第103話 魚谷くん……。大好き……。好きすぎて……。あぁもう……。

「いらっしゃい」


 簡潔に言うと、教室がバーに変わっていた。


 ジャズが流れており、鳥山さんが、それっぽい顔でグラスを磨いている。


「あら。初見さん?」


 俺はドアを閉め、その場を立ち去ろうとした。


 しかし、黒服がすぐ背後にいて、無言の圧力をかけてきたので、仕方なく入室する。


「初見さんいらっしゃい」

「生配信みたいになってるから」

「さぁ、遠慮しないで、席に座って?」


 ちゃんとカウンター席が用意されている。


 ……いくらくらい使ったんだろうなぁ。この設備作るのに。


「何が飲みたいかしら?」

「いや……。俺、未成年だからさ」

「大丈夫よ魚谷くん。田舎のヤンキーなんて、みんな中学の夏祭りで酒飲んでるんだから」

「何が大丈夫なのかわからないんだけど」

「冗談よ。ほら、メニュー表を見せてあげるわ」


 鳥山さんから、メニュー表を受け取り、確認する。


「……あのさ。具体的な商品名が書いてないんだけど」

「あら魚谷くん。バーに行ったことないの? だいたいそういう、ちょっと気取った、意味わかんない名前の飲み物しか置いていないのよ」

「バーをすごい馬鹿にしてない?」

「してないわよ。すごくリスペクトしてるもの。ところで、バーの店内がちょっと暗めなのは、すぐにエッチなムードにするためなのかしら。私、さっきから興奮して、今にも魚谷くんをぐへへへへへへ」

「帰るよ」

「今夜は帰らせないわよ」


 入り口に目を向けると、しっかり黒服がスタンバイしていた。


 なんだこの、怖い店は。


「さぁ選びなさい。どのドリンクがいいの?」

「じゃあ……。これでいいよ」

「これじゃわからないでしょう? ちゃんと言葉にしないと」

「……愛の囁き。ってヤツで」

「了解。お客さん、なかなかわかってるじゃない」


 鳥山さんが、バーでよく見る、あのシャカシャカするやつを取り出した。


 そして……。


 なっ〇ゃんのオレンジを、そこへ入れていく。


「せめてさ、どこのオレンジジュースかわからないくらいの配慮は、した方がいいんじゃないの?」

「だって、野菜ジュースと見分けがつかなくなるんだもの」

「メモを貼っておきなよ」

「うるさいわねっ。今話しかけないでちょうだいよ。零したらあなたのせいよ? 机をべろんべろんに舐めて、拭いてもらうんだから。そして、魚谷くんの唾液プールになった机を、私がべろべろりんっ! バーって最高ね!」


 全国のバー関係者の皆様。


 今日は本当に、申し訳ございません。


「結局、ただのオレンジジュースなの?」

「ふふっ。ここからよ」


 鳥山さんが、オレンジジュースの入った、シャカシャカするヤツに顔を近づけた。


「……愛してるわ。魚谷くん」


 そして、小さな声で、そう呟く。


「魚谷くん……。大好き……。好きすぎて……。あぁもう……」

「何をしてらっしゃるんですか?」

「これが愛の囁きよ」


 ドヤ顔でそう言った後、容器をシャカシャカし始めた。


「あぁ。今、私の愛と、オレンジジュースが、見事なハーモニーを奏でている最中だわ。聞こえるでしょう?」

「……」

「魚谷くん。キスしたくならない?」

「ならないよ」

「まだできあがってないのね。私はもう何倍も飲んでるから、結構キてるわよ」

「あの、冗談でもそういうこと言うのやめよう?」

「モン〇ターを何倍も飲んだってことよ」

「いや、死ぬから」


 エナジードリンクの飲みすぎは、割と真面目に体調を崩しかねないから、注意が必要だ。


 ……多分、鳥山さんみたいに、人間ではない何か別の生命体なら、大丈夫なんだんろうけど。


 どうやら、シャカシャカが終わったらしく、グラスにオレンジジュースが注がれていく。


「完成。愛の囁きよ。どうぞ召し上がれ」

「……頂きます」


 当然、普通のオレンジジュースだ。


「美味しいわよね? 美味しいって言え」

「美味しいです」

「そうよね~!!! 私の愛が伝わってる証だわ! ほら、次のメニューも頼みなさいよ!」

「もう満足なんで……」

「何を言ってるのよ魚谷くん。他にも、愛の口づけとか、愛の交わりとか、たくさんメニューがあるのに!」


 ……どう考えても、R指定を軽く越えていく展開になりえない。


「あれ~? こんなところに、バーがあるんだけど」


 急に、虎杖先生が姿を現した。


「ちょっと。初見さんはお断りなのよ?」

「さっきと言ってること違うじゃん」

「私ね? いっつも残業終わった後は、バーに行って……。マスターに、愚痴を聞いてもらうの。どうして私、結婚できないんだろうとか、どうして私、全然痩せられないんだろうとか……」

「全部自分の責任じゃない。さっさと帰ってくれないかしら」


 虎杖先生は、鳥山さんの冷たい対応を気にすることなく、カウンター席に腰かけた。


「マスター。生ビール……」

「カクテルを頼みなさいよ。ビールなら安い居酒屋か、コンビニで買いなさい」


 ……鳥山さんが、ツッコミに回ってる?


「カクテルなら、あるの?」

「あるわよ。本当は、魚谷くんに無理やり飲ませるつもりだったけど、一応犯罪だから、やめることにしたのよ」


 一応犯罪ってなんだよ。


 とりあえず、俺は救われたらしい。


 ☆ ☆ ☆


「ぶぇええん!! だって、ちょっとお腹が空くと、食べ過ぎちゃうんだも~ん!」


「虎杖先生……。あなた、本当にダメ人間なのね」


「……そういう鳥山さんは、どうなの? 最近魚谷くんとは、距離を縮められてるの?」


「全然よ。あの鈍感クソ童貞、全然私を襲ってくれないんだから、嫌になってしまうわ」


「相談、乗ろうか?」


「誰がアラサー独身自堕落女に、恋愛相談なんかするのよ……」


「あはっ……。……はぁ」

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