本と話好きが集まる場所

 …なぜ、こうなってしまったのでしょうと考えながら、木目の美しいカウンター席に座っておりました。


 ここは件の本喫茶、ぶっくかふぇ。

 現在は準備中の時間のため、店内にお客様はおりません。


 広い店内は四方を本棚に囲まれ、さらに二階は客席より本棚が多い作りとなっております。至るところに本が並べられ、まるで書斎のようです。


 カウンター越しには先程助けた女性…もとい、ぶっくかふぇオーナーのヘンリーが何やら準備をしているようす。カウンター越しに座っていては、彼女の姿を見ることはできても、手元を見ることはできません。


 辺りには何やら嗅いだことのない独特で、しかしどこか空腹を誘う香りが漂っています。なにか、準備しているようですね。


 彼女を助けたお礼に、もてなしをさせて欲しいといわれたので。偵察先でしたし思わずついてきてしまいましたが…。


 お陰さまで人気の理由がわかりました。と言うのも、先程から私はヘンリーと本の話ばかりをしています。


 読書とは一人でするもの。また物語はあまたに存在致します。しかし本を読むスピードや読書の時間は様々で、面白い本を読んだところで、誰かと話を共有することはありませんでした。社交界ですら、お話のネタにすこしくらい挟む程度です。


 読書自体は庶民にも愛される娯楽のひとつですが、どちらかといえばマイナーなものでした。


 その理由のひとつに、書物の数にあります。ジャンルにもよりますが、このぶっくかふぇでさえ少なくない数の書物が並んでいます。


 この中から、自分が気になるものを探すと言うのは骨がおれます。これは自分の感性で面白い!と思えるものに巡り会うのは、なかなか難しい。


 たまたま読んだ本が面白ければよいのですが、感性によっては面白くないものもあります。自分の好きなものを見つけるのが大変、と言うのが読書の人気のなさに直結していました。


 しかしぶっくかふぇは違います。ここは、本が好きな人たちが集まる場所。また図書館と違い、自由に話をすることができます。必然的に書物の情報が集まるのです。


「レイさんは歴史書やエッセイがお好きなんですよね?それなら「エルミーの細道」なんておすすめですよ!各地の歴史に触れながら少年が思うことを手紙のように綴ったエッセイ本で!」


 人によって読んだことのある本の数は違いますが、このように自分のおすすめを誰かに紹介することもできます。


 人と言うのは不思議なもので、他者の推薦があれば例え自分が知らないものでも、ある程度期待を持って手にすることができます。


 そのため書物の情報が集まる場所は、必然的に本を手に取らせているのです。セルビリアが最近メロドラマの書物が流行っている、と言っていたのは話の話題にしやすいからでしょう。


 ここは庶民向けに建てられたものですが、品格のある貴族専用の本喫茶もオープンしています。そちらはたしか、すべて完全防音の個室になっているとか。


 普段はできない下世話なお話も、本を交えて存分にできるでしょうね。


 ここは人の話は筒抜けになってしまいますが、その分情報が入ってきます。ふとしたところで名作に出会える可能性は、こちらの方が高いでしょう。


 そうしたお宝探しのような感覚が、人々を魅了しているようです。また同じ物語について熱く語ったりといった交流ができるのも楽しみのひとつでしょう。


 しかし一番の人気は…おそらくヘンリーですね。彼女は女性の中でも「美しい」「綺麗」といった形容詞をつけても差し支えないほどの美貌です。


 整った目鼻に、ふんわりとウェーブをした茶色の長髪。黄みを帯びた頬にはそばかすがありますが、それがまたチャームポイントになっております。


 絶世の美女とは美しさのあまり人を寄せ付けませんが、ヘンリーはどこか親しみやすいため彼女のファンはたいへん多いことでしょう。


 もちろんそれだけではありません。彼女の本に対する知識は相当なものです。なにせ、店の本は全て読破し、ほとんど覚えているのですから。


 今のように話をしているだけで、好みの本を探し当ててくれるのです。宝探しと言いましたが、彼女に聞けば基本的に外れはないでしょう。


 安心して本を選べる、と言うのも火付け役となったのでしょうね。


「本当にすごいですねヘンリーさん。すぐにお薦めの本を言えるだなんて。」


「いえいえ、本のことしか取り柄がないもので…。」


 ぶっくかふぇには様々な国の物語が集められております。ヘンリーのお父上が貿易商のため、彼女自身も最近まで各国を回っていたそうです。


 そのため国独自の食文化もカフェメニューに取り入れているとのこと。本以外でも、客の胃袋を掴み軽食店でも成功を納めています。


 今はその新作を賞味させてもらえるとのことで、カウンター席で本を読みながら待っておりました。読んでいるのは料理本でしたが、彼女に教えていただいた本も、今度読んでみましょう。


「お待たせしました!」


 笑顔を向けながら差し出されたカップが、カウンター席へ姿を現します。白いスープカップには茶色いスープと、これは…海草でしょうか。それを刻んだものが浮かべられています。


 香りは先程から店内に流れていたもので、塩気のあるもののようです。


「これは…?」


「はい!東の国の庶民食である“ミソスープ”です。発酵させた豆で作ったミソと言うもので作られています。」


 説明を受けましたが、理解が追い付かずそのミソスープと彼女へ交互に目を向けてしまいました。私の知っている発酵とは、パンの酵母を膨らませるための行程でしたので、お恥ずかしながら、豆が膨れ上がったのかと想像してしまいました。


 あとで調べましたが、それが東の国に伝わる特殊な調味料であることを、この時まだ知りませんでしたので。


 独特な香りと色に戸惑いましたが、笑顔のヘンリーの手前、そして作っていただいたものを食べないと言うのは作り手に失礼です。


「それでは、いただかせていただきます。」


 スプーンでまずスープだけを掬い上げ、口へと運びます。舌の上で滑るようにして喉へと流れ、深みのあるコクと塩辛さが後を引きます。豆が主成分と伺っていましたが、それにしては香りも味も全くの別物。


 すこし塩辛く感じたため、次は海草と共に食すとほどよく塩気が海草に絡み、味の変化を誘います。


「ど、どうでしょう…?」


 無言で何口か食べている私の様子を窺うように、ヘンリーは身を乗り出しておりました。


 私が侍女をしていることは話しておりますから、そうした観点から是非感想がほしい、とはいわれております。そのため、世辞のない意見にしようとは思いますが…如何せん、食べたことのないものでしたので判断に迷いが生じます。


「お味は悪くありません。ただ、独特の塩辛さが舌に残ってしまいます。あとできっと喉が乾いてしまいますから、もう少し薄味にするか具材を増やした方がよろしいかと。」


 ただ率直な意見をのべましたが、彼女は気を悪くするどころか、嬉しそうに瞳を輝かせておりました。


「やっぱり!お味噌の量がわからなくて、ちょっと味濃いかなぁって思ってたんです!自分一人の味覚じゃ判断できなくって。」


 ヘンリーはお水を差し出してくれました。すべて完食したのち、ありがたくいただきます。


 しかしながら…実は少々恥ずかしいのです。と言うのも、彼女からとても熱い視線を向けられていたからです。セルビリアのセンスですし、お化粧に問題はないと思うのですが…。


「っは、すみません!!」


 どうやらこちらの思考を感じ取ってか、顔を赤らめて視線がようやく外れました。…なぜ彼女も照れているのでしょうか?


「あまりにも、綺麗な人だなって…見とれちゃいました…っ。」


「私よりもヘンリーさんの方がお美しいですよ。」


 これは世辞ではなく本音です。私よりも一回りほど年下の彼女はまだ若く、美しい。


 いくらセルビリアのメイクがあったからと言えどと、見とれるほどの魅力は私にはないでしょう。


「そ、そんなことありません!さっき助けてくれたときもとっても凛々しくて…その、……に、似てて…」


「…え?」


 一瞬彼女の言葉が聞き取りにくく、首をかしげました。ヘンリーはすごく悩んだ末に、顔を真っ赤にさせて


「紅の戦場に出てくるラバハートにすごく似ていて!!」


 その瞬間の彼女の目は、尊敬やそういったものと言うより、憧れを帯びた光を宿していました。といいますか、先程よりずっと高揚しているご様子で身を乗り出しています。


 突然変わった彼女の態度に、困惑するばかりです。いったい、誰のことでしょう…。


「どちら様ですか、その方は…?」


 この質問のお陰で、後に私は思い知らされました。


 ……人と言うのは、好きなものに対して大変饒舌になる、ということ。

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