武蔵野にて

百道みずほ

  武蔵野にて

人生のうち、半分はここ武蔵野で過ごしたのか。

ふとわたしは気が付いた。

段ボールを作る手が止まった。


指で確認してみても、半分は過ぎていた。軽いショックを受けながら、わたしは思い返しす。


東京の大学に進学と同時に下宿を始めたのは武蔵野だった。それ以来、緑が多いこの土地が気に入って、わたしは3回ほど引っ越しをしたが、なお武蔵野に住み続けている。


大学は2つの校舎があり、わたしが入学した学部は古い校舎にあった。古い校舎はわたしたちが卒業した後取り壊しが決まっているという。

「どうしてわたしたちは古い校舎なんだろうね」

新入生たちはよくこぼしていたが、わたしはこの古い校舎が好きだった。

よく磨かれ、キュッキュッと靴が鳴り、キシキシと軋む黒っぽい板廊下。全教室に置かれた古びたオイルヒーター。校内のあちらこちらに植えられている桜の木や幹の太い松。白い建物のチャペルや図書館。武蔵野の緑によく映え、またよくなじんでいた。


ソメイヨシノが葉桜になった。授業中に窓から外を見ると、林の中に白い桜の花がひっそりと咲いていた。大学にある、華やかに咲き、美しさを誇らしげに散っていくソメイヨシノに比べると、地味で、貧相で、か弱くも見えたが、白い花びらは生命力が溢れる林のなかで、ひと際目立っていた。


「あれは……」

下宿先の管理人さんに聞くと、玉川上水沿いの山櫻じゃないのかなと教えてくれた。

大学生活は、華やかなものと思われるかもしれないが、がっかりさせるようだが、大半の人は地味だったと思う。

課題も多く、レポートを求められ、テストもある。そもそも真面目で一生懸命勉強して入学した人ばかりだったから、遊び方を知らなかったのかもしれない。


わたしは目的を失っていた。

大学に入ることを目標にしていたわけではない。当時のわたしは絵の勉強がしたかったのだ。

「生きていくのに芸術は必要がない」

「飯がくいっぱぐれる」

両親は安定した職業を望み、わたしに過度な期待をしていた。わたしにはそれを振り払うだけの勇気も、実力もなかった。両親の希望にストレートに応えられない引け目もあった。そして、自分が夢を追いかけていいという正当性がみつからなかった。

絵の勉強はいつでもできる。大学に入って、一人暮らしになったら、絵を描こう。

わたしは自分を誤魔化して勉強し、なんとか両親が満足するような大学に滑り込んだ。


大学に入学して、襲ってきたのは、「なぜ、わたしはここにいるのか」という疑問と喪失感だった。それは意外にも大きく、わたしを足止めしていた。それが夢を大切にしなかった代償というやつなのかもしれない。


大学で勉強をしながら、絵を学ぼうにも、ダブルスクールする経済的な余裕はない。おまけに独学でやると決めるだけの度胸も、あいにく持ち合わせていなかった。どうやって絵の勉強をしたらいいのか、わたしには皆目見当もつかなかった。


先が見えず、将来の希望も見えないわたしに、山櫻の花がここで踏ん張るよう勇気づけてくれたように思えた。


下宿先の先輩たちは、それは個性的な方々ばかりだった。

「トイレットペーパーを変えるのなんて、3秒でできるんだから、ちゃんとやりなさい」

廊下から怒鳴り声が響き渡る。わたしは恐る恐る自室のドアを開けた。


トイレで先輩が後輩にお説教をしていた。トイレットペーパーをたまたま使い切った後輩がなにもせずトイレからでたところ、先輩につかまったらしい。

入れ替わりで入った先輩は、新しいトイレットペーパーが設置してないと、すぐに気が付いたらしかった。


たしかにそれは腹が立つのだが。

わたしは苦笑いした。


また、英検1級を在学中にとって、外務省の方とさっさと卒業と同時に結婚という先輩もいたし、新聞社に入りたいから、模擬国連で頭脳を鍛え、玉川上水を毎日マラソンする先輩もいた。


下宿先の先輩はキラキラしていた。やることも、やるための手段もわからないわたしにはまぶしかった。このまま4年間過ごしていいのだろうか。そればかり考えていたが、どこをどう見ても、わたしにはそんな個性も、強固な意志もなく、毎日自分の可能性を否定する日々が続いていた。


もう一度絵を描いてみようと思ったのは、下宿先の先輩の一人から、美術サークルに誘われたからだった。

行ってみると、他大学との飲み会だった。飲み会で得ることはさほどなかった。強いて言えば、初めて沖縄料理を食べたことくらいだろう。都会にはいろんな料理を食べさせる店があるんだなと思った記憶がある。


美術サークルで絵が描けるかもしれないと期待し、わたしは絵をいくつかあわてて描いたのだが、実際はまったく不要だった。しかし、それがきっかけで、再び絵筆を握ることができたのは、よかったとおもう。きっかけがなかったら、描かずに終わっていたかもしれない。


在学中、絵を描きまくって、イラストレーターになりましたとかだったら、カッコいいが、才能は見いだされることはなく、才能が開花することもなかった。本当に才能があったのかどうかさえ怪しいと本人も思いながら、絵に関する就職先を探して、就職活動をはじめた。


ケーキ屋さんのバイト中、天命を受け、パティシエになると将来を決めた同級生もいたし、保育士の資格を取るために勉強している友達もいた。看護師になるといって、せっかく入ったこの大学をやめて、看護大学に入学した友達もいた。


わたしには目立つような事件も、資格も何もなかったが、とりあえず履歴書とイラストをもって、デザイン事務所や印刷所を回った。


ようやく印刷会社のデザインの部署への就職が決まったのはもう秋が過ぎていた。普通の大学からデザインの部署への就職は、あり得ないと思うだろうが、デザイナーと会社、業務を調整する役目をするように期待されての内定だった。うれしいような、悲しいような現実だった。


「印刷会社に就職するよ」

わたしが両親に言ったとき、両親はがっかりしたようだった。もっと違う職業についてほしかったみたいだ。

申し訳ないなという言葉が心に浮かんだ。

でも、大学に入った時のように、足元が崩れていくような感覚に悩まされるのはもううんざりだった。


「田舎にも印刷会社はあるから、帰ってこい」

父に強く言われたが、わたしは今度は折れずにがんばった。

父も母もぶつぶつ文句を言っていたが、わたしは勝手に就職先を決めた。


モテるほうではなかったが、人並みに恋をしたし、恋人がいた時期もある。


大学時代から知っている彼と就職してから再会し、わたしたちは付き合うことになった。彼は学生の頃から留学することが夢だったが、資金がなくまだ実現していなかった。


わたしは全力で彼を応援することにした。留学資金が貯まるようにわたしは彼といっしょに暮した。彼には夢へ向かって羽ばたいてほしかった。

彼は「留学から戻ったら結婚しよう」と誓ってくれた。わたしはうれしかった。感動したのを覚えている。


彼が留学して、最初は、こまめに電話やメールでやりとりしていた。しかし、メールも1週間に一度、10日に一度になった。電話をかけても、彼が電話に出ることはなくなった。


わたしは寂しかったが、彼はきっと一生懸命学んでいるんだろう、時差のせいだと思うことにした。


3か月後、彼から、留学先で知り合った子が妊娠したから結婚するので別れてくれとメールで知らせが来た。


あれから20年。人間関係と仕事、いくつかの恋に悩み、胃が痛くなったことが数十回。両親からの結婚催促と田舎へ帰ってこい攻撃を数十回かわしながら、夢中で働いた。


デザイナーとして大成はしていなかったが、そこそこ仕事はできるようになった。何も知らないわたしは、先輩や同僚からすべてを教わった。根気よく育ててもらって、感謝だ。


プライベートでは、わたしは好きな絵を描き続けた。インターネットを通してひっそりと公開し、“絵師”の称号を得た。今はいい時代だと思う。わたしが大学生のころはそういう手段がなかったのではないか。


もし、大学生の時、インターネットで絵を公開して、もっと積極的に活動していたら、わたしの人生は変わったんだろうか。

思いを寄せることもあるが、それはあくまでも可能性であって、現実にはあり得ない。ただ、絵を描き続けてわかったのは、夢を追い続ければ、現実との妥協点が必ず見つかるんだなということだ。


ちなみにインターネットで公開している絵は、転職するほどの評価はないが、わたしの生きがいになっている。


今年の春、わたしは印刷会社の統括部門の課長として、福岡に転勤が決まった。父や母に報告すると、遠くへ行くんだから一度田舎へ戻ってこいと言われた。


田舎に帰ると、親戚が集まっていた。四十路を過ぎた娘に結婚はと聞いてくる親戚はいなかったが、母は「女なのに、結婚もせず、仕事ばかりで……」とあえて親せきにこぼしていた。


「どうしようもない娘でお恥ずかしい」とうつむきながら、母は下を向いて笑みを浮かべていた。母は何も言わないけれど、わたしが自立して、働いていることがうれしいようだった。


父は役付けになったわたしに何も言わなかった。


上京して、ずっと武蔵野に住んでいたが、今度こそ引っ越さなければならない。そこだけは本当に悔しかった。今年は玉川上水沿いの山櫻に会えないのが悲しかった。


でも、さほど落ち込んではない。

わたしはまたここに帰ってくるつもりだ。いつ戻れるかはわからないが、その時はきっと武蔵野は、山櫻は、わたしを温かく迎えてくれるだろう。


引っ越しまであと2日。あっちでもがんばってくるね。

わたしはつぶやいた。



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武蔵野にて 百道みずほ @Momochi_Mizuho

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