第36話 ……んぐっ、んっ。

「暑いわね……」

「うん……」


 今日は真夏日。俺は鳥山さんとともに、校内の清掃を行っている。


 なぜかと言うと……。例によって、鳥山さんの指示だ。


『私はクラス委員長だから、校内での評判も大事なのよ!そして、その隣に立つあなたもね!定期的にボランティア活動をするべきなの!わかる!?』


 なんて、怒鳴られたわけですが、校内での評判を気にするのであれば、もっと他に改善できるポイントがあるんじゃないかなぁなんて。思ってます。言わないけどね。怒られるから。


「いつも放課後、掃除をしているはずなのに、どうしてこんなに汚れるのかしら。きちんとやってない証拠だわ?」

「まぁ……。学生だからね。遊びたい盛りだし」

「あなた、私じゃなくて、学生の肩を持つのね」

「いつから学生全体の敵になったの?」

「魚谷くん以外の学生なんて、クソガキよ。みんな退学になればいいと思ってるわ」


 校内の評判も大事なのよ!と、熱弁した鳥山さんは、どうやらこの暑さで、溶けて消えてしまったらしい。


 ただ、鳥山さんの怒りも理解できるくらいには、結構あらゆる箇所が汚れていた。酷いと、廊下にスナック菓子がそのまま零れていたりなんかして……。


「全く。食べ物を粗末にするなんて、最悪だわ」


 鳥山さんが、廊下に落ちているスナック菓子を、手で回収し始めた。


「魚谷くん。ちょっとこれ、受け取ってもらえる?」

「え。なんで」

「いいから」


 鳥山さんが、回収したスナック菓子を、俺の手に乗せてきた。あぁ、ゴミ袋を取りにいくのか。なるほど。そう思っていたら――。


「ひゅるるんっ!!!」


 ……ものすごい音を立てながら、俺の手に乗っているスナック菓子を吸い込んだ。


「……うん。きちんと浄化できてるわね」

「鳥山さん……。お腹壊すよ?」

「壊さないのよ。魚谷くんの手に触れたものは、全て神聖になるから」

「怪しい宗教みたいなこと言い出したね」

「さぁ、掃除を再開するわよ」


 本当に、別に何もしてませんみたいな顔して、すぐに作業へ戻っていくから、この人はすごい。


「それにしても、今日は何度なの?この暑さは異常ね」

「えっと……。最高気温は、三十八度って言ってたかな」


 今は夕方なので、それよりは下がっていると思うけど。


「魚谷くん。きちんと水分補給をして、タオルで汗を拭かないとダメよ?」


 鳥山さんが、黒服を呼び寄せた。綺麗なタオルと、スポーツドリンクを持っている。それを俺に手渡してきた。


「ありがとうございます」


 黒服は素早く帰って行った。この暑さでも黒服を着ないといけないのは、すごくしんどいと思う。


「さぁさぁ。飲んで?それで、汗をたくさん拭くのよ」

「うん。ありがとう。鳥山さんも、さっきから全然水飲んでないけど、大丈夫?」

「大丈夫よ。私は水分がなくても、魚谷くんがいれば活動できるから」

「……そうですか」

「ちょっと!?今のは結構萌えセリフだったと思うわよ!?どうしてそんな引きつった顔をしてるのよ!」

「そんなに怒ると、体温上がるから……」

「……体温なら、大好きな人の隣にいるせいで、上がりっぱなしよ」


 ……。


 急にそういう、ストレートな攻撃が飛んでくると、結構ダメージ量が大きい。

 俺は鳥山さんから離れた場所を掃除することにした。階段の下あたり。普段掃除しているのかどうかも怪しいレベルで、埃が溜まっている。


「ふぅ……。こんなもんかな」


 水をたくさん飲み、汗をかいた。何度もタオルで拭いたせいで、あっという間にびしょびしょだ。


「お疲れ様魚谷くん。タオルは大丈夫かしら?替えも用意しているから、遠慮なく言うのよ?」

「いや、さすがに悪いよ。洗って返すから」

「洗って!?恐ろしいことを言うのねあなた!」

「……?」

「……ごほんっ。何でもないわ」


 黒服がやってきて、強制的にタオルを代えられてしまった。


「ほら。もう少しでノルマ達成よ。ラストスパート。頑張りましょう?」

「そうだね」


 鳥山さんと一緒に、最後、三階の廊下を掃除していく。壁に古い掲示物が残っていたり、誰も使っていないロッカーに卒業生の忘れ物が詰め込まれていたりと、ここもなかなか酷い有様だった。


 二人でなんとか協力して……。無事終了。


「お疲れ様、魚谷くん。タオル、もらうわよ」

「あぁうん……。でも、俺の汗をかなり吸ってるから、汚いと思うんだけど」

「まだそんなことを言ってるのね。仕方ないわ。見せてあげる」

「え?」


 鳥山さんは、俺のタオルを、徐に頭の上に掲げた。


 そして、口を大きく開け、そのタオルを……。口の上で、絞り始めたのだ。


 ……嘘でしょ?


「……んぐっ、んっ」


 絞られたタオルからは、水分が染み出していく。ポタポタと垂れるそれを……。鳥山さんは、飲んでいるのだ。


 目の前の光景がショッキングすぎて、俺は暑さで幻覚を見ているのかと思ったが、そんなはずもなく。


「ぷはぁ~!最高ね!夏はやっぱりこれよ!」


 まるで、生ビールを飲む親父のような発言をして、タオルを握りしめた。


 その手を、ペロペロと舐めている。最初から最後まで、隙の無い気持ち悪さを披露されてしまった。


「……鳥山さん」

「何よ。これを訴える法律は、世の中に存在しないの。わかる?私があなたに貸したタオルを回収して、タオルからあなたの汗を絞り出して飲んだ。別に犯罪ではないし、セクハラですらないもの」


 正論、かもしれない。


 ……えぇ?これを取り締まれないのか。この国。


「本当は、あなたの下着で同じことをする予定だったのよ?前日に加恋ちゃんに、私が購入した下着をこっそり忍ばせて、理由をつけて回収。だけど、パンツというのが鍵になっていて、これはセクハラが成立する恐れがあるのよね。うん。性器が触れた箇所が存在するから」


 至って冷静に、自分の犯行がいかに優れているかを語る様は、まさにサイコパスだった。


「あの、じゃあもう、帰ってもいいかな」

「そうね。今日はありがとう魚谷くん。ごちそうさま」


 せめて、さようならと言ってほしかった。

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