第15話 察しが悪いわね。キスしようって言ってんのよ。

「良い朝ね!あなたが隣にいるせいよ!」

「はは」


 学校にいると、一日中鳥山さんの精神攻撃を受け続ける。放課後はだいたいどこかへ連れ出されているし、登校中のこの時間だけが、唯一平和と言ってよかった。――昨日までは。


『明日は一緒に登校するわよ!』


 そんな悪魔のセリフ通り、鳥山さんは俺の家の前に立っていた。逃げてもどうせ追いつかれるので、こうして並んで登校しているというわけだ。


「魚谷くん見て!ミミズが干からびて死んでるわ!」


 シンプルに最低だなこの人……。


「ほら見て?どうしてミミズって、いっつもこうなるのかしらね!可哀そうだわ!」


 ミミズを掴み上げ、土に埋めてあげる鳥山さん。なんだろう。化け物だよねやっぱり。適切なツッコミが思いつかないもん。


「あっ。私としたことが。あなたと手を繋ぐのを忘れていたじゃない!全く……。どうして教えてくれないのよ!」


 鳥山さんが俺の手を掴もうとしてきたので、慌てて避けた。


「何で避けるのよ!」

「ミミズ触った手で触ろうとしてくるから」

「ちょっと。女の子みたいなこと言わないでよ」

「あくまで常識人としての対応だと思うよ」

「仕方ないわね……」


 諦めてくれた。そう思ったのだが。


 ――なぜか鳥山さんは、自分の手を舐め始めた。


 ミミズを掴んだ手だ。そろそろ彼女の奇行にも慣れてきたつもりでいたが、軽くそれを越えてくる。


「はい。これでいいわよね?」


 涎でベトベトになった手を、こちらに差し出してくる。


「あのさ。せめて、ミミズを触ってない方の手にするとかさ……。そういう当たり前の発想はないの?」

「文句ばっかりね!はぁ……。しょうがないから、こっちにしてあげる。どうぞ?」

「いや、繋ぐとは言ってないけどね」

「はい、もう許さない。ちょっと正座しなさい」

「遅刻するよ」

「何度も言わせないで。遅刻なんて小指でかき消すことができるわ」


 ピッと突き立てた小指が、てかてかと光っている。いい加減、涎を拭いたらどうだろう……。


 とりあえず、怒鳴られるのも殴られるのも嫌なので、俺は大人しく正座することにした。園児がこっちを指差して、母親に何かを尋ねていたが、母親は答えなかった。切ない。


「魚谷くん。幼気な女の子の気持ちを踏みにじって、楽しいのかしら!?」

「そんなつもりはないんだけど……」

「いいえ。あなたは今日まで、数えきれないほど私の心を痛めつけてきたわ。もう傷だらけよ!でもこの傷が愛の証という言い方もできなくはないわね。へへっ」

「だったら」

「調子に乗るんじゃないわよ!」

「まだなにも」

「あなたの考えることくらい全部お見通しなんだから!考えてないこともわかるわよ!」


 考えてないことは鳥山さんの妄想でしょ……。そう思ったが、言っても無駄だと思って、心の内に留めておいた。


「いい?私たちは今、初めてのカップル登校をしているの」

「カップル登校?」

「そうよ。私たちが、二人並んで、手を繋いで、校門を通った時……。周りにいる生徒たちは、何を想うかしら。きっと、あの人たちは付き合っている。そう考えるはずよ」

「遅刻したら誰も校門にいないよ」

「そうじゃない!ほら立って!走るわよ!」


 鳥山さんに強引に立ち上がらされた。そして、信じられないスピードで走り始める。いや足が壊れるんですけど!?


「と、鳥山さん!ペース落として!」

「無理ね!多少の信号無視はやむをえないわ!」

「委員長だよね!?」


 俺の言葉を無視して、鳥山さんは走り続ける(信号は偶然青続きでした)


 そして、むしろいつもより早いくらいの時間に、学校へ到着した。


「はぁ……。はぁ……」

「魚谷くん大丈夫?人工呼吸する?」

「生きてるよ……」

「察しが悪いわね。キスしようって言ってんのよ」

「最低すぎるでしょ……」


 いきなり現れた鳥山さんと、その鳥山さんと手を繋いでいる、息も耐え耐えの男子高校生に、校門は若干ざわついていた。やだなぁ……。


「魚谷くん……。みんな見てるわ!手を振りましょう!」

「選挙カーじゃないんだから」

「あぁ。幸せだわ。こうして生徒たちに、あなたと手を繋いでいる姿を見せつけることができて!でも……。欲を言えば、ゆっくり登校もしてみたいわね。街中の何でもない風景を見ながら、今日の授業のアレが嫌とか、アレが楽しみだとか、魚谷くんのここが好きとか、ここが大好きとか、ここが超超大好きとか、魚谷くんの」

「とりあえず、道のど真ん中で止まるのは邪魔だから、隅に寄らない?」

「魚谷くん!私にグッドアイデアがあるの!」


 聞いちゃいない……。


「なにさ」

「今から、もう一度登校しない?」

「……なんて?」

「魚谷くんのことが好きって言ったのよ!」

「言ってなかったよね?」

「もう……。だから、魚谷くんの家まで戻って、また歩いて登校しようって言ってるの!」

「どうして……?」

「あぁもう!もう!」


 顔を真っ赤にしている鳥山さんに、注目が集まる。が、その狂気を確認した後、みんなすぐに目を逸らして、早足で校門を通り過ぎていくのだった。


「登校!楽しいでしょ!?もう一回したいじゃない!」

「そんなウォータースライダーに何回も並ぶ子供みたいな」

「ちょっと待って。魚谷くんの家に帰るってそれ、もう下校じゃない!下校と登校を繰り返すことができる……?朝から……?私って天才なのかしら!って、自明に天才だったわ!東大A判定だもの!ほら行くわよ!」


 今日も当然、俺に拒否権は無い。


 結局、俺はその後、八時間程度、鳥山さんと手を繋いで、学校と家の往復をさせられた……。これってもう新手の軟禁じゃない?

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