわよ! 」


「かしこまりました。」


 茶会のセッティングは概ね終わっておりましたので、後の準備を侍女に任せお嬢様の後を追いかけます。


 お嬢様の今のお気持ちは、手に取るようにわかります。


“料理下手のサーニャにできて私にできないなんてあり得ない。”


 そうお考えなのでしょうし、そう思えるようにある程度お菓子のクオリティをあげさせたのです。


 おかげでうまくお嬢様を厨房へご誘導することができました。サーニャとシルファの頑張りの成果です。


 お嬢様は庭を抜け厨房へ向かう最中、立派に咲き誇ったチューリップやアネモネが咲き乱れた小道を抜けられました。この区画は比較的赤やオレンジといった暖色系の花を揃えているため、全体的に明るい色が目立ちます。


 花たちの上を、その赤など霞んでしまうほど、美しく輝く深紅の長髪が靡いて過ぎていきます。まるで空すらも赤くなってしまったと錯覚してしまうほど、お嬢様の回りは一色に染まっておられる。その光景は、世辞なしに素晴らしい光景です。まるで、絵画のよう。


「あら、きれいに咲いているわね。明日の茶会でブーケにして飾りましょう。」


「かしこまりました。」


 お嬢様は、アネモネの花を指差して私へと告げます。明日のために準備するようクレゼスに伝えておきましょう。彼はブーケを作るのも得意で、いつも立派なものを見繕ってくれます。


 赤はお嬢様のお色、庭のこの区画はクレゼスがお嬢様のために用意したものですから。花を使うと言えばきっと喜ぶでしょう。


 そうしてようやく、本館の厨房へたどり着いたわけですが。そこにはシルファとサーニャがすでに準備を済ませてお嬢様をお出迎えしておりました。


「サーニャ!ちょっとなんなのあれっ!? なんで貴女がカップケーキなんて作れるのよっ!」


「はわわわっ」


 今にも掴みかからん勢いで迫るお嬢様に、サーニャはさっと身を翻して避けてしまいました。いつもの防衛反応ですね。


「一体どんなずるをして作ったのかしらね!シルファ!ほんとにあれサーニャが作ったわけ?今ならまだ悪い冗談と聞き流してあげてもいいわよ!」


 どうしても信じたくないお嬢様の目が、今度はシルファへと向けられます。困ったように頬をかく彼は肩をすくめておりました。


「本当ですよお嬢様。特訓に付き合わされたの僕ですから。」


「ありえないっ!サーニャに作れるなら私にだって作れるわよ!今すぐ材料を持ってきなさい!」


 お嬢様のプライドに火がついたのか、とっさの指示に給仕たちが慌てふためく…わけもなく、素早く小麦粉などの材料を揃えていきます。事前にこうなることは伝えておりましたから、準備は万端です。


 簡易エプロンを身に付けられたお嬢様は髪を束ね、昨日サーニャがしたようにレシピのみでマフィンを作り始めました。


 元々厨房に立つことすらないお嬢様でしたので、四苦八苦しておりましたが、一時間後にはマフィンを焼き上げました。


 サーニャが壊滅的すぎるだけで、マフィンは決して難しいものではありません。慣れればお嬢様でもお作りすることはできます。


「ふんっ!どうよ!サーニャより早く作れたんじゃない?」


 オーブンから出てきたマフィンをみて自信満々そうなお嬢様とは反して、サーニャはとても気まずそうにしていました。なんとも言えない微妙な空気が流れます。見ると、シルファも苦笑いを浮かべておりました。


「えっと…。」


「お嬢様、サーニャは30分程度で完成させましたよ…。」


「はぁっ!?」


 二人の言い分にお嬢様はわなわな震えております。何せお嬢様の製作時間の半分で作ってしまったというのですから、当然と言えば当然です。


「あはは…うん、レイさん。そろそろ種明かししないとお嬢様怒っちゃいますよ?」


 助け船ほしさにシルファが私へと目を向けました。確かにそろそろ頃合いですね。


「やっぱり何かズルしてたのね!!」


 シルファに続いてお嬢様のお美しい黄色い目が突き刺さります。敵意むき出しですが、そんなお嬢様も子供らしくて可愛いくらいです。


「ズルというわけではありませんお嬢様。ただお嬢様もあるものを使えば、すぐにお作りになられるかと。」


「なによそのあるものって!焦らさないでさっさと出しなさいよっ!」


 口をへの字に曲げ不服げに声を荒げるお嬢様へ笑いかけます。手で指示を出すと、サーニャが手のひらサイズのジャム瓶を持ってきました。


「さぁお嬢様。こちらをお使いください。」


 私に言われるまでもなくサーニャから瓶を引ったくったお嬢様は、すぐに瓶の中身を空けてしまいました。辺りにふわりと、白が舞い上がります。


「きゃっ!? な、なによこれ…。」


 煙が晴れてから改めて瓶の中を確認したお嬢様は首をかしげます。


「魔法の粉でございます。」


 これが改良の末あみだした、対ぶっくかふぇ流行の要。そのお披露目です。


 しかしこれが後に「ケーキ粉」と言われ、民衆の間で大流行するなど、この場にいた誰も知るよしはありませんでした。

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