ある模範委員の回想

亜済公

ある模範委員の回想

「……そうね。今でも覚えてる。毎週土曜日に学校で配られた、チョコレートの味。砂がたくさん混ざっていて、チョコがすっかり溶けた後、吐き出さなければならなかった。それでも、美味しかったのよ。とっても甘かった。私達が食べたことのない味。夢の味。これが勝利の味だって、いつも先生は仰ってたわ。それで私達、一生懸命頑張れたのよ。その頃は、誰も彼もが貧しかった。

 私達が通ったのは、町の隅っこにある、外国人が立てた学校だった。赤い綺麗な煉瓦の壁に、広々とした校庭がある。戦争の前には、外国人の先生がいて、外国語の教科書を使っていたわ。けれどその頃にはもう既に、誰もいなくなっていた。国が学校を、まるごと全部買い取ったから。それで私達、外国人の代わりに兵隊さんに教わったのよ。算数や地図の見方、体操なんかを。

 四年生の頃、私は模範委員だった。十六、十七くらいの歳だったかしら。模範委員は、特別にチョコを一個余分に貰えるの。だから、人気の役職だったわ。……いいえ。選挙なんて上等なものは知らなかった。じゃんけんよ。じゃんけんで勝ったの。トーナメント表を皆でつくって、同じクラスのイリーチェと、決勝戦で戦った。あの子、妹が病気で寝込んでたのね。きっと、喉から手が出るほど欲しかったはず。チョコはとっても甘いから。

 模範委員になった人は、制服の胸にバッチをつけなきゃならない。それで、身だしなみも言動も、常にピシッと整える。皆の模範になる役だから。良いところは、勿論チョコがもらえることよ。でもその代わり、間違いをしでかすと誰より厳しく怒られる。軍隊の人は、皆例外なく怖かった。ズボンの裾が汚れていると、その場で脱いで洗わなきゃならない。校舎の裏で、暑い中に下着一枚。知ってる? 涼しくなんて全然ないの。日焼けするのよ。とっても暑くて。肌がヒリヒリ痛み始めて、横になっても眠れない。やんちゃな男の子はのぞきに来るの。恥ずかしくって、悔しくって、何度泣いたか分からない。泣いてるのが見つかると、もっとたくさん怒られる。涙を流すな! 泣いて敵が殺せるか! ――そのおかげね。夕方イリーチェが突然倒れて、そのまま埋めることになった日も、私はちっとも悲しくなかった。心を殺すことを覚えていたのよ。みんなで棺を運んだわ。びっくりするくらい軽かった。イリーチェ、自分の分の食料を、みんな妹にあげてたの……。一週間後、その妹も死んでしまった。

 戦争が始まったのは、模範委員になって暫く経ってからのことだった。私達の国が作った、たくさんの発電所や採掘場が、環境を破壊してるって責められたから。たくさんの国が敵になった。私達は、一日でも早く貧しい暮らしから抜け出したかったの。皆同じ。後戻りなんて、したくなかった。戦うしかないって、誰も彼もが言っていた。

 学校で教えられる事柄に、匍匐前進や傷の治療、銃の分解の仕方が加わったわ。そして何より、毎週日曜日に開かれた特別授業。鉛玉をたっぷり蓄えた、犬みたいなロボットを、何匹も始末させられた。役立てる機会はなかったけれど、私達一生懸命やったのよ。どこのネジを幾つ外すか、どこの線を何本切るか。前線で捕まえたロボットの武装は、どれも念入りに壊されていたけど、たまに暴れるものが紛れ込んでた。

 急にロボットが痙攣したので、泣いた女の子を見たことがあるわ。無理もないでしょう。相手は兵器なんだもの。「泣くな!」その子は服を脱がされて、鞭で散々叩かれた。勲章を何個もぶら下げた、髭の男の人だった。周りの兵隊も笑ってたわ。何人もいたのに、誰も止めようとしなかった。勿論私も……。

 そう……それから、爆弾が降るようになったわね。綺麗だったわ。太陽の光で、爆撃機の翼が銀色に光っているの。暑かったし、怖かったけど、私は模範委員だったから、逃げることができなかった。軍隊の人は、ライフルを持って空に向かって撃っていた。届くはずないのに。校庭をあちこち走り回って、木陰に隠れたり地面に伏せたりしているうちに、近くに爆弾が落ちてきた。足が取れた。信じられないくらい遠くに飛んだ。後で見て回ったけれど、他の部分は、いくら探しても見つからなかった。

 私は、空襲が終わるまで、ずっと学校の入り口に立っていたの。他の模範委員達も、横一列に並んでいたわ。皆で、歌を歌った。燃える音、叫ぶ音、爆発する音。負けないように、声を張り上げた。すごく綺麗だった。炎が高く上がっていて、空がオレンジ色に染まっているの。緑の峰が遠くに見えて、ぼんやり煙で霞んでいる。何より恐ろしかったのは、私達の誰一人、バッチをはずそうとしなかったこと。親や兄弟を心配して、帰ろうとしなかったこと……。

 よく覚えていることと言えば、あとはジュリーのことくらい。一年生の男の子だった。戦車や銃や兵隊を、何より格好いいと思ってた。あの子がどうして死んだか分かるかしら? 殺されたの。味方の兵隊に。空襲が終わって、焼け跡でこっそり泣いていたのね。自分の家がなくなってたから。それを見られたのよ。私達が通りかかった時には、もう撃ち殺された後だった。憲兵が屍体を蹴り飛ばして、瓦礫の山から下りてくるのを、私達敬礼しながら見守っていたわ。兵隊の一人は、私の頭を撫でてくれたの。あの子を撃ち殺した右手でね。堅くて暖かい、人間の手。

 皆、泣かなかったわ。泣きたくても泣かなかった。泣くことは決して許されなかった。私が誰より知っていることが、ただ一つだけあるとすれば。泣くのを我慢していると、段々悲しくなくなってくること。何も怖くなくなって、いつしか何も愛せなくなる。悲しいから泣くんじゃない、泣くから悲しみを自覚できるの……。

 今でも時々思い出すわ。夢にも見る。とても怖いのに、夢の私はちっとも怖がる様子がないの。じっと、燃える町を見つめながら、何年か先の勝利の後で、どんな仕事に就くか考えていた。郵便配達員は素敵だし、外交官になるのも悪くなかった。成績はいつも一番だったから、何にでもなれると思っていたわ。

 ……このくらいにしましょうよ。もう疲れてしまったわ。……チョコレート、昔よりずっと美味しいのを、この前市場で買ってきたの。あなた食べない? ……いいえ、是非食べて。誰かに食べて欲しいのよ。皆これが大好きだった……」

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