第51話 まさに、魚谷くんの裸体なのよ。

「これはまるで、魚谷くんの寝汗ね」


 ドーナツを頬張りながら、鳥山さんが、意味のわからないことを言った。


「うん。こっちも美味しい。まるで魚谷くんの爪の垢ね」

「ごめん。それ気持ち悪いからやめてくれない?」

「そうよね。女子高生が、司会者でも無いのに蝶ネクタイは気持ち悪いわよね」

「違う違う」


 確かにそれもちょっと気持ち悪いけど。


「さっきから、食事中とは思えないくらい、下品な発言が続いてるから」

「魚谷くん」

「なに?」

「このドーナツ屋さんに、百円セールの時以外、来たことあるかしら」

「……無いけど。それがどうかした?」

「まさに、魚谷くんの裸体なのよ」

「それそれそれ。なんなの本当に」

「これよ」


 鳥山さんがカバンから取り出したのは……。一冊のノート。

 促され、中を確認。すると……。


「どうかしら?」


 魚谷くんも歩けば棒に当たる。

 魚谷くんのくたびれもうけ。

 魚谷くん追う者はなんでも得る。


 ……えぇ?


「もしかして、ことわざ?」

「ビンゴよ。まさに、魚谷くんのご名答ね」

「それはことわざでもなんでもなくない?」


 いや、それに限らずだけども。


「こんなもの作って、どうするつもりなの?」

「わかるでしょう? 学習教材にするのよ」

「誰の」

「私たちの子供に決まってるじゃない!」

「……」

「まさに、魚谷くんの宝石箱ね」

「それはちょっと違うでしょ」


 急にグルメリポートが始まってしまった。


「私の愛、伝わるでしょう? あなたでことわざ辞典を作ろうとしてるのよ!? あなたの作品も作ってるし……。私、きっと百年後、国語の教科書に載っちゃうわね!」


 一体、どこからその自信がくるんだろう。


「……ちなみに、魚谷くんの寝汗は、どういう意味なの」

「コクがあって美味しいって意味よ」

「飲んだことないでしょ。俺の寝汗」

「加恋ちゃんからもらったわ」


 加恋……。


「全然嬉しそうじゃないわね……。がっかりよ! あなたのことが好きじゃないと、作れないのよ!? こんなに愛がたっぷり詰まったノート……。もはや、ラブレターじゃない! どうして受け入れてくれないのよ! ちょっと表出なさい!」

「ヤンキーじゃないんだから」

「それか、裏に連れ込んでめちゃくちゃにしてやろうかしら!」

「店員さんじゃないよね?」


 急に大声出したもんだから、店内に緊張が走っている。

 セール中なので、とにかく客が多い。


「もう少し、声のボリュームを落とそうか」

「そうね。二階から魚谷ってヤツよ」

「どういう意味なのそれ」

「二階からでも魚谷くんを見つけたら飛び降りて抱きしめるって言う意味よ」

「怖いし、だとすれば使い方間違ってるじゃん」

「うっかりさんだったわ。まさに、魚谷くんも木から落ちるね」


 ……猿と同じ扱いをされたみたいで、嫌なんですけど。


「魚谷くん。手が止まってるわよ? せっかく美味しいドーナツなんだから。早く食べなさい」

「あぁうん……」


 鳥山さんが地獄のようにボケなければ、とっくに食べ終わってるんですけどね。


「桃栗三年。魚谷くん八年」

「はい?」

「なんでもないわ」

「はぁ……」

「石の上にも魚谷くん!」

「興奮しないで」

「一寸先は魚谷くん!」


 これはダメだな。付き合いきれない。


「今日はこれで、解散にしようか……」

「待ちなさい魚谷くん。魚谷くんの寝汗降って、地固まるなのよ」

「その寝汗っていう表現本当に気持ち悪いからやめてくれない?」


 せめて、シンプルに汗って言ってほしい。

 限定されている部分に、鳥山さんのフェチズムを感じて、怖くなる。


「だってしょうがないじゃない。本当なら、魚谷くんに催眠をかけて、私をベッドだと勘違いさせて、上に乗ってもらって、そしたら魚谷くんがやがて眠りについた時、寝返りを打つと思うのだけれど、部屋は暖房を効かせて汗をかきやすい状態になっているから、そのたびに首筋から汗が伝うのよね。あと頭皮からも当然吸引するわ。これを十時間。しっかり睡眠とってもらって、続けたいと思います」

「そうですか」

「縁の下の魚谷くん……。って、絶対汗かいてるわよね。あんなところ。ムシムシしてるもの。今度試してみましょうよ」


 気が付くと、店内には俺たち二人だけになっていた。

 ……会話が聞こえた人たちが、帰ったんだと思う。


「鳥山さん。今、間違いなく社会にとって不利益なことを、俺たちはしてると思うよ」

「だからなんなのよ! 文句があるならかかってきなさい! あなたの魅力がありすぎるからいけないの。私は悪くないわ。まるでサキュバスに誘惑された子供のように、あなたに夢中で目が離せない。わかる? これぞまさに……。魚谷くんは、災いの元ね」


 ようやく正規の意味に近いものが出てきたな……。


「もう、良いかな。帰ろう」


 店員さんの目が痛すぎるので。


「今度は、虎杖先生も混ぜてやりましょう。一応国語の教師だから、少しくらいは期待できるはずだわ」

「絶対巻き込まないであげて。かわいそうだから」

「かわいそう? あらぁそれはもう……。九死に魚谷くんね」

「それ、死んでるけど」

「そうね。死ぬまでずっと一緒にいましょうね」


 ……急に、重たいけど、ちょっとそれっぽいこと言われて、ドキッとしてしまったので、俺の負けです。ありがとうございました。

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