第95話 魚谷くん。抱きしめてあげなさいよ。

「しくしくめそめそ」

「……何してんの?」

「ぴえん」


 俺の席に座っている鳥山さんが、顔を両手で覆っている。


「泣いてるのよ。魚谷くん」

「そうですか……」

「そうですか……。じゃないでしょう!? こんな美少女が泣いてるのよ!? ちょっとは心配したらどうなの!?」

「元気そうじゃん」

「ぴえん」


 ぴえんの使い方、絶対勘違いしてるよな。この人。


 若者言葉を必死で取り入れようとする、四十代くらいのおじさんっぽくて、なんだか切なくなってしまう。


「あの、なんで泣いてるの?」

「だって、いつまで経っても魚谷くんが私のこと好きになってくれないから」

「へぇ……」

「謝りなさいよ!」

「ごめんなさい」

「よしっ、じゃあ許す……って、んなわけないでしょうが~~~い!!!」


 めんどくさ……。


「あのさ、一限の課題、まだ終わってないから、席に座ってやりたいんだけど」

「家で課題やってない人が悪いんじゃないかしら」

「急に正論言わないでくれる?」

「今は、私のぴえんに付き合ってもらうわよ」


 何だよ。私のぴえんって。


「結局ね、魚谷くん。男っていう生き物は、女の子の涙に弱いのよね。恋愛漫画などにおいても、ヒロインが重要なところで泣いておけば、とりあえず関係が進展するみたいなところはあるわ」

「そんな単純な話ではないと思うけど」

「つまり! 私が魚谷くんの前で泣きまくれば、関係を進めざるを得ないってことよ! 覚悟しなさい!」


 ……付き合ってられない。


 仕方なく、空き教室に行って、課題をやることにした。


「待ちなさい」


 しかし、教室を出ようとしたところで、鳥山さんに回り込まれてしまった。


 指の隙間から、俺を覗いている。


「泣いてないじゃん」

「心が泣いてるのよ」

「あの、そこ退いてもらっていい?」

「じゃあ、私を泣き止ませる努力をしなさいよ!」

「……何をしてほしいわけ?」

「結婚しましょう」

「はぁ……」

「どうしてため息つくのよ!」


 ついに鳥山さんが、両手を顔から離した。


 元々全然意味なかったけど。


「ぴえんからのぴよんって感じよ!」

「はい……」

「魚谷くん。もしかしてだけど、女の子が泣いていれば泣いているほど喜ぶタイプの、ドS男子なのかしら。だから、私を泣きやませる努力をしようとしないのよね? この変態!」


 好き勝手言われてるな……。


「鳥山さん。泣くっていうシチュエーションをやるにしても、過程が大事だと思うよ。少女漫画だって、いきなり何の前触れも無く泣き始めるわけじゃないでしょ?」

「それは……。確かにそうよ。だけど仕方ないじゃない。思いついたのが、学校に着いてからだもの」

「行き当たりばったりすぎるでしょ……」

「はぁ。どこかに泣いてる女子はいないかしらね。参考にしたいわ」

「物騒なこと言わないでよ」


 そう簡単に、泣いてる女子なんて、いるわけ……。


「うっ、ううぅうう……」


 ……いた。


 虎杖先生が、涙を流しながら、廊下をうろうろしている。


「……魚谷くん。話しかけなさいよ」

「嫌だよ。明らかに怪しいじゃん」

「でも、どう見たって、話しかけてもらうのを待ってるわよ?」

「だったらなおさらタチが悪いし……。ほっといたら?」

「あっ、二人とも~!」

「「げっ」」


 見つかってしまった。


「ねぇ二人とも、昨日の恋待ち見た?」

「あぁ……。今流行ってるドラマでしたっけ」

「そうそう! 泣けるよね~。私もあんな恋愛したいな~」

「したらいいじゃない。虎杖先生は、結婚詐欺に引っかかりそうな顔をしているけれど」

「おっとっと」


 鳥山さんの厳しい言葉で、虎杖先生がダメージを受けた。


「鳥山さん。今をときめくJKなんだから、恋待ち見ないとダメよ?」

「それを見たら、魚谷くんと結婚できるかしら」

「できるできる!」

「虎杖先生?」

「魚谷くんも、絶対見た方が良いよ?」

「魚谷くん! 今から視聴覚室に行って、一緒に見ましょうよ!」

「だから、課題をやらないと……」

「課題課題って、さっきからうるさいわね! 私との恋の課題を後回しにしてまで、やらないといけない課題なんて、この世には存在しないのよ!」


 暴論すぎる。


 それなのに、なぜか虎杖先生は、うんうんと頷いていた。


「いいよね……。青春。私にも、JK時代があったなぁ。一つ上の先輩に、一目惚れしてね? 夏休みが始まる前に告白したの。そしたら、見事フラれちゃった。ある日、友達とプールに行ったら、その先輩が、すっごい美人のお姉さんと一緒にいるところ……、ぐすんっ、み、見ちゃってぇ……、ひぐっ」


 ……なんか、泣き始めたんですけど。


「魚谷くん。抱きしめてあげなさいよ」

「絶対嫌」

「なんでよ。泣いてるじゃない虎杖先生」

「絶対無理」

「魚谷くん。もう少しくらい、優しい言葉で、拒否してくれないと、私、涙がとまらなくなっちゃうかもしれないよ?」

「先生、あなた、もう三十近いのに、未だに高校時代の恋愛を引きずっているなんて……。……ねぇ?」


 鳥山さんが、俺に同意を求めてきた。


 ……虎杖先生が、怖い顔をしていたので、軽く受け流すことにする。


「その点、私は魚谷くんとの将来が約束されてるから、とっても安心だわ! 安心したら、お腹が空いてきちゃった! ちょっとレストランに行ってくることにするわね。バイバイ!」


 自分勝手すぎるが、解放してもらえたので、助かった。


「……いいなぁ。あれだけ自由に生きられたら、楽しいんだろうなぁ」

「虎杖先生。チャイム鳴りますよ」

「失恋のショックで立ち直れないから、サボりま~す」


 ……ダメだ、こいつ。

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