第7話 あなたの頭に乗った埃よ?フォアグラみたいなものよ

「なんですか、これ」


 魚谷加恋うおたにかれん。我が校の中等部に通う、中学三年生。


 そして、俺の血の繋がった妹だ。黒髪おさげで、誰に対しても敬語で接する、礼儀正しい女の子。


 ……そんな加恋が、怒り全開フェイスで、鳥山さんのノートを持っている。


「違うんだ加恋」

「違いませんよ!」


 何を隠そうウチの妹、反抗期なのである。ただでさえ普段から、なんでもないことで怒鳴られるのに……。


「鳥山蘭華というのですね。このノートの持ち主は。兄さんとはどういう関係ですか?」

「別に、ただのクラスメイトだから」

「ただのクラスメイトが、こんな、こんな……。エッチな小説を書くわけないでしょう!?」


 誤魔化しきれなかった。そうだったね。エッチな小説だったね。


「しかも、兄さんが主人公だなんて! 認めません……。認めませんからね!」

「悪かったって。でも、そのノート、カバンの中にしまっておいたはずなんだけど、なんで加恋は見つけられたんだ?」

「そんなの、兄さんが帰り道でエッチな本を拾ってきてないか、チェックするために決まっているでしょう?」

「中学生じゃないんだから」


 今時、橋の下にエッチな本が落ちているなんて、ワクワク展開はもう無いのだ。時代は変わってしまった。


「今回は初犯ですから、見逃してあげます。それと」

「それと?」

「なぜ中途半端に、四巻があるのですか」

「さぁ……」


 たまたま鳥山さんに押し付けられた一冊が、四巻だったという話だ。しかし、加恋はさっきから、人を殺めるアサシンのような目で俺を睨みつけてくるので、何かきちんとした言い訳を考えなければ……。


「ほら。あれだ。ちょっと数学のノートを借りようとして……。うん。だから、俺の数学のノートがないだろ?」

「意味がわかりません。お互いの数学のノートが入れ替わるならまだしも、どうしてこんなものと入れ替わるのですか?」

「それは……。なんかあったんだろ」


 ダメだこりゃ。アドリブ力ゼロ点だな俺。


 しかし、どうやら加恋は、ダメダメな兄を諦めてくれたらしい。


「はぁ。もういいです。じゃあその鳥山という人から、これより前の巻と、次の巻を借りてきてください。それで許してあげます」

「え……」

「イエスか、はいか、わかりましたか。三択です」

「一択じゃないか……」

「言っておきますが、読みませんよ?私も同じ高校に進学するわけですから、どんな女か把握しておきたいだけです」

「そ、そうか……」


 まぁ、ウチの真面目な妹に限って、エッチな小説を読むなんてことはないだろうから、大丈夫だろう。


 加恋と約束をして、なんとか事なきを得た。


 ☆ ☆ ☆


「いいわよ」

「え、いいの?」


 昨晩の件を鳥山さんに話したら、あっさり了解してくれた。


「意外。なんで他の人にバラしたのよ!!! とか、怒鳴ってくるかと思ったのに」

「私、そんな怒りっぽいかしら!?」


 今すでに怒ってるじゃん……。まぁいいけど。


「よく考えなさい魚谷くん。魚谷くんの妹は、いずれ私の妹になるわけだから、機嫌を損ねさせてはいけないわ。時に母以上の力を持つことがある……。それが兄妹よ。覚えておきなさい」

「……うん」

「小さい声ね……。録音機がうまく拾えないから、もっと大きな声を出しなさいよ!!!!」

「録音機?」

「何でもないわ? あ~るるるるる」


 無理矢理タングトリルで誤魔化そうとする鳥山さん。うまくできてないところが可愛いけど……。録音機は笑えませんね。


「とにかく、そういうことなら、持って行きなさい。魚谷くんの家に、私の私物が五点も……。それに加え、妹さんが、私の私物に触れてくれる。こんなのもう、ね? お金を払ってでも受けたいサービスだわ?」


 鳥山さんからノートを受け取り、カバンにしまった。


「じゃあ、ありがとう鳥山さん」

「えぇ」


 なぜか鳥山さんは自分の席に戻らず、その場で固まっていた。


「どうした?」

「まだ始業まで時間があるわ。余った時間は、あなたをガン見しようと思うの」

「……なんで」

「何回も言わせないで。好きだからよ。あ、嫌って言ってもこればっかりは私譲らないから。あなたがかっこいいからいけないのよ? 私好みの最高の容姿として生まれたことを後悔しなさい」


 別に後悔はしないけど……。こんな風に、ジロジロ見られると、緊張するな……。


「あ、魚谷くん。髪の毛に埃がついてるわ。取ってあげる」

「ありがとう」

「レロンっ」

「え」


 頭の上で起きた現象なので、正確には把握できなかったが――。


 妙にねっとりとした感触と、そのセリフから察するに、今俺は……。


「と、鳥山さん。今、俺の頭を舐めた?」

「舐めたわよ?」


 あ、認めるんだ……。


「まさかのタングトリルが活きたわね」

「……色々言いたいことあるけど、うん。お腹壊さないでね?」

「壊すわけないじゃない。あなたの頭に乗った埃よ? フォアグラみたいなものよ」

「……」

「何か文句が?」

「睨まないでよ」


 なんで俺が悪いことしたみたいになってるんだ。


「むしろ感謝してほしいくらいね。本当なら、目に見えない埃があるって言って、あなたの頭にむしゃぶりついてあげることもできるんだから……。ね?私、偉いでしょう?ちゃんと我慢できる女なのよ」

「そうだね」

「もっと褒めなさいよ! 褒めて褒めて、私の鼻の下を伸ばしなさい! 褒めて伸びるタイプなの私は!」

「使い方違うと思うよ」


 俺の平穏無事だった朝は、もう戻ってこないのだろうか。


 その後は、チャイムがなるまで、ずっと鳥山さんにガン見され続けたのだった。

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