第30話 婚姻届けを書く練習よ。
「……」
「……」
「……なによ」
「その……」
鳥山さんが、手に包帯をぐるぐる巻きにして登校してきた。
「骨折?」
「そうよ。骨折よ。これが世に言う骨折」
「その言い方はちょっとよくわかんないけど……。どうしてまた」
「昨日の夜、近所の公園で、魚谷くんを好きである気持ちを叫んでいたんだけど……」
完全に不審者だった。そのうち職務質問されそう。
「うっかり足をすべらせて、ジャングルジムから落ちちゃったのよ」
「あ、ジャングルジムに登って、叫んでたんだ」
「そうね。説明不足だったわ。ごめんなさい」
……なんだか今日の鳥山さん、覇気を感じないな。さすがに骨折ともなれば、いつも通りクレーム攻撃をするわけにもいかないってことか。
「ジャングルジムに登って、拡声器を使って、魚谷くんの好きなところベスト100を発表していたわ」
「……それで、足を滑らせたと」
「笑いなさいよ。哀れでしょう?」
「笑えないって」
やってることも笑えないし、起きてしまったことも笑えない。
「だから私、今日はノート取れないのよね。魚谷くん。私の代わりに、書いてくれないかしら」
「あぁうん。それなら、後でコピーした奴を渡すよ」
「え?違うわよ。私のノートに書いてほしいって言ってるの」
「……なんで」
「……はぁ。こんなことを、いちいち説明しないといけないなんて、呆れちゃうわね」
いつもなら大きな声で言いそうなセリフだけど、やっぱり今日は元気がない。
「私たち学生は、大事なことをしないまま、大人になってしまうの。それが何かわかる?」
「いや……。わからない」
「婚姻届けを書く練習よ」
「……はぁ」
「ギプスで殴るわよ?」
「やめときなって」
骨に響くでしょうに。
「そもそも、同じ一枚の紙に、夫婦で文字を記入するという機会は、そう多くないわ。だって、大人になればなるほど、家庭で文字を書く機会は減っていく。でも……。学生はどう?毎日のように文字を書くでしょう?だから私は閃いたのよ。同じノートに二人分の文字がある。これはつまり、婚姻届けだと」
こんだけしっかり最後まで聞いたのに、よくわからなかった。
「正直二度手間になるからさ……。気が進まないなぁ」
「魚谷くんの方はノートを取らなければいいじゃない」
「めちゃくちゃ身勝手なこと言ってるね」
「骨折してるんだもの。多少のわがままは許しなさいよ」
そう言われると、こちらの立場も弱いけど……。
「わかったよ。じゃあノートは鳥山さんのやつだけ取ることにするから」
「ちょろいわね!」
「え?」
「何でもないわ。チェコスロバキアって言ったの」
「……そうですか」
明らかに、チョロいって言われた気がするけど。
「あ、喉が渇いたわ。魚谷くん。口移しで飲ませなさいよ」
「いやいや」
「はぁ?骨折JKよこっちは。言うことが聞けないわけ?」
骨折JKって。
「なんか、元気出てきたみたいじゃん」
「出てないわよ!」
「ほら」
「あっ……。ち、違うのよ。そういう動物なの私は」
「何その言い訳……」
「良いからほら。カバンから水筒を出して、お茶を口に含んで、私に飲ませるだけじゃない!こんなこと誰でもできるわよ?」
……段々疑わしくなってきたな。
この人、本当に骨折してるのか?
そもそも超人的な能力を誇る鳥山さんが、ジャングルジムから落ちたくらいで、骨折するだろうか。
「……鳥山さん」
「なによ」
「骨折、嘘なんじゃない?」
「ばっばばばばばぁあああん!!!!!!!」
破裂音みたいな叫び声をあげて、鳥山さんが威嚇してきた。図星か……。
「あ、ああああなたなんでそういうことが言えるわけ?証拠を出しなさい証拠を!」
「名探偵コ〇ンの犯人みたいな反応やめてよ」
「もし証拠が無いとするならば、これはもう圧倒的名誉棄損ね。完全勝訴間違いなしよ。歴史に残る大勝を見せてしまうかもしれないわ」
あんまり裁判で大勝とか言わないでしょ……。
とはいえ、証拠は無い。ギプスを外させて、腕を触るくらいのものか。それでも難しいしなぁ……。
「おやおやどうしたのかしら魚谷くん。万事休すって感じかしらね」
「あ、鳥山さんの右上に、俺のパンツが」
「えっ!?」
鳥山さんは、折れているはずの右腕を、綺麗に真上へ伸ばした後、しまった!というような表情をした。
「私を騙したのね?魚谷くん」
「先に騙したのはどっちかな?」
「……だってぇ!魚谷くんにチヤホヤしてほしかったんだもん!」
「残念でした。ギプス外したら?」
鳥山さんは舌打ちをしながら、ギプスを脱ぎ始めた。
「はぁ。窮屈だったわ。それにしてもあなた、パンツで人を釣るなんて、最低よね」
「よくこの状況で逆ギレできるよね」
「いいわ。いつかやり返してやるんだから。いきなり魚谷くんの頭上に、私のパンツが!ブラジャーが!スク水が!って、ありとあらゆるパターンで引っかけてあげるわよ!」
全部引っかからないと思うけど……。まぁいいや。
「でもよかったよ。夜中にジャングルジムで叫んでるなんて。本当だったら、めちゃくちゃきつかったから」
「あっ。それは本当よ?」
「……」
「魚谷くん。もう骨折とかどうでもいいから、私に普段から優しくしなさい!」
「少しでもいいから、態度を改めてほしいなぁ」
警察官の皆さん。早く捕まえてあげてください。現場からは異常です。
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