少しの危険と巡り合わせ

 お屋敷を出て、森の小道をひたすら歩いた先。遠くにクリーム色の街が見えてきました。


 随分距離はありますが、時計塔の鐘の音や大道芸の音楽が、ここからでも聞こえてきます。


 今日も街はとても、賑やかなことでしょう。今はまだ見えませんが、その内すれば海も見えるはずです。潮風がうっすらと、鼻腔を掠めます。


 せっかく街まで来たのです。お嬢様の好きなパティスリーのケーキを買って帰りましょう。あぁ、それからリーリアがリボンをほしいといっていましたから、それもみていきましょうか。


 そんな考え事をしていると気づけば街へとたどり着いていました。


 お国のお膝元、自由貿易都市、レディアンです。


 活気に溢れた市場には露店と人で溢れ、少し歩けば気品のあるブティックが立ち並び、横道にそれれば住居が立ち並んでいます。


 遠くから見えていた時計塔は、街の中心部に位置しており、さらにその奥には…山ひとつをそのまま敷地に納めた魔法学園、聖ルチアーノ学園がそびえ立っております。


 今まさに、お嬢様とリーリアはあちらで勉学に励んでいらっしゃることでしょう。


 市場やブティックにも用ができましたが、本日の目的はあくまで本喫茶の偵察。時間を無駄にしてはいけません。たしか、本喫茶は街外れの森にあると伺っています。


 賑わう人たちを横目に、本喫茶を目指し歩き始めます。きっと人気店ですし、入ることはできないでしょうが偵察くらいはできるはず。


 そう…思ったのですが……。


「…準備中…ですか…。」


 街外れ、といっても森に入ってすぐの比較的穏やかで明るい場所に「ぶっくかふぇ」はありました。


 二階建てウッドハウスに、二階にはテラスも完備しているご様子。想定よりもずっと立派な建物です。さすが今1番人気の店というだけあります。


 ブティックなどの高級感溢れる店も悪くはありませんが、こういったシンプルなデザインは庶民受けしやすいのでしょう。


 しかしそんなぶっくかふぇの赤い扉には、準備中の文字が下げられています。


 私としたことが、営業時間を調べ忘れておりました。本喫茶は軽食店であると共に読書もできますから、ティータイムに合わせて営業しているようです。


 しかし営業時間まで待っていては、お嬢様のご帰宅に間に合いません。


「仕方ありません、諦めますか…。」


 情報だけでしたら街中で聞いてまわれば、すぐに集められるでしょう。無駄足を踏むわけにはいきませんから、せめて持ち帰られるものだけでも、収穫していきます。


 そうして街に戻ったわけですが、市場は人通りが多いかわりに忙しないため、住居街へと立ち寄ることにしました。


 市場に比べればずいぶん静かな場所で、少し狭い道には時折、強い風が吹き抜けていきます。この度に、住居と住居の間に反アーチ上に干された洗濯物が揺れています。


 中には小さなベランダに鉢植えを並べている家もあります。住居街を抜けた先には海が広がり、カラフルな洗濯物が空と海の境界で、絶妙なコントラストを放っていました。


 市場と違いこちらは空が賑やかなご様子。


 ここならば人通りはまばらですが、足を止めてくれる方も多いでしょう。ちょうどお昼頃です、昼食の準備に戻る方がちらほら見えます。


 その中でも、とても大きな荷物を持った女性が私の横をすり抜けていきました。紙袋いっぱいに野菜や果物を詰めて抱えている姿は健気で、つい目で追いかけてしまいます。


 …いけませんね。お急ぎのようですし別の方に声をかけましょう。


 ーーゴトッーー


 ふと背後から音がしたため再び振り返ると、女性の荷物からジャガイモが転がり落ちていました。女性は気づいていないのか、足を止める気配はありません。


 落ちたジャガイモを拾い上げ、声をかけようとしたその時…。


 とある異変に気づきました。

 洗濯物のアーチの間で、妙にぐらついている鉢植えを見つけてしまったのです。強い風が吹けば、落ちてしまいそうです。


 レディアンは海に面していますから、洪水などから身を守るため、住居が高い位置に設けられることが殆ど。そのため鉢植えも相当な高さになっております。あれだと…お屋敷の三階の高さくらいでしょうか。


 そんなところから植木鉢が落下すれば、ひとたまりもありません。


 そして運悪く、ここは建物が壁となり、風の通り道になっている区画。そんなところに風が吹き込めば…。


 ービュォォ!ー


 風は限られた空間を一気に駆け巡り、その勢いを増します。


 案の定鉢植えが落下し、女性の真上へ降下していきました。


 ー危ないっ!ー


 幸いにも、女性と私の距離はそこまで離れていなかったこともあり、右手で彼女の手を掴み引き寄せました。左腕で抱き止め、左手で荷物を支え落下を防ぎます。…といってもずいぶんたくさん詰め込まれていたようでしたので、いくらかジャガイモやオレンジが転がってしまいました。


「きゃぁ!?」


 突然後ろから引っ張られてしまわれたのですから、女性は小さな悲鳴をあげています。悲鳴と同時に、落下した植木鉢が地面に激突いたしました。乾いた音と、ジャガイモやらが転がる音が響き渡ります。


「お怪我はありませんか?」


 状況がわからない女性をよそに、彼女に怪我がないか黙視確認をいたしました。どうやらわかるところには怪我はないようです。


 黙視確認と言うことで顔が近くなってしまいましたが、女性はまだぽかりと、呆けた表情で私を見上げております。


 怪我はありませんが、頬が赤く少し瞳に滴がたまっていました。咄嗟のことで驚かれたことでしょうから、無理もありません。


「え…っあ!す、すみません!!」


 女性は私の肩を押し避けるようにして離れました。足首の捻挫等ないか確認したかったのですが、あれだけ動けるのでしたら、心配はないですね。


 助けるためとはいえ見知らぬものに抱き寄せられれば、誰だって警戒するでしょう。彼女の荷物を差し出して微笑みかけました。


「危ないところでした。申し訳ありません、少し荷物を落とさせてしまいました。」


「…っ!い、いえ、こちらこそっ!!」


 まだ少し状況を飲み込めないのか、私をじっと見つめていた女性は我に返りました。


 女性に荷物を渡し、両手が空けば素早く落ちた野菜や果物を回収いたします。


 これでもお嬢様が散らかしたおもちゃを毎日片付けていたものですから、転がるジャガイモの回収などすぐに終わらせられます。


 なにせ、幼少期のお嬢様のお部屋はそれはもう、片付けがいのあるものでしたから。


 あっという間に女性の荷物を袋にしまい、あとには割れた鉢植えしか残っておりません。住居人が音に気づいて降りてきて、こちらに謝罪をしてから片付けておりました。


「助けてくださりありがとうございます。」


 改めて女性が頭を下げました。見たところ、二十歳を越えてそこそこのお若い方です。茶色のふんわりした優しい長髪が潮風に揺れて、海を背景にしていることもありとても綺麗に見えます。女性自身の美しさもあっての事でしょう。


 本当にお怪我がなくてよかった。


「いえ、たいしたことはしておりません。それではこれにて…。」


 私も会釈をして踵を返しました。女性は元より忙しそうに歩いておりましたから、邪魔をしては行けません。


 そう…思ったのですが…。


 なんと今度は、私が手を捕まれました。


「あ、あの…待ってください!!よければ、お礼をさせてください。今準備中で、たいしたおもてなしもできませんが…」


 女性は必死になって私を呼び止めようとしております。しかし、すぐに返事ができません。


 元々街に来たのは本喫茶の偵察のためです。せめて情報だけでも持って帰りたいため、お茶をしている時間などありません。


「申し訳ありません。私は調べものがありまして…。」


「調べもの、ですか…?」


「えぇ、最近できたぶっくかふぇと言う名前のお店なのですが…。」


 ここで女性から情報をもらえるならば貰いたいものです。それとなく探りをいれてみましたが…。


 なぜか、女性の瞳が輝きだしました。


「それなら是非寄っていってください!実際に見た方が早いと思いますし!」


「………え?」


 思わず女性を見つめてしまいました。だって、予想もしていない言葉が飛んできましたもの。


 実際に…ということは、もしや……?


「ぶっくかふぇは、私のお店ですから!」


 私が理解したことを察した女性は、にこやかに笑いました。


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