第4話 彼女の笑顔

 ミンミンミンミン。


 再び夏が戻ってきた。

 蒸し暑くて嫌になる季節だが、今回の夏は少し違う。



「よーし、綺麗になったな!」


 土曜日。

 今日は地域のボランティア団体と一緒に、町の清掃活動をしたのだ。

 僕は川の清掃のグループに立候補し、それが今終わったところだった。


 その他にも、地域の小学校や中学校の生徒がゴミのポイ捨て禁止ポスターを描いたり、地域貢献の授業の一環としてゴミ拾いをしたりしていた。


「あ、これは案なんですけど、この河川敷に花とか植えたら綺麗になりませんか?」


「どうやろうねぇ。そりゃ綺麗になるとは思うけど、大雨の時には浸水するから難しそうやね」


「あっ、そうですね」


 花には強いポイ捨て抑制効果があるため、ぜひとも取り入れたかったのだが。

 川の水位のことを失念していた。


「でも、それはこの川の話やからね。他で植えられるところが無いか探してみるよ」


「ありがとうございます!」


 川は見違えるほど綺麗になっていた。


 僕は、彼女の笑顔を想像してニヤニヤが止まらなくなった。



 彼女は、僕の気持ちに気付いているのだろうか。




****




「川が、綺麗になった......」


 この日、僕が彼女の側に行くと、彼女は憑き物が取れたかのような清々しい表情で川を見ていた。


「もっと綺麗になる。だって、み〜んなが川を意識し出したからな! ......もう、悲しくない?」


 僕が彼女を覗き込むようにして見上げると、彼女は一筋、涙を流し、今までに見たことのないくらい眩しい笑顔で笑った。


「ありがとう。あなたが私のために色々してくれたんでしょう? 川が、こんなにも綺麗に変わったわ!」


 彼女がくるり、と一回転をし、喜びを全身で表した。

 濡羽色の髪がさらさらと空を流れ、太陽の光を反射してキラキラと輝く。

 そして、泥水のように暗かった目は、今やその面影を感じさせないくらい、髪と同じようにキラキラと輝いていた。



 まるで、川のように。




「ありがとう。気付いてくれて。きっかけになってくれて」


「僕こそありがとう。頑張った甲斐があった......」


 泣くのは堪える。


 知らなかった。

 彼女に感謝されるのが、こんなにも嬉しかっただなんて。


 大好きな彼女。


 僕は決めた。

 明日、彼女に告白をしよう。


 だって、誰かのために行動をしたのは、彼女で初めてだったから。


 彼女がいない人生なんて、考えられないから。




****




 僕が告白を決めた翌日。


 その日から、彼女は姿を消した。


 初めは、たまたま来ていないだけかと思った。

 彼女とはその一年間ほとんど毎日会っていたけど、逆に言えば毎日会えたことがおかしかったのだ。

 その日はたまたま、何らかの事情で来れなかったんだと考えた。


 次の日も、その次の日も、その次の日も。

 彼女は橋に居なかった。


 朝早く行ったり、逆に夜に行ってみたりしたけど、結局彼女とは会えなかった。


 一人で川を見ていても、彼女が遅れてやってくるなんてことはなかった。



「......ぁ」



 川に、ペットボトルが一本、捨てられているのを見つけた。

 綺麗になった川だが、たまにこうしてゴミが流れつく。


 一瞬、嫌な考えが頭を過った。


 川を汚せば、彼女は戻ってきてくれるのではないか、と思ってしまったのだ。



「川を、汚す......」


 常備しているレジ袋をリュックから取り出し、川を見る。


 川を汚すのは簡単だ。

 この手に持っているゴミを、川に投げ捨てればいい。

 それだけで、環境破壊に貢献することができる。


 レジ袋を握りしめた拳が震える。


 川が汚れれば、彼女は戻ってくるだろう。

 戻ってきた彼女は、この古びた橋の上で、悲しそうな表情を浮かべながら、あの濁った目を僕に向けて、偽りの笑みを浮かべるのだ。


 彼女がいなくなるくらいなら、傷付けてでも、どんな手を使ってでも、側に......。

 そんな思いで心が埋め尽くされる。


 でも。

 

「そんなことっ、......できる訳、無いやろ......」


 堪えたつもりの涙が、頬を伝って橋に落ちる。

 一度流した涙は止まらず、僕は橋にもたれ掛かって静かに泣いた。


 彼女の笑顔が、僕の頭から離れなかった。




****




「元気無いやんか。どうしたん」


 放課後、前の席のクラスメイトが僕に話しかけてきた。


「別に」


 あまりこの話題に触れられてほしくなかった僕は、心配してくれたクラスメイトに、つっけんどんに答えてしまった。


「そんな悲しそうな顔しとって?」


「は」


 思わず顔を触ってみるも、自分ではよくわからない。


「何かあったら言ってな」


 クラスメイトは、そのまま僕に背を向けて教室を出ていった。


 僕は、それをただ見ていることしかできなかった。




****




“そんな悲しそうな顔しとって?”



 クラスメイトに言われた言葉を頭の中で反芻する。


「僕は、悲しんどったってわけ......?」



 僕はまだ、彼女が現れるのを待っている。


 あの日みたいに突然橋の上に現れて、何事も無かったかのようにまた、楽しく会話をするのだ。



 橋を渡り切り、昔、大名行列が通ったという歴史ある道を進む。


 日本の伝統の木造の家があると思えば、新しく建てられた今風の家もある。

 建築基準法によって、今では家を道路ギリギリに建てる事が禁止されている。


 古い家が新築の家と並び、ガタガタとした街並みを作り出していた。



 僕はその歪な道を通り、家へと向かう。


 錆びつき、ボロボロになった家や、いかにも由緒ありそうな石と立て札が立っている場所、住宅地の中にしれっと紛れている神社。

 半分折れ、オレンジ色に変色した広告が貼られた電信柱。

 その近くに立てかけられた政治の広告の看板。



 今まで真剣に見てこなかった道の様子が、今日はやけに目に留まった。


 車があまり通らないわき道に外れ、線路のトンネルの下を潜ると、そこからはもう今風の家が建ち並ぶ住宅街になっていた。





“そんな悲しそうな顔しとって?”




「......っ」




 急に視界が滲み、嗚咽がこみ上げてきた。


 事故を避けるために自転車を下りる。



「もう、会え、やん、のか......」



 待っていれば、いつかは会えると思っていた。


 でも、もう彼女はきっと、僕の前に姿を現さないだろう。


 本当は薄々気付いていたはずだ。

 それをずっと見ないフリをしていた。



 心にポッカリと穴が空き、逃げられない、どうしようもない気持ちで胸が引き裂かれそうになる。



「苦しいっ、苦しいよぉ......」



 求めても、手に入れることはできない。

 苦しくて、この気持ちから逃げたいのに、それを自分が許してくれない。


 すれ違った人にギョッとされ、こっちを見た子どもに指を指され、犬の散歩に来た人に遠巻きにされ、その犬にまで変な顔をされながら、僕はそれを気にせず、思い切り泣いた。


 この世で一番悲しいのは僕だと思った。


 周りの反応なんてどうでも良い。


 今はただ、この気持ちから逃げたかった。





 いつまでも過去に執着するな。


 彼女と僕は、住む世界が違ったのだから。


 切り替えて。


 この気持ちは忘れて。



「......こんなに苦しいなら、彼女に会わんかったら良かったな」





 忘れられない思い出を抱え、僕は生きていく。


 僕の初恋は、叶わなかった。

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川を見つめる彼女と僕 天道くう @tendokuu

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