第35話 男である魚谷くんは、私の母性に屈することになるわ!

「はぁ~い。じゃあみんな、教科書を開いて~?」


 虎杖先生がやってきた。一限は国語の授業だ。


 そして……。鳥山さんが、まだ来ていない。


 前、同じようなシチュエーションで、俺はてっきり、鳥山さんが休みなんだと思って、テンションを上げてしまったことがある。実際は、それを嘲笑うかのように、教師として登場したわけだが……。


 五分、十分と、授業が進んでいく。まだ来ない……。


 なんとなく、虎杖先生の表情にも、緊張感が見える。いつ鳥山さんがやってきて、授業を妨害されるのか……。それが気になってしまうのだろう。


 そして、三十分程度経過した時。いきなり教室の後ろのドアが開き。


 ――血まみれの鳥山さんが現れた。


 当然、クラスの注目が集まる。それを気にすることなく、鳥山さんは、自分の席へ……。


「と、鳥山さん。おはよう……」

「えぇ。おはよう先生」


 血まみれのまま着席し、血まみれのままカバンから教科書、及びノートを取り出す。そして、何事も無かったかのように、黒板の文字を書き取り始めた。


「……えっと、それでね。三蔵法師は」


 仕方なく、虎杖先生も授業を再開。


 ……ただ、クラスメイトの視線は、変わらず鳥山さんに向いている。


 おそらく、血は偽物だ。本物だったら、まず間違いなく死んでいる量だし、いよいよ化け物説が立証されてしまうだろう。


「……うっ」


 そう思っていたら、鳥山さんが、急に胸を押さえながら、倒れてしまった。


「と、鳥山さん!?大丈夫!?」


 虎杖先生が、慌てて鳥山さんの元へ。鳥山さんは、差し伸べられた虎杖先生の手に……。


 ――噛みついた。


「いったぁ~い!!ちょっと鳥山さん!?どうして!?」

「あう、うああ!!!」

「痛い!た、助けて!」


 クラス中に恐怖が走っている。誰も動けなかった。


 ……仕方ない。俺が行くしかないのか。


「あの、鳥山さん?」

「……はっ!」


 俺の顔を見た瞬間、鳥山さんが、虎杖先生の手を離した。


「うぅ……」


 虎杖先生は、泣きながら教室を出て行った。多分、手を冷やしに行ったんだと思う。本当にかわいそう。


「鳥山さん……。なにしてんの?」

「う、魚谷くん。良かったわ。あなたのおかげで、正気に戻ることができたの」

「……」


 また、なんか始まったなこれ。


「どういう意味?」

「実はさっき、校門で不審者に遭遇したのよ。いきなり襲われて、殴られたり、噛みつかれたり……。ちょうど生徒指導の先生がそばにいたから、助かったんだけど……」

「……えっと?」

「それで、今、突然ね?人間の手が美味しそうに見えて……」

「……バイ○ハザード的なノリ?」

「それよ!」

「それか」

「ま、間違えたわ!違うの!今のは忘れなさい」


 ……はぁ。


 毎度思うけど、この人の発想力を、少しで良いから、社会貢献とかのアイデアに回せないものかなぁ。


「とにかくね?その不審者に噛まれてから、私、体がおかしいのよ。人間がとっても美味しそうに見えて、我を失ってしまうの」

「はい」

「だけど、魚谷くんの顔を見た瞬間、正気に戻ることができた。これはどうしてだと思う?」

「……さぁ」

「あなたのことが~好きだからよ!わかるでしょう!?」


 とりあえず、教室の外に出すことにした。血糊がベタっと手について、不快感が増していく。


「触ったわね魚谷くん。こういうの、セクハラっていうのよ」

「これがセクハラだとするならば、女性は無敵になってしまうね」

「そうよ!男である魚谷くんは、私の母性に屈することになるわ!いずれね!」


 何その宣言……。


「で、どうして急に、パンデミックごっこを?」

「昨日、たまたまテレビで、ゾンビ映画をやっていたのよ。これだぁ~って、閃いてしまったわね」

「小学校二年生くらいの自由度だよね」

「うるさいわね!誰しも一度は妄想するでしょう!?もし学校が、ゾンビに襲われてしまったら……って!」

「するけど、ゾンビ側で妄想したのは、多分鳥山さんが世界で初めてだと思うよ」

「ふふっ。成し遂げたわ」


 鳥山さんがキメ顔をした。全く褒めてないんですけど。


「えっと……。まぁ、俺は良いんだよ。もう慣れたからさ。それよりも、虎杖先生に謝ったらどうだろう。すごく痛そうにしてたよ」

「そんなことより」


 そんなこと……。


「私ね?発症を抑える方法を知ってるのよ」

「まだその話するの?」

「愛する人を目にした時、正気に戻ることができた……。これすなわち!愛がキーワードであることは間違いないわよね!」


 あっ、なんか良くない方向に話が進んでますね。


 鳥山さん?なんか距離が……。近い気がしますけど。


「ふふふふ。自ら廊下に連れ出したことが、判断ミスだったわね」

「と、鳥山さん。一旦落ち着こう」

「ちょっと色々するだけよ。ね?」

「目が飛んでるって。ねぇ」

「ぎょほほほ」


 ぎょほほほって。初めて聞いたそんな笑い方。


 どんどん迫ってくる鳥山さんから、ジリジリと後退していたが、とうとう廊下の端まで追い詰められた。


 しかし、そこにはちょうど水道があり、患部を冷やしている虎杖先生が!


「い、虎杖先生!助けてください!」

「先生!邪魔しちゃダメよ!クビにしちゃうんだから!」


 俺たちに気が付いた虎杖先生が、こちらを向いた。


 ……なにやら、暗い表情をしている。足取りもフラフラしていた。


「……先生?」


 鳥山さんも、虎杖先生の異変に気が付いたらしく、動きを止める。


「……ああぁ」


 虎杖先生が、低い声を漏らした。


 ……え?


「う、魚谷、くん。虎杖先生が……」


 鳥山さんの手が震えている。虎杖先生の動きはまるで……。ゾンビみたいで。


「嘘でしょ?そんな。え?」


 徐々に先生が近づいてきた。そして……。


「うがあああ!!!」


 鳥山さんに襲いかかった!


 ……いや、なにこれ。


「な~んちゃって。どう?私、昔演劇部だったの。ゾンビの役もやったことあるんだよ?」

「なるほど……。いや、結構リアルでしたよ。ね?鳥山さ……」


 鳥山さんは……。


 涙を流しながら、虎杖先生を見上げている。


「えっ、ご、ごめんね?私、泣かせるつもりじゃ」

「……訴えてやるんだから!」

「ちょっと!?鳥山さん!?」


 涙を拭いながら、駆け足で去って行った鳥山さん。


 虎杖先生が、ゾンビみたいな顔色になってしまった。


「魚谷くん。私、女優になろうかな」

「しっかりしてください」


 なかなかうまい皮肉だったけど、笑うことはできなかった。

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