第52話 脳みそが魚谷くん一色に染め上げられてしまったじゃない!
「おはよう魚谷くん」
「……おはよう」
現在時刻、午前三時。
おはようなのか、こんばんはなのか……。
挨拶に迷う時間帯。
俺は鳥山さんに呼び出され、喫茶店を訪れている。
「さぁ。早速入店するわよ」
「うん……」
瞼を擦りながら、鳥山さんの後に――。
続こうと思ったら、急に開きかけたドアを閉じて、こちらに向き直ってきた。
腰に手を当て、ふくれっ面。
「どうしたの?」
「……普通、こういうのって、男性が開けるものじゃないかしら」
「あぁ……。ごめんごめん」
「ちょっと! ちゃんと起きてるのかしら!? 一発ぶん殴ってやらないとダメね!」
「おおお起きてる起きてる!」
拳を構えた鳥山さんを、慌てて宥めた。
「全くもう……。しっかりしなさいよ。喫茶店の店員さんに。私の夫が、基本的なマナーもできていないような男だと知られてしまったら……。店員さんを消すしかないもの」
「どんな発想してるの?」
「さぁ。ほら早く。私と位置を入れ替わりなさい」
「わかったわかった」
鳥山さんと入れ替わり、ドアに手を伸ばした。
しかし、その手を鳥山さんに捕まれ、ドアを開く動作をキャンセルさせられた。
「……今度はなんでしょう」
「ちゃんと……。手を繋ぎながら入店しなさいよ!」
「えぇ……」
「あのね! 新婚夫婦なのだから、どこに行くにもイチャイチャラブラブが当たり前でしょう!? 倦怠期の夫婦と勘違いされたらどうするのよ!」
「少なくとも、若者二人が入店してきて、夫婦と思う店員さんはいないと思うから、その心配は必要無いと思うけどなぁ」
「なるほど。じゃあわかったわ。五分待ちなさい」
「えっ」
鳥山さんが、近くの公園に向かって、走り始めた。
そして五分後。
「お待たせ!」
……ウェディングドレスを着て、戻ってきた。
「……なんで?」
「これで間違いなく、夫婦として見てもらえるでしょう?」
「ヤバイ奴だと思われるよ」
「そうね。魚谷くんもちゃんと着替えないと」
「……」
こうして、俺も正装に。
「ちゃんと腕を組まないとね」
「花道じゃないんだから」
「じゃあ、早速入店しましょう」
鳥山さんの柔らか成分を腕に感じつつ、ようやく喫茶店に……。
「あぁああっ! しまったわ!」
「……今度はなに?」
「コーヒーチケットを、着替える前の服のポケットに、入れっぱなしにしてしまったのよ!」
鳥山さんが、慌てて公園に戻って行った。
しかし、なかなか帰ってこない。
どうしたものかと、様子を確認しにいくと――。
「……やってしまったわ」
鳥山さんが、自販機でコーヒーを買っていた。
「えっ……。何してんの」
「違うの。聞いて魚谷くん」
缶コーヒーを持つ手が震えている。禁断症状かな?
「私、この公園は、よくランニング中に通るのよ。その時いつも、自販機でコーヒーを買うのよね。その癖が、今ここでついうっかり出てしまったわ」
そんなことって、あるのかなぁ。
「そんなことって、あるのかなぁ。って顔してるわね」
「ビンゴだよ」
「だいたい、あなたの正装がボンバー級にかっこよすぎるからいけないのよ!? ついうっかり見惚れてしまって、脳みそが魚谷くん一色に染め上げられてしまったじゃない! だからきっと、正常な思考が失われて、普段の習慣として行っている動作が、本能的に引き出されてしまったんだわ!」
「いや、あの」
「ほら見なさい! 体が勝手に動き出してるもの!」
その場で足踏みしたり、手を慌ただしく動かしたり……。
深夜三時に、こんな人を公園で見かけたら、身の危険を感じるだろうな。
「と、とっととりあえず、一旦落ち着かせてちょうだい。ベンチに腰掛けて、コーヒーを飲むの」
そう言って、自販機の横のベンチに腰掛けた鳥山さん。
「あなたも何か飲みなさいよ。私だけまったりしているもの、気が引けるわ」
「じゃあ……」
俺は適当なジュースを買って、鳥山さんの横に腰かけた。
改めて、何このシチュエーション。
「それにしても、ウェディングドレスって、走り辛いわね」
「走ることを想定されてないからね」
「私、結婚式では、魚谷くんと短距離走で勝負する余興をやりたいと思ってるのよ」
「……なんで?」
「あなたの両親や親族に見せつけるの。私の早さをね」
「一人で走れば良いじゃん」
「あんぽんたんね! 私が先にゴールして、魚谷くんを待ち構えておくのよ! そしたら魚谷くんが、私に抱き着いてきて、そのまま誓いのキス……」
「どんな結婚式なのそれ」
「あぁあ~! 楽しみになってきたわね! もうっ! もうっ!」
「痛いって」
背中をバンバン叩かれて、ジュースが口から出てしまいそうになった。
「……で、喫茶店はどうする? もうやめとく?」
「やめないわよ。なんのためにこんな時間に、わざわざ集合したと思っているの?」
そう言えば、理由を聞いてなかったな。
「もちろん……。あなたと日の出を見るためよ」
「……なるほど」
「大好きな人と迎える太陽……。まるで、私たちの幸せな時間を演出するかのような、そんな美しさがあると思うのよね」
「今日、めちゃくちゃ曇ってるけど」
「そうなのよ。どうしてくれるの!?」
「知らないよ……」
なんか、前もこんなことがあったような……。
「だから、今日は解散にしよう」
「待って。魚谷くん。せっかくこんな服装をしているのだから、記念撮影しましょうよ」
「記念撮影?」
「えぇ。いいでしょう?」
「いいけど……」
鳥山さんに、腕を組まれた状態で、黒服に写真を撮られた。
「ふひっ、ひひ」
なにやら怪しげな笑みを浮かべる鳥山さんが、若干気がかりではあったが……。
とりあえず、その日は解散になったのでよかった。
☆ ☆ ☆
翌日、登校すると。
「……えぇ」
黒板に、昨日撮った写真が、拡大して貼り付けてあった。
「おはよう魚谷くん」
「……おはよう」
「素晴らしいでしょう? 私たちの愛の証」
「ホラー写真みたいになってるけど」
深夜の公園。
後ろの木に注目してほしい……。
みたいなナレーションが流れそうだ。
「これで言い逃れできないわね! もう私たちは結婚してるのよ! あっはっはっは!」
あっはっは。
……転校したい。
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