旦那様

 朝6時半。まだお嬢様がお目覚めになられていないころ。通常旦那様のお見送りで正門まで向かうはずですが、本日はお部屋の方へ呼び出されました。


 呼び出しの件など、想像がつきます。昨日のお嬢様の騒動でしょう。


 まだ陽が昇らぬ薄暗い廊下を歩き、一際大きな扉の前へ歩み寄ります。ここは、旦那様の書斎です。この時間旦那様は書類に目を通すため書斎にいることが多いのです。


「おはようございます旦那様。レイでございます。」


 数回のノックの後名乗り出ましたが、返答がありません。暫くしてから、入れと声が聞こえ扉を開けました。


 入室すると、まだ薄暗い書斎の中央で旦那様が仁王立ちされておりました。人に圧力をかけるその姿はまさしく、お嬢様とそっくりです。お嬢様は旦那様に良く似られております。悪い意味で、ですけれど。


「朝早くに悪いね。実は昨日、レベラル伯爵から小言を言われてねぇ。いやはや驚いた。エリザベルが服を燃やしたそうじゃないか。」


 豪快に笑っている旦那様でしたが、その目は一切、笑っておりません。威圧的に、私を見下していらっしゃる。何をしているんだ、そう思っていらっしゃるのでしょう。顔に書いています。


 ……旦那様は、私にお嬢様の世話を丸投げしていらっしゃいますから。ちゃんと面倒を見ろ、と言うことでしょう。全くもって、都合のいい人です。お嬢様が騒ぎを起こしたのも、貴方のせいだと言うのに。


「少し金を握らせばすぐに黙ったからよかったものの。全く……もうすぐマリーの社交界デビューだと言うのに問題を起こされては困る。君がしっかり見ていてくれたまえ。」


「かしこまりました。」


 どうやら事態の収拾に旦那様も影ながら動いてくださったご様子。


 しかしお嬢様よりマリー様の方が大事だと、隠しもせずおっしゃっている姿は、一人の父親として恥ずかしくないのか疑問を抱いてしまいました。


 正直に言うならば、癇に障りますし、不愉快です。


 お屋敷の当主として旦那様は素晴らしい才覚の持ち主です。ルクシュアラ家をまとめあげ、信頼も厚く、常に周りを見てルクシュアラ家をより大きく繁栄させようと尽力なさっていらっしゃる。当主としてはとても立派で尊敬できるお方です。


 しかし一人の父親としては……最低です。

 娘に無頓着なのも度が過ぎて、虐待に近い。当主としての才能を、どうして娘に使わないのか。もう少しお嬢様を見てくだされば、お嬢様の心の傷も、幾分かましになったはずなのに。


「そう言えば、昨日の朝はずいぶん騒がしかったな。君もいなかったし。またエリザベルが何かしたのか? 」


「学園の出し物について、旦那様にご相談したかったそうです。」


 直談判の話もどうやら耳にされているご様子。下手にごまかさず、ありのままお話ししましたが……旦那様は、軽く鼻で笑っておりました。


「そうか、相談か。多少のわがままは多めに見ているが、あの子もいい年だ。いい加減甘やかすばかりではいけないな……。」


 冷ややかな目が降り注ぎ、隠すつもりもない本音が透けて見えました。お嬢様が直談判されても……旦那様は聞く耳を持たないということです。


 どんな内容かも聞いていないと言うのに、検討することさえしない。旦那様は完全に、お嬢様を見限っておられる。


 なぜ、そこまでするのでしょう。私には、わかりません。


 お嬢様は、たしかにもうご結婚のできる年齢です。しかし、まだ16歳の子供でもあります。まだまだ、親の愛情に触れていたい時期。ただでさえ旦那様はお嬢様とほとんど交流されていないと言うのに、どうしてこのような仕打ちができるのか。


 長年お嬢様に仕えてきたため、旦那様のお言葉は許せないものがあります。そして同時に、お嬢様に直談判させてはいけないと、改めて決心がつきました。


 お嬢様に、心の傷を負わせるわけにはいかない。お嬢様は、父親からここまで愛想をつかされているだなんて、思っておりません。


 自分はまだ愛されている。心のどこかで、そう信じていらっしゃいます。だからこそ、わがままで父親の気を引こうとしているのですから。


「ご用件はそれだけでしょうか。」


「あぁ、もういいよ。ではまた見送りを頼むよ。」


「かしこまりました。失礼いたします。」


 決して悟られぬよう、淡々と変わらず挨拶をして部屋を出ました。ふっと、大きく息を吐き出します。


 なんとしても、策を期間内に成功させなければならなくなりました。1ヶ月を過ぎれば、お嬢様は直談判を強行される。


 そうなれば、お嬢様は深く傷ついてしまいますから。それだけは、なんとしても避けなければなりません。


 旦那様のお見送りはもう少し後ですし、厨房は今は朝の支度で忙しいですからまだ使えません。


 今すぐなにかできることは、ないのですが。どうしても気持ちに焦りが出てしまいます。


「……レイ。どうしかしましたか。」


 突然声をかけられ驚いて声のした方へと目を向けました。そこにはネグリジェ姿で寝室から顔を出す奥様……マリー様のお母様であられるアンネ様のお姿が。心配そうなお顔で此方に来ようとしておりましたので、慌ててお側へと駆け寄りました。


「奥様、おはようございます。」


「おはよう。レイ、なんだか顔色があまり良くないわ。あの人になにか言われたの?」


 どうやら書斎から出てくるところを見られていたようです。私のような侍女にも心配をなさってくださるのですから、心のお優しい奥様です。


ご安心させるため事のあらましを簡単かつ、服を燃やした等の騒ぎはできるだけオブラートに包んでお伝えすると、奥様も深いため息をこぼされました。


「全くあの人は。誰のせいでそうなったのか……本当にわかっていないのね。」


 お嬢様の真意を見抜いておられる言葉に、正直驚きました。あまりに突然でしたので、そのまま顔に出てしまい奥様は小さく笑っておられます。


 奥様とお嬢様はあまり仲はよろしくありません。いえ、正確に言えばお嬢様が奥様を遠ざけており、冷たい態度をとってしまっているのです。そのためか奥様も、自分からお嬢様に近づくことはなくなりました。


 てっきり奥様もお嬢様に無関心なのかと思いきや、そうではなかったご様子。少なくとも、旦那様よりは気にかけていらっしゃるでしょう。


「幼い頃に突然、母親の代わりでやって来た血の繋がりのない女に、愛想良くなんてできないわ。あの子も年頃ですもの、余計に関わりにくくなってしまったわ。良かれと思ってあえてこちらから近づきませんでしたが……もう少し関わりを持てていれば、独りぼっちにはならなかったでしょうに……。」


「奥様……。」


 お嬢様と奥様は、言わば赤の他人。前妻が生んだ子だとわざと疎遠になさっているのだとばかり思っておりました。年齢上、反抗期を迎えていたお嬢様の負担にならないようあえて距離をとっていた奥様は、今になって距離の縮め方がわからなくなってしまったのです。


「レイ、わたしがこんなことを言うのはおこがましいけれど……どうかエリザベルを守ってあげて。例え血が繋がっていなくても、私の娘なの。本当は、私が側に居なければならないのに……ダメな母親ね。こんなときどうすればいいのか、全然わからないの」


 私の手をとり真剣に頼み込むその姿は、まさしく我が子を守ろうとする母親の姿そのものでした。しかしお嬢様との接し方がわからず、苦悩しておられる。


 お嬢様は奥様との関係修復を望まれておりません。だから私に出来ることはないのですが……。出来ることならば、お二人が親子に戻れるお手伝いをしたい。


 奥様が手を離してくださるのを待ってから、深々と頭を下げました。


「必ず、お嬢様をお守りいたします。」


 奥様に、そして自分への決意表明。例え何があっても、どんな形になろうとも。お嬢様には笑っていてほしいですから。


 そのためには、今日中になんとしても、【あれ】を完成させなければなりません。今回の策の肝となるのですから。失敗は許されません。……多少無理をしてでも、サーニャとシルファには頑張ってもらわないと。


 薄暗い廊下に上った朝日が差し込んで、少しだけ明るくなっていきます。ようやく、夜が明けました。


 ……さぁ、今日も仕事の始まりです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る