人形師の妻と娘
蘭野 裕
人形師の妻と娘
昔々、栄華を極めた都市があり、名高い人形師がいた。
彼には賢い妻と美しい一人娘がおり、母娘は同じ緑色の瞳をしていた。
人形師は、弟子たちのなかで最も優秀な男を娘と結婚させた。いずれ工房を継がせるつもりだ。翌年、元気な男の子が生まれた。順風満帆に思えたが、さらにその翌年、娘は孫を遺して病死してしまう。
人形師と、その婿はそれぞれの作業室に篭るようになった。幼い孫の面倒は人形師の妻が見ている。
彼女はある日、孫を父親に会わせてやりたくて婿の作業室を訪ねた。
戸を開けるとまず目に入ったのは、埋葬したはずの愛し子の顔。驚きのあまり早々と孫を抱いたまま退室した。彼は亡き妻そっくりの人形を造ろうとしていたのだ。
* * *
……彼女が人形として新たな命を得たような、そういうものを作りたい。あと一種類、足りない部品がある。両の瞳にエメラルドを入れるつもりだが、相応しい輝きを持つ石がどうしても見つからない。
そこで思い浮かんだのは、彼女が婚礼の宴に身に着けていた、エメラルドの耳飾り。母から娘への贈り物だ。
* * *
「どうか、あの耳飾りを譲ってほしい」
人形師の婿は、師である舅からの懇願に耳を疑った。師も娘そっくりの人形を作ろうとしていたのだ。そこで、ある提案がなされた。
それぞれの製作している人形に目隠しをした状態で、第三者の立ち会いのもと誰かに見せるのだ。
そして未完成ながらもより優れていると認められたほうの製作者が、耳飾りのエメラルドを人形の眼窩に嵌め込む資格を得ることに。
師の作品は清らかさ、弟子の作品は華やかさに優れている。エメラルドはどちらに?
どちらが勝っても、弟子の将来性の豊かなことに疑いない。災い転じて福となし、工房の未来は明るく開けてゆくだろう。
とはいえ、師の妻にとっては、在りし日の娘の面影を偲ばせるということにかけて夫の作品に勝るものはないと思われた。そして提案した。
「この子に決めてもらいましょう」
* * *
その時が来た。広場に絨毯を敷き、目隠しをした二体の人形を少し離して並べる。さっそく周りに人の輪が出来た。
師の孫であり弟子の子である男児を、これから二体の人形の間から自由に歩かせ、母の面影を求めて近寄ったほうの人形の瞳に、耳飾りに使われていた石を嵌めるのだ。
弟子の作品は婚礼のドレスを、師の作品は、妻の普段着を纏うていた。
幼子はよちよちと、祖母の匂いのする普段着のほうに歩いて行った。
師の作品が勝ったという結果には賛否両論があったが、ともかくエメラルドは師のものとなった。娘が生きていれば親の手元に戻らなかった品だ。三人はまた涙を流した。
* * *
師は耳飾りの宝石を加工しなおし、人形の瞳に嵌めた。弟子は悩み抜いた末、瞼を閉じた頭部を作り直した。
ともに歴史に名を刻む人形師の「娘」と、その弟子の作「眠れる妻」は、今や静かな古都となった街の誇る芸術品である。
目を開いた若妻の頭部がいまもどこかに存在するという伝説が残っている。
(了)
人形師の妻と娘 蘭野 裕 @yuu_caprice
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