第39話 このまま魚谷くんが二十四時間私の髪の毛を撫で続けるっていう企画でもいいけど。
「かっこいいわね……」
鳥山さんが、廊下で何かを読みながら、小さく呟いた。
こちらから話しかける必要もないだろう。俺はこっそりとバレないように、横を通りすぎようとした。しかし――。
「あら魚谷くん。私に話しかけないってどういうつもり?いじめとして県の教育委員会に報告してやるわよ?」
……捕まりました。ちなみに当然のように、ノールックで話しかけられている。
「……何読んでるの?」
「よくぞ訊いてくれたわね。これよ」
鳥山さんが読んでいたのは、車の雑誌だった。
「意外だな……。鳥山さん、車好きなの?」
「そうね。車に乗っている魚谷くんと自分を想像して、あははな妄想や、うふふな妄想をするのが好きだから、確かに車のことが好きと言えるかもしれないわ」
「言えないよ」
まさかこの雑誌を作った人も、こんな使い方をされるとは、思ってなかっただろうな……。
「そのためだけに、雑誌を買ったの?」
「えぇ。こないだは航空機の雑誌を買ったわ。私が両翼で、魚谷くんが機長さん」
「せめて人として妄想したらどうだろう」
色々歪みすぎてる。この人は。
「でもね魚谷くん。車と男女というのは、結構昔から密接な関係にあるのよ」
「そうなの?」
「例えばほら。ルパ○三世なんかでは、車がよく登場するじゃない。それでルパンがふじこちゃんに車を奪われて~っていう。それから、007シリーズね。あれには必ず、メインとなる車、さらにはヒロインが登場するわ」
「なるほどね」
「それに、現実でもそうじゃない。昔はカセットなんか良く流しながら、海岸沿いをドライブして……。きゃあ~!たまんないわね!」
……元気だなぁ。
でも、鳥山さんにしては、健全な妄想と言えるかもしれない。
「高校を卒業したら、魚谷くんを私の車に乗せてあげるわ。スカイラインよ」
「未成年が乗る車じゃないでしょ……」
「あのね魚谷くん。成人年齢も引き下がったことだし、私たちはもう高校二年生なのだから、自分たちがすでに大人であることを自覚するべきだわ?違う?」
急な正論。
「そうだね」
「だけど、さすがに今車に乗ったら、無免許運転で捕まってしまう。だから私は考えたの。運動場に行きましょう?」
鳥山さんに手をガッチリと捕まれ、運動場へ。あっ、一限はもう諦めました。
「じゃじゃん!」
運動場のど真ん中に……。ハンドルが置いてある。
「うんうん。ちゃんと用意できてるわね。はいどうぞ」
「いや、なに?」
「ちょっと!頭働いてる!?いいからハンドルを持ちなさいよ!」
「持ってどうするの」
「運転するのよ」
「……?」
「あ~もう!いいわよ!私が先に見本を見せるわ!歯を食いしばりなさい!」
えっ、殴られるんですか?
「間違えたわ。しっかり見てなさい」
「どんな間違いなのそれ」
「イライラしてるのよ!魚谷くんがいつも通りイケメンすぎるから!」
イライラの動機が理不尽すぎる。
そんなこんなで、鳥山さんがハンドルを握ることになった。
「それじゃあ出発ね。エンジン音は任せたわよ」
「正気?」
「正気じゃないわ。生徒はみんな教室で大人しく授業を受けている。私たちはこの広い運動場で二人っきり……。興奮しない方がどうかしてるわよ!」
「一旦落ち着いたら?」
「そうね。魚谷くんが頭を撫でてくれれば、落ち着くと思うわ」
「……本当に?」
「はっはっはっ」
いや、犬みたいになってますけど。
とりあえず、撫でることにした。
……サラサラだな。よく手入れされてると思う。
「……って、余計に興奮したじゃない!どうしてくれるのよ!」
「自分で要求したんだよ?」
「どうするの?今日はドライブデートの予定を変更して、このまま魚谷くんが二十四時間私の髪の毛を撫で続けるっていう企画でもいいけど」
「嫌です」
鳥山さんの髪から手を離した。
「冗談が通じないのね。呆れたわ。じゃあ気を取り直して、ドライブするわよ」
「……どうぞ」
「ぶおんぶおんぶおん!」
結局、自分でエンジン音をやってくれた。
「ETCカードが、挿入されていません」
「そんなところまで再現しなくていいから」
「没入感が大事なのよ……。ほら魚谷くん。見えてきたでしょう?ここが私たちの新居よ。ウッドデッキで、子供たちがこちらに向かって手を振っているわ。たまにはパパとママ、二人でデートしておいでよ。なんて、あの子たちも大きくなったわね」
妄想内で時間が経過しすぎてない……?
あと、車の想像だけでも難しいのに、どうしてこの人は、新居とか、家族の妄想まで、同時にできるんだろう。相変わらずすごいし、才能がもったいない。
「じゃあ出発するわよ。シートベルトは締めた?」
「締めたよ」
「レッツゴー!」
鳥山さんが、ハンドルを左右に回しつつ、歩き始めた。
「……ちょっと魚谷くん。付いてきてよ」
「移動する必要ある?その場で妄想すればいいのに」
「妄想にも限界があるのよ。あっ、あんなところにペガサスがいるわ?森に光をもたらす神の使いよ」
妄想に限界ある人が、ペガサスは産み出せないでしょ。
仕方なく、鳥山さんの後ろについていく。
「それにしても、この車も随分燃費が悪くなったわね。そろそろ買い替えるべきかしら」
「そうしたら?」
「中古の軽トラにしては、頑張ったほうだと思うけれど」
「……なんで中古の軽トラで、ドライブデートしてるの?」
「良いじゃない。新居を建てるために、貯金していたから、友人に譲り受けたこれしかなかったのよ」
どんな設定なんだろう。鳥山さんの描く家庭。
「海が見えてきたわね……。ちょっと窓を開けましょう」
ご丁寧に、ハンドルの横の何かを触る動作をしている。
「わぁ~涼しい!あなた、やっぱりドライブは最高ね!」
「そうだね」
「あなた、キスしない?」
「事故るって」
「大丈夫よ!ここは2050年!自動運転が広く普及した日本!」
「いきなり都合の良い情報を足さないでよ」
「いいえ。最初の描写から、子供たちは二十歳前後という雰囲気が読み取れるはずよ。今年は2020年よね?私たちは25歳で子供を儲けるの。つまり2027年に子供が産まれて、23歳くらいで2050年……。どう?完璧な設定よね!このキスは不可避なのよ!」
「でも中古の軽トラなんでしょ?これ」
「……はぁ」
鳥山さんが、ハンドルを雑に投げ捨てた。
「興奮しすぎて、設定を間違えてしまったわ。全部全部、魚谷くんのせいよ!お詫びのキスをしなさい!」
キスしたいだけじゃないですか……。
当然俺は断り、教室に戻った。ハンドルは黒服がきちんと回収したので、ご心配なく。
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