第75話 素晴らしい手のひらね。世界一の手のひらよ。

「きゃあああ!!! 助けて魚谷くぅ~ん!!!!」


 家の外から、大声が聞こえたので、慌てて飛び出すと……。


 鳥山さんが、地面に寝そべって、顔を隠した誰かともみ合っていた。

 ……さっき、加恋が、妙な恰好をして、外に出て行ったけど。


 これだったんだな……。


「あっ! 魚谷くん!」


 鳥山さんの一声で、俺に気が付いた加恋が、こちらに向かってきた。


「加恋。もうすぐ日付が変わるぞ。何してるんだ」

「……」


 加恋は何も言わず、ただ俺の方を向いている。

 不気味な仮面、全身黒タイツ。


 いや、黒タイツを着て、外出しようとした妹を、そもそもなぜ止めないのかと、怒られてしまいそうだが。

 ……どうせ、鳥山さん絡みだろうと思って、スルーしてしまった。


「やめなさい! 魚谷くんに手を出すなんて、許さないわよ!」


 鳥山さんがそう言うと、いきなり黒服が現れた。

 そして、かなり大きめのタオルを。横断幕のようにして、鳥山さんの姿を隠す。


「……変身!」


 二十秒ほど経って、タオルが取り払われた。

 鳥山さんは……。


 ゴリゴリの、魔法少女のコスプレをしていた。


「あなたのピンチに呼ばれて飛び出てどどんがどん! 魔法少女ランカーよ!」


 ……どどんがどんって。

 あと、さっき自分が襲われてた時に、変身すればよかったじゃん。

 などなど、設定へのツッコミは、追いつかないので、諦めるとして。


 変身した鳥山さんに気が付いた加恋が、今度は鳥山さんの方を向いた。


 そして、鳥山さんに向かって、猛ダッシュ。


「来たわね! 怪人黒タイツ! くらえ~!!! 魚谷くん大好きビーム!!!」


 ビームは出ていないが、加恋が倒れたので、多分そういうことなんだと思う。


「ふんっ! この私に勝とうなんて、百万年早いわね!」


 だっさいセリフ……。


 倒れたはずの加恋が、むくりと起き上がった。


「な、何ですって!? 私の魚谷くん大好きビームが通用しない!?」

「……」

「やめて! 来ないで! いやぁああ!!!」


 再び、加恋に襲われる鳥山さん。

 俺は一体、深夜に何を見せられているんだろう。


「助けて! 魚谷くん! あなたの力が必要よ!」


 なんか面倒な展開になったぞ?


「この怪人は非常に強力だから、魚谷くん大好き好き好きマジ愛してるぜビームを打たないと、倒せないのよ!!!!!」

「そうなんですね」

「そうなんですのよわよ!」

「日本語めちゃくちゃだよ?」

「そして、その魚谷くんめちゃんこバリバリ好き好き世界はそれを愛と呼ぶんだぜビームを打つためには、条件があるの!」


 名前変わってるじゃん……。


「その条件はね……。魚谷くんと、キスをすること!」


 俺は家の中に戻った。

 そして、鍵を閉め、チェーンもしっかりかけておく。


 すぐに、ドアが開いた。


「あの、鍵を閉めたはずなんですが」

「ピッキングよ」

「シンプルな犯罪やめてくれる?」


 念のため、チェーンをかけておいて良かった。

 そう思ったのも、束の間。


 鳥山さんが……。

 金切りバサミのようなものを、取り出した。


「ねぇ鳥山さん。現行犯じゃんこれ」

「あなたが私にキスしないからでしょ?」

「めちゃくちゃだよ。勘弁してくれ」

「あぁほら。切っちゃうわよ? ねぇ、切っちゃう。早く家の中に入れなさい?」


 ホラー映画じゃんこんなの……。

 諦めた俺は、鳥山さんを家の中に入れた。


「加恋。もうそれ、外したらどうだ」

「……」


 仮面を外した加恋は。

 とても辛そうな表情をしていた。


「いいよ。もう。部屋で休んでくれ」

「……はい」

「あら魚谷くん。加恋ちゃんを部屋に戻すなんて……。これ、期待しちゃっていいのかしら。キスの音色が聞こえるわ?」

「何そのポエム……」

「さぁキスよ。キス」

「いや、怪人黒タイツがいなくなったんだから、ビームを打つ必要もなくなったでしょ」

「……この私を、罠にはめたわね?」


 馬鹿なのかな……。


「私が成長するのと同時に、魚谷くんも成長しているということなのね。これはもう、夫婦でありライバルかもしれないわ」

「ライバルっていうか、被害者と加害者なんだけど」

「何を言ってるのかしら! 意味わからない体操第一!」

「え?」

「まずは顔と顔を近づけて、キスの運動~! さん、はいっ!」

「おいおい」

「んぐゅ」


 鳥山さんが、いきなり顔面を近づけてきたので、手で阻止した。

 ちょうど、鳥山さんの鼻が、俺の手のひらに押し付けられる形に。


「……すぅ~。はぁ~……」

「うわっ」


 そのまま匂いを嗅がれたので、慌てて手を離した。


「素晴らしい手のひらね。世界一の手のひらよ」

「全然嬉しくないんだけど」

「嬉しくない? どうしてそうなるのよ。本当に意味わからない体操第一! まずは」

「はいストップ」

「なんで止めるのよ! 近頃の若者は運動不足! 日々体を動かすことが、重要なのよ!」

「体動かしてればなんでもいいわけじゃないんだよ?」

「ハグハグ体操~!」


 鳥山さんを躱し、一旦外に出た。

 さすがに玄関では、不利すぎる。


「あっ……。すごいわこれ。こんなに遅くまで、何してたのよ! ごっこができるシチュエーションじゃない。じゃあ魚谷くん。設定は、一週間ほど出張に行っていた夫が、やっと帰ってきたと思ったら、その日の夜に友達と飲みに出かけて、帰りが遅くなったことを、妻の私がとってもとっても不快に思って、愛する夫が浮気なんてするはずがないと、誰より信じているのに、あえて浮気を疑うシーンから始めるわよ」


 そう言って、鳥山さんは、ドアを閉じた。


 幸い、財布とスマホは持っていたので。


 俺は、ネットカフェで、一夜を明かすことにした。

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