お嬢様のご帰宅

 別館からバラのアーチをくぐり、本館のお庭を抜けて再び正門へ。すでにゲルドルトと執事たちが集まっていました。


「おやおや、お帰りなさいレイ殿。今朝よりもお美しくなられておりますな。」


「ありがとうゲルドルト。セルビリアにしてやられましたの。」


「ほっほっほ、相変わらず手加減がありませんなぁセルビリア殿も。」


 メイクに気づいたゲルドルトと軽いやり取りをしている間に、サーニャや他の侍女達が集まってきました。


「あ、レイさんお帰りなさい!あわわ、なんだかとってもきれいです!」


 サーニャも私を見つけて開口一番の台詞がこれです。ゲルドルトが小さく笑っておりました。


「セルビリアの仕業よ。さ、もうすぐお嬢様のお帰りです、準備なさい。」


 遠くで馬車の音が聞こえてきます。皆、門の左右に別れて綺麗に整列しお嬢様のお帰りをお待ちしておりました。


 見事な馬車が正門の前へぴったりと止まると、馬車の御者のエスコートを受けお嬢様が現れました。


「「お帰りなさいませ」」


 斜め45度の乱れぬお辞儀と声を受けお嬢様がご帰宅なさいました。


「えぇ、ただいま。疲れたから先にお風呂に入りたいわ。準備しておいてくれる?」


「かしこまりました。」


 お嬢様がお通りになられてから侍女たちは元の持ち場へと戻っていきます。その後をリーリアが追いかけて、私とお嬢様の後ろについてくるのがいつもの流れです。


 いつもでしたらここで食事になるのですが、お嬢様のメイクがほんの少し崩れておりました。セルビリアは長時間崩れないメイクをモットーにしているはずですから、なにか激しい運動をなさったのでしょうか。


 ちらりと後方のリーリアへ目を向けましたが、ずいぶん疲れた様子です。私のアイコンタクトに気づいたのか、苦笑いを浮かべました。


 …間違いなく、何かあったのでしょう。


 サーニャに先にバスルームの用意と、厨房に夕食が遅くなる旨を伝えさせ、お嬢様のお荷物をもってお部屋へとご案内いたします。


「あら、レイ。どうしたの。今日はメイクなんてして。」


 さすがはお嬢様。真っ先に私の変化に気づき見上げておられます。気恥ずかしさはありますが、決して顔に出さぬよう冷静に努めます。


「少し街へ入り用でしたので、その際セルビリアにメイクを施してもらいました。」


「あらそうなの?街に来たなら学園にもよりなさいよ!いいもの見せてあげられたのに。」


 無論学園は関係者以外は立ち入り禁止ですので、私のようなものがはいることはできません。冗談のおつもりでしょうが、お嬢様はどこか楽しそうです。


 反対に後方からは深い深いため息が溢れております。お嬢様のこの上機嫌な様子は、なにかしら関係があるのでしょう。


 会議までリーリアは休ませてあげましょう…。


「街に行ったってことは、お土産はあるんでしょうね?」


「えぇ、もちろんでございます。お嬢様御用達のパティスリー“ハニームーン”で一番人気となっているオペラケーキを購入しております。途中、チョコレートに合う紅茶も見つけましたのでぜひご賞味ください。」


「オペラね!運動してお腹減っていたからちょうどいいわ!紅茶とケーキは自室に持ってきてちょうだい。」


「かしこまりました。」


 お部屋にたどりつきお荷物を片付けます。お嬢様のお部屋には専用のバスルームが完備されておりますが、館にはそれとは別に大浴場もございます。お帰り後は夕食をとったのちそちらに向かわれますが、本日は大浴場の方が先のようです。


「それじゃ、何かあったら呼ぶわ。」


「かしこまりました。どうぞごゆっくり。」


 お嬢様が大浴場へ向かわれる姿をお見送りして…やがてそのお背中が見えなくなったとたん、リーリアはまるで糸が切れた人形のように座り込みました。


「つーかーれーたぁぁ!!」


 廊下に座るだなんてはしたないことですが、リーリアはお構いなしです。膝に顔を埋めて小さく叫んでいました。


「お疲れさま。内容は定例会議で聞くから、少し休んでちょうだい。」


 定例会議まで時間はありませんが…それでもずいぶん疲れきった顔をしていますから、少しは休ませてあげないと。そっと彼女の頭を撫でると、青い目がこちらを見上げました。


「もうほんとーにぃ、レイさん街に来てたなら学園にも来てくださいよぉ…。」


 差し出した手をとって立ち上がった彼女もまた、お嬢様と同じことを呟いておりました。しかし今回は冗談ではないようですね。


「私は部外者だからはいれないわ。学園内のことをすべて貴方に任せてしまって、ごめんなさいね。」


「私しかできないんでぇ、いいですけどぉ。ボーナスくらいだしてほしぃで……あれ?」


 諦めたようにぼやいた彼女が、なにかに気づき言葉を止めました。その手に、青いリボンが乗せられていたからです。先程手を握ったときに忍ばせておきました。


「街へ行ったときに見繕ってきたわ。リボンがほしいといっていたから。」


 彼女の瞳と同じ淡い青色のリボンには、ウサギのシルエットが刺繍されています。確かリーリアはウサギが好きだと記憶していたので、それを選んだのですが、どうやらとても気に入ってくれたようです。暗い影のあった顔がとたんに明るくなりました。


「これぇ、ほしかったやつですぅ!いいんですかぁ!?やったー!レイさんセンス抜群ですぅー。」


「喜んでもらえてよかったわ。」


 子供のように…いえ実際まだ16歳の子供ですけれど、跳び跳ねて喜ぶ様子は微笑ましいものです。普段なにかと面倒くさがりながらも仕事をこなしてくれる彼女に、ささやかなプレゼントのつもりでしたがこんなに喜んでもらえるとこちらも嬉しくなります。


「ボーナスの件は、今日の報告を聞いた後に考えるわね。」


「っえ、いいんですかぁ!?」


「頑張る部下を労うのも上司の勤めよ。さぁ後のことは私とサーニャに任せて少し休みなさい。貴方今酷い顔よ?」


 はぁい、と間の抜けた、しかしどこか楽しそうな返事をしたリーリアは別館の自室へと向かっていきました。


 大浴場へはサーニャをつけましたし、見たところお嬢様のご機嫌も良いようです。暫くは問題は起きそうにないでしょう。


 私は私で会議の準備をいたしましょう。主要メンバーのほとんどには声をかけてありますが、まだ一人だけ知らせを届けていない人物がおります。


 マナー講師のルージュです。彼女は今は主にマリー様の社交界デビューのため付きっきりで講師をしています。


 恐らくしばらく会議に参加するのは難しいでしょう。それどころではないでしょうから、すれ違った侍女に言伝てだけを頼むことにいたしました。


 さて、通常会議はお嬢様のご入浴時に行われますが、本日は夕食と入れ替わっておりますので、お嬢様のお食事時に執り行われます。


 残り29日でお嬢様のご要望を叶えなければなりません。対策の指針は本日決まることでしょう。

 思いの外、重要な会議になりそうです。


「皆さんの集められた情報がどこまで役に立てるか…。」


 本館を後にして、別館へ向かいます。

 さぁ、策略思考の始まりです。

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