第71話 構わないけど、その唾液棒を置いて行きなさい。
朝から音楽室に呼び出された。
当然、何も詳しいことは聞かされていない。
ただ、小学生の時に使っていた、リコーダーを持ってこいとは言われたが……。
「こんにちは。愛也くん」
……なんで下の名前?
あと、制服じゃなくて、妙に大人っぽいドレスを着てる。
そして、ピアノの前の椅子に座り、俺に対して、不気味なほど柔らかい笑みを向けてきた。
「……おはよう」
「おはよう? あら、今はもうお昼のはずだけれど……」
「えっと、午前八時です」
「隣にいらっしゃい。愛也くん」
なんかまた、面倒なストーリーを用意してきてるな……。
「ご苦労だったわね。牛たちは元気だったかしら」
どうやら、牧場っていう設定らしい。
「朝の六時に起きて、牧場で牛たちの世話をしてから、隣町のマルケスさんの元へ、熟成したチーズを届けるという仕事を終えて、ここに来たのよね。愛也くん」
ご丁寧に、説明が入った。
……いや、付き合わないけどね?
「あの、授業に参加したいから、早く終わらせてくれない?」
「ピアノはね? 魂を震えさせるのよ」
「ねぇ」
鳥山さんが、目を閉じて、ピアノを弾き始めた。
上手いな……。
でも、なんで、2020年にもなって、あ○ちゃんのオープニングを弾いてるんだろう。
「どう? 震えたでしょう?」
「そうですね」
「ピアノが奏でるメロディと、あなたの心が重なった時……。きっと、私たちの愛は、確かなものとなるのよ」
「へぇ……」
「音楽は、音で楽すると書いて、音楽なの」
「めちゃくちゃ失礼な間違いしてるよ」
壁に飾ってある、音楽家の偉人たちの絵画に、怒られてしまいそうだ。
「さぁ愛也くん。あなた、リコーダーはちゃんと持ってきたわね?」
「あぁうん……」
「セッションしましょう」
「いや、こんなのもう、何年ぶりに触るかわからないしな……」
どこでどの音が出るかすら、覚えていない。
すると、鳥山さんが、首を横に振った。
「わかってないわね。愛也くん……。音楽は、響きなの」
「はい」
「あなたが気持ちを込めて、ただ息を吹き込めば……。それできっと、素晴らしいハーモニーが生まれるわ?」
「そうですか……」
「じゃあ、行くわよ?」
鳥山さんが、再びピアノを弾き始めた。
やっぱり上手いけど……。
……なんで、プリ○ュアの初代オープニングなんだろう。
もしかして、笑ってはいけない。的な企画なのかな。
そう思ったので、俺は少し、笑ってみた。
「愛也くん。遊びじゃないのよこれは。早くリコーダーを吹きなさい」
……怒られたんですけど。
とりあえず、適当に音を出してみる。
なんとなく、感覚を思い出してきて、音階は把握できるようになったけど……。
さすがに、鳥山さんに合わせることはできない。
しばらくして、鳥山さんが手を止めた。
「素晴らしいセッションだったわ」
「……そうですか」
「えぇ。あなたはやっぱり才能があるわね」
そろそろ教えてほしいんだけど。
この設定は、一体なに?
「ところで、愛也くん」
「ん?」
「ちょっと、外が騒がしい気がするのよ」
「そう?」
「見て来てくれない?」
「……しょうがないな」
「あっ、リコーダーは置いていきなさいよ」
一瞬、声色に、変化があったような。
いつもの鳥山さんの、クレーマーっぽい、突っかかってくるような、棘のある声。
……まさか。
「……俺が外を見ている間に、リコーダーの咥える部分を舐めるとか、そういうことはしないよね?」
「ぶううううううううううん」
「え?」
「ぶぅん! するわけぶぅん!」
「……鳥山さん?」
「いいからリコーダーを寄越しなさい!!!」
最初から、それが目的だったのか……。
なんて回りくどい方法なんだろう。
「このピアノと交換しましょうよ。高く売れるわよ?」
「鳥山さんのピアノじゃないでしょ……」
「別に、リコーダー全体が欲しいって言ってるわけじゃないわ? そのちょうど魚谷くんが咥えてた部分だけが欲しいの」
「そこだけ奪われても、その後残りの部分の使い道がないでしょうが」
「じゃあ今から全部舐めなさいよ!!! 一本丸ごともらってあげるから!!!!」
酷い発言。
さっきまで弾かれていたピアノが、可哀そうに思えてきた。
「魚谷くんって、本当に頑固よね。プレゼント精神が無いっていうか。きっと、昔からサンタさんとか、信じてなかったタイプでしょう? 夢が無いのよ。夢がね。私は今年のサンタさんに、魚谷くんを頼むわ。デカい靴下も用意したの。あと、そのために家に煙突まで付けたわ。それから、靴下の横に、二億円くらい現金を用意するつもりでもいるの。今年の私は本気よ?」
「教室に戻ってもいいかな」
「構わないけど、その唾液棒を置いて行きなさい」
「リコーダー作ってる人に謝ってよ」
いや、俺から謝っておこう。
YAM○HAのみなさん。すいません。
彼女、ちょっとクレイジーなだけで、根は良い子なんです。多分。
「あのね魚谷くん。そうは言うけども。私があなたに、リコーダーを持ってきなさいと言わなければ……。そのまま、押し入れに眠ったままだったのよ?」
「そうだけど……」
「リコーダーだって、後にスクラップにされるくらいだったら……。唾液棒として、生まれ変わったほうが、本望だと思うわよ?」
なんか、エコっぽいこと言ってるけど、普通に変態だからな……。
「じゃあ、分かったわよ。買います。はい。いくらだったら売ってくれるの?」
「額の問題じゃないから」
「二百万くらいなら、すぐに出せるけど……」
「本当に、頭悪いんじゃないの?」
「そうよ。頭悪いわよ。だって、前頭葉が魚谷くんでパンパンだもの。思考が全部魚谷くんに支配されている……。むしろ、それにしては、普通に会話できている方だと思うわよ? 並の人間だったら、魚谷くん好き好き好き~! くらいしか、発せられなくなっているはずだもの」
「まぁ、今回は、ご縁がなかったということで……」
「……もういいわ。加恋ちゃんに、適当に盗んでもらうから」
鳥山さんが、ため息をついて、音楽室を出て行った。
……本当。早く捕まってくれないかな。
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