♯2 ちいさな恐竜との出会い


『次は“母が原”、母が原です。お出口は右側です。』


電車のアナウンスが、車内に響いた。

僕はようやく目的地に到着したことを知って、荷物のボストンバックを担いて立ち上がる。


改めて車内を見渡すと、この駅で降りる様子の人間は他に誰一人いないようだった。


「正月に帰った以来、かな……」


窓の外には、古い民家と田んぼが広がっている。見渡す先には大きな遮蔽物は一切なく、遠くに見える山々の影がはっきりと見える。間違いなく、僕が生まれ育った町“母が原”の景色である。


電車のドアが開き、外に出るとセミの鳴き声がジリジリに耳に届く。


「さて、と……」


夏らしい太陽の光を浴びながら、僕は改めてバックを肩に背負いなおす。

バックには、衣服や生活用品の他に、長期間を過ごすために文庫本をいくつも入れてあるせいで、大きさも重さもかなりのものになっていた。


そう、僕はこの夏休みを丸々帰省して過ごすことになっていた。




………………

…………

……




きっかけは、数日前に遡る。


押鳥先輩が家まで押しかけて、早朝からもつ牛に連れていかれた日。

食事が終わった後、サークルの部室にまで連れていかれそうなところを全力で振り切り、何とか自宅まで帰ってきた時、スマホには押鳥先輩からの留守電が入っていた。


『神田少年、この夏休みの間は毎朝キミの家まで声をかけに行くからね』


よし、逃げ出そう。一刻も早く身を隠そう。


僕は先輩の執着心に改めて恐怖を覚えて、そう決心した。

とはいえ、あの先輩の追跡の手から逃れるためには、この夏休みの間を過ごせる安息地の確保が必要だ。数日ならともかく、長期間の外泊となると、学生の財布事情を考えると選択肢は限られる。少なくとも、男友達の下宿先に泊めてもらうことはやめた方がいいだろう。あいつらは自らの欲のためなら、平気で友人を売る悪魔だ。


そう考えていると、今度はSNSの着信でスマホが震えた。

まさか、また押鳥先輩……?


恐る恐るスマホ画面を覗いてみると、予想に反してSNSの差出人の欄には別の名前が表示されていた。


——“北上 智きたかみとも


その名前は、地元で暮らしている幼馴染のものであった。ちなみに、男の子ぽい名前をしているが、性別は女性である。ひとまず先輩からの連絡でなかったことに、ほっとしながら僕はSNSアプリを起動した。


『夏休みはこっちに帰ってくるー?』


そのメッセージを見た瞬間、僕はすぐさま返信した。




『それ採用』




………………

…………

……




そこから、僕の行動は速かった。

メッセージに返信した当日には、実家に連絡を入れ、さらに次の日には荷物をまとめて始発の電車に乗り込んでいた。まさに疾きこと風の如く。おかげでこうして無事に地元まで避難してこれたのだから、あの日の判断は正しかったのだと思う。


先輩が僕の実家がどこにあるのか知る方法がない以上、少なくとも夏休みの間の安全は確保されたといっても過言ではないだろう。


「まぁ、地元は田舎過ぎてやることが無いんだけどね」


正直、華の大学生としてはかなり寂しい夏休みになる予感がしているが、仮に下宿先に残っていたとしても特に充実した時間を過ごせる訳でもない。今年の夏は、読みたかった文庫本をまとめて消化することにしよう。最悪、単発のバイトを探して休み明けの資金源を蓄えておくのもアリだろう。


そうやって、これからの夏の過ごし方を想像しながら、僕は駅のホームを抜けて改札口を出た。駅前には、この町の数少ない名物である小さな時計台が立っている。始発に出たおかげで、時刻はまだ午前9時頃を指している。


「ほら、さっさとプール泳ぎに行くぞー!」

「ま、待ってよぉー!」


声がした方に目を向けると、2人の子供が肩からプールバックを担いで走っていた。小学校低学年くらいだろうか、胸に下げているスタンプカードを下げている。時間的にも、朝のラジオ体操が終わってから直接遊びに向かうところなのかもしれない。そういえば、夏休みの母が原は何時だってこうだったかもしれない。


「なんだか、目に映る全てが懐かしいなぁ」


久しぶりに地元の景色を噛みしめながら、僕は再び辺りを見渡す。


——駐車場、郵便ポスト、広告、看板、大きなトカゲの尻尾……


「……………………ん?」


いま何か変なものが、電柱の影から見えたような気がした。

僕は瞼をこすってから、もう一度電柱の方に目を向ける。


——ひょこひょこ。


うん、見える。やっぱり何かしらの生き物の尻尾が見える。

水色で、筋に沿ってピンク色のトサカが付いている、尻尾。


けれど、何度見ても自分の目を疑いたくなる。

その違和感の原因は、尻尾のサイズ感。どう考えても大型のワニがもっていそうな程の大きさ。もし、あの尻尾が本物なら電柱の裏には人間サイズの生き物が直立して隠れていることになる。そんな巨大な陸上生物なんて聞いたことがない。ましてやこんな街中で。


……いや、そもそも水色の生き物ってなんだ。僕は少し冷静になることにした


(よし、近づいて確認しよう)


僕は念のために道端に落ちていた棒きれを拾い、じりじりと電柱の方に歩き始めた。


——ひょこひょこ。ひょこひょこ。


僕が近づいていく間にも、その尻尾は右に左に動いている。正直、少し不気味だ。

ええいままよ。僕はと意を決して、棒切れを握りしめて電柱の裏に回った。


そこにいたのは、――




「……んしょ、うー…………んしょ」




右手を上げて、奇妙な鳴き声をあげている——1匹の“恐竜”だった。


いや、正確には“恐竜”を模したデザインのパーカーを着た人間だった。

不思議なデザインだと思った。腰のあたりから尻尾が生えていて、フードにはデフォルメされた恐竜の顔がプリントされている。フードの頂点から尻尾にかけては、三角形の小さな布がトサカのように連なっている。ちょうどフードを頭に被れば、恐竜の着ぐるみのようになる形だ。


この目の前の“恐竜”もこの暑い中ご丁寧にフードを被っている。こちらに背を向けているせいで当本人の顔は見えないが、その小さな背丈を見るに小学生か中学生くらいの子なのだろう。


「んー……!んー……!」


——ひょこひょこ。ひょこひょこ。


その子が必死につま先立ちをしながら、何やら右手を伸ばしている。その度に、尻尾が左右に揺れている。目で追っていると酔いそうだ。

視線を上に向けると、自動販売機が目に映る。どうやら、この恐竜の子は自動販売機の一番上の段にある飲み物が買いたくて、けれどボタンに手が届かないために苦労しているようだった。数秒ほど様子を眺めてみるが、その努力が達成される気配は全く感じない。


(……これ、助けた方がいいのかな)


流石にこれ以上、見守っていては不審者と見間違えられても言い訳できない。とはいえ、このまま見過ごすというのも後味が悪い。とりあえず、声をかけてみることにした。


「あー……の、大丈夫ですか?」

「っっ…………!!??」

「わっ!」


声をかけた瞬間、ビクンと大きく肩が跳ね上がったかと思うと、猛スピードでこちらに振り向いてきた。あまりの反応速度に、僕も思わずビックリして一歩だけ後退した。


フードを目深に被っているせいで、表情はよく見えない。

けれど、その顔立ちや雰囲気から女の子であることは判明した。


「……………………」


そして、無言のまま固まってしまっていた。


「えーっと、……」


何となく、僕も次の言葉が出てこない。そうなると、自然に静寂が生まれる。

暑い夏の日。駅前の自動販売機の前で、無言で向かい合う僕と少女。


何となくマズいのではと思った。

とにかく、さっさと困っていないか聞いてしまおうと心を決めたところで、目の前の少女が何やら小刻みに震えていることに気が付いた。


「……………………ぴ」

「?ぴ?」


何だろう、“ぴ”とは。現在に生きる恐竜なりの鳴き声なのだろうか。

確かに、カラスといった鳥類は恐竜の末裔だという話が聞くけれど。明らかにティラノ系の恐竜がぴよぴよと鳴いてしまって、威厳とは大丈夫なのだろうか。


なんてことを考えていると、恐竜の少女はガクブルと震えながらゆっくりと人差し指が持ち上げていた。その指先が示す方向は、僕の手元――に握られている棒きれ。


……棒切れ?


!ま、まさか……!


「あ!いや、この棒きれは別に違っ」


まずい、と思って弁明をし始めた時にはもう遅かった。


「…………ぴ、ぴええええええええええええええええ!!!! 襲われるうううううううう!!!!」

「うわあっ!!」


突然、大声で泣き出したかと思った時には、僕の脇をすり抜けて全力疾走で逃げ出していた。あの小さな身体のどこにそんな力が秘められていたのか、逃げた先を視線で追った時にはすでに数百メートルは向こうを走っていた。あまりのスピードで走っているせいで、腰から生えた尻尾がブルンブルンと高速で暴れていた。


「あの!誤解!というか、自動販売機!お金忘れてるよー!」

「お納めくださああああああああぁぁぁぁ…………」


ご丁寧に返事をしてくれた少女の声は、そのまま彼女の姿が見えなくなるのと同時に遠くに消えてしまう。


そして、再び訪れる静寂。

突然の出来事の連続だったために、今まで以上に音が無くなってしまったかのような感覚に陥る。


「……一体、あれは何だったんだろう」


恐竜が走り去っていった方向を見ながら、僕は思わず一人呟く。


何となく、視線を感じて目を向けると、先ほどの子供たちが僕のことをじっと見ていた。


「……………………」

「……………………」


あまりにも純粋な視線が突き刺さる。

と、思っていたら、こちらに近寄ってきた。


「兄ちゃん。女の子をいじめるのは良くないぞ」

「めっ!だよ」

「はい。すみませんでした」


帰省して早数分。

僕は小学生に説教されることになった。


なお、僕の持っていた棒きれは、その男の子に進呈することにした。




→ 7月30日 人生で初めて、恐竜のを聞いた。


つづく。

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この夏、恐竜のおんなの子と仲良くなりませんか? 悠々自太郎 @1880992

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