第38話 大丈夫よ!警戒しないで?ただの飲んだら眠くなる紅茶よ!

 保健室登校と聞くと、なにかあったのかな。なんて、心配されてしまいそうだけど、今日の俺は、まさしくそれをしていた。


 理由はもちろん、鳥山さんに指示されたから……。


 ドアをノックして、保健室に入る。


「失礼します」

「ようこそ」


 椅子に座っていたのは、先生では無くて、鳥山さんだった。まるで自分の部屋みたいな出迎え方。さらに、優雅に紅茶を嗜んでいる。


 ……その頭には、包帯が巻かれていた。

 なるほど今回は怪我パターンか。


「あのね魚谷くん。私、ここへ来る途中に、怪しげな二人組の取引を見ることに夢中になっていたら、背後から近づいてくるもう一人の仲間に気が付かず、頭を殴られたのよね」


 なんかめちゃくちゃ聞いたことある導入だな。体が縮んでいた!とか言い出しそう。


「それで目が覚めたら……。記憶喪失になっていたのよ!」


 ……なるほど。


「いくつか質問してもいい?」

「まずは心配でしょう!?頭大丈夫!?とか!」

「その言い方だと別の意味になるから」

「ちなみに体調は万全よ。この通り、元気だわ」


 鳥山さんは立ち上がり、その場でバク転を披露してみせた。ジャ○ーズじゃないんだから。


「えっとまず、記憶喪失なのに、学校の場所はわかったんだ」

「……にょん」


 動揺したのか、変な相槌をされてしまった。


「あと、俺のこと普通に、魚谷くんって呼んでたし」

「それはちゃんと考えてあったのよ!記憶喪失になっても、愛する人の名前だけは、きちんと心に刻まれていた――。なんてね!」


 ちゃんと考えてある。

 完全に黒じゃないか。


 そもそもあれだけ黒服がいて、記憶を失うほどの打撃を受けたという話が、おかしいとも思う。矛盾だらけだ。


「まぁ細かいことはいいじゃない。とにかく記憶喪失なのよ。虎杖先生とか、猫居さんとか、綺麗さっぱり忘れてしまったわ」


 自分から名前を並べだしたぞこの人。もはやここまでくると、清々しい。


 とりあえず、いつも通り、適当に鳥山さんのやりたいことを吐き出させて、このシチュエーションを終わらせよう。


「魚谷くん。記憶を戻す、何かいい方法はないかしら」

「えっと。まず」

「それはダメね」

「まだ何も言ってないんだけど」

「私がいくつか案を考えたから、それでいきましょう」


 だとすれば、今の会話は世界一無駄だったことになる。もういいですけど。


「まず一つ目。壊れたテレビは叩いて直せ!作戦よ!」

「……大丈夫?」

「まさか、本当に頭を叩くわけじゃないわ。別の場所を叩くのよ」

「どこ?」

「……お尻」


 鳥山さんが、顔を真っ赤にしながら言った。

 ……ついに、ドストレートな変態的欲求を披露するようになったな。


「一応訊くけど、誰が誰のお尻を叩くの?」

「加恋ちゃんが、私のお尻を叩くのよ」


 まさかの登場人物。


「加恋は中等部で、生徒会の仕事をしている最中だと思うよ」

「朝から生徒会!精が出るわねぇ!委員長として、見習いたいと思うわ」


 自分のお尻撫でながら言われてもなぁ。


「で、どうして加恋がいきなり登場したの」

「あなた……。はぁ。早くこちらの域に達しなさいよ」

「絶対嫌だよ……」

「私の尻を、加恋ちゃんが叩く。それを……大好きな人に見てもらう!これが気持ち良くないわけがないじゃない!」

「だったら別に、黒服さんに叩いてもらえばいいんじゃないの」

「わかってないわね本当に。大好きな人の妹に叩かれるからいいんじゃないの」


 大好き大好き言われると困るんですけど、内容があまりに酷すぎて、照れるとかは無い。


「記憶喪失の人って、もっと落ち込んでる印象があるんだけど」

「落ち込んでたって何も良いことはないわ。人生常に前を向いて歩くべきなのよ。私は魚谷くんだけ見て歩いてるけどね!悪い!?」


 流れるように怒りを引き出してしまった。


「とりあえずお尻叩きは却下ということで。他の案は?」

「これはとある昔話から引用した方法なのだけど」

「うん」

「白雪姫よ」


 ……ふぅ。

 困りましたね。


「魚谷くん。白雪姫のストーリーを知っているかしら」

「ある程度は」

「つまりね。キスというのは、ものすごい力がある行為なのよ。だって、死んだ人を生き返らせてしまうのよ?」

「作り話だけどね」

「ちなみに原作では、キスで目覚める描写というのは無いらしいわ。今日のプチ蘭華雑学のコーナーでした」


 珍しくためになる雑学を披露された。覚えておこう。


「それでね魚谷くん。ここに紅茶があるでしょう?」


 さっきから気になっていた。鳥山さんが飲んでいる紅茶とは別に、もう一つ、すでにカップに注がれたものが用意されているのだ。


「これを飲んでくれるかしら」


 ……絶対何か入ってるでしょ。


「大丈夫よ!警戒しないで?ただの飲んだら眠くなる紅茶よ!」

「……」

「私、記憶喪失なの。かわいそうだと思わない?」

「思い出したかのようにそれ言うの、良くないよ?」

「魚谷くんのノートを食べたり、鼻を噛んだティッシュをもらったり、汗を飲んだり……。あれだけたくさんあった思い出が、全部消えてしまったのよ?かわいそうだと思わない?」


 全部覚えてるじゃん。なんて、ノーマルなツッコミはしない。

 保健室から出ようとしたところ、鍵がかかっていた。うわぁ終わったかも。


 鳥山さんの目が据わっている。さっきから、挙動不審な動きが増えてきた。


「ふ、ふふ。魚谷くん。早く飲みなさい?」


 あれ?なんだか鳥山さんの体が、左右に揺れているような……。

 と、思っていたら、椅子から転げ落ちそうになったので、慌ててその体を支える。


「と、鳥山さん?」

「……間違えたわ」

「えっ?」

「あなたに飲ませる予定だった、睡眠薬を入れたほうの紅茶を、飲んでしまったみたい」

「……」

「自分で入れたのに、どちらかわからなくなるなんて……。まるで本当に、記憶喪失みたいねっ……」


 最後に、ちょっとうまいこと言ってから、鳥山さんは眠ってしまった。


 鍵が開き、黒服登場。鳥山さんを抱きかかえ、保健室のベッドに運んだあと、俺に、退出するよう手で促した。


 ……朝のイベントとしては、ちょっとヘビーすぎないか?これ。

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