5-告白
その翌月、私の学校は2年生のクラス替えはないため自動的に藤堂と同じクラスとなった。
4月半ばの水曜日の放課後。私と藤堂はいつものベンチにいた。2人とも手にはコンビニの期間限定スイーツ。藤堂の奢りだ。写生会の審査員賞祝いとのことだった。
『寝転びネコ』の限定カップケーキ。中にはイチゴたっぷりと言うサービスっぷり。なんと私に優しいケーキだ。
関係者各位ありがとう。
さて、ではどこから食べようか。『寝転びネコ』の顔をかちわるなどできない。しかし、それでは食べれない。
非常に悩ましい。可愛い外見とは裏腹に中々残酷な選択を迫ってくる。
やむを得ない。耳から行こう。そのとき、
「なあ、立花」
藤堂が話しかけてきた。隣を見ると、あのときと同じ視線を向けてくる。何かを確信したように。何かに迫るように。
藤堂の薄い唇が開いた。
「人の絵、もう描かないの?」
驚き。驚愕。仰天。一驚。驚歎。
なんで、知ってるの。でもどこか府に落ちた気がした。写生会に誘ったのは私が人の絵を描けるか確認するため。どこか上の空で、妙なテンションだったのは切り出し方を考えていたため。全部合点が行った。
藤堂は知っていたんだ。私が描けなくなったのを。気づいてたんだ。
「私が描けなくなったの知ってたんだったらもっと早く言ってよ」
脱力した。思わず口から長いため息が流れる。落ち着こうとしてカップケーキを口に運んだが、味はよく分からない。今は食べても無駄だ。カップケーキをしまう。
藤堂は困ったような顔をした。
「……ごめん」
違う。責めてる訳じゃない。ただ、
「違和感全部解消されただけだから。
怒ってるわけじゃないよ」
──いや、まだだ。全部じゃない。
何かが残る。小骨が喉に刺さったような違和感。そして気づく。
そうだ。なんで藤堂が私の絵を気にかけてるのか。『一連の動機』が分からない。
「でも、なんでこんな風に回りくどいことしたの?
キャラじゃないよー」
少しふざけた感じで言ってみる。すると藤堂は意外なことを口にした。
「自分勝手な理由だけど、また立花に絵を描いてほしかった。人の絵」
先ほど以上の衝撃。私の絵はそれほどまで執着される価値なんてない。ちょっと絵が上手いだけの学生が描いた変哲のない鉛筆画。
それだけなのに。
「なんで……?」
疑問はすぐに口をついて出る。
「だって人の絵描くの好きだったろ、立花。
それに俺だって──」
立花の描く絵、好きだから。
藤堂は確かにそう続けた。私を見据えたままきっぱりと。
あの絵を?あんな絵を?どうして?
「あんなに下手なのに?」
私の絵は酷いのに。キモチワルイようにしか人を描けないのに。
「下手なんかじゃないっ!」
藤堂が身を乗り出すようにして言った。下手ではないと。
でも藤堂は私の描いた絵を見たことがある。あんなものを見たことがある。それなのに下手でないと言った。私は耳を疑った。
「俺なんて素人だけど、でも立花の絵は上手だと思う。
それに俺は上手い下手とか関係なくて立花の絵が好きだよ。柔らかい感じがするから」
そしてスマホを取り出して、私の目の前に突き出した。ホーム画面。いろんなアプリのアイコンが並ぶ。その背景には、ボールを打とうとする藤堂がいた。鉛筆で描かれた藤堂がいた。
「これって……!」
藤堂は小さく頷いた。確かに私の絵だった。中学生のときの。
そして、羞恥心が起こった。こんなに下手な絵を私は描いたのか。──キモチワルイ。
「こんな下手なの、ずっと使ってくれてたの?」
「そうだよ。気持ち悪いことに2、3年は使ってます」
私が描いたときからずっと使ってたのか。
「さっきも言ったけど俺は立花の絵が好き」
藤堂はいつになく真面目な顔をして話し出す。
「だからまた描いてもらえたら嬉しいと思う。でも、俺は立花も好き。立花弥生が大好き。だから描くのが嫌だったら描いてもらいたくない。
でも、矛盾したこと言うけど」
藤堂が私の手を握った。
「描かない理由が"描きたくない"じゃなくて"描けない"んだったら。もし何か立花だけじゃ解決出来ない理由で、描けないんだったら俺は嫌だよ」
手に力がこもる。
「モヤるし、立花も何て言うか嫌なまんまじゃん。苦しいまんま。何も変わらなくて。
もう絵が見れないのも嫌だけど、立花がそのままなのはもっと嫌」
誠実な言葉が私の胸を打つ。そして気付きを与える。
──そっか。私、苦しかったんだ。
嫌だったんだ。完璧に描かないとって思っちゃって描けなかったんだ。そんなのどんな人間にも出来るはずがないのに。でもあのときのしこりが落ちきってなかったんだ。妙な圧迫感を感じてしまっていたんだ。
きっと私は神様にでもなろうとしていた。全てを完璧に。まるでインスタントカメラみたいに。それが原因だった。根本を辿れば原因は他にいくらでも見つかるだろう。いじめが当たり前に環境に馴染んでいたこと。それを見て見ぬふりをした大人がいること。そして私も、生徒たちもなにもしなかったこと。悪い空気を充満させ続けたこと。でもシンプルに考えれば、私は絵を描くことを脅迫概念にしてしまっていた。それだけ。
そんな簡単な仕組みだった。拍子抜けしてしまう。
それでもまだ私にはスマホの絵を上手だとは思えない。私にとってはまだキモチワルイ産物に過ぎない。
でも、藤堂はこの絵が好きだと言う。2、3年使い続ける程度には好きだと言う。
「ねえ、藤堂。なんで私の絵が好きなのか教えてくれない?」
まずはそれを知らなければならない。そして私はこの絵を受け入れなくてはいけない。そうして、前を向かないといけない。脅迫概念を振り払って。せっかく藤堂が教えてくれたのだから。
きっと簡単に描けるようにはならない。染み付いたものを振り払うことは難しい。でもやってみたい。時間がかかってもいい。それで、それでいつか君を描く。真っ白なキャンパスに笑う君を。いつかきっと──。
女子トイレの闇は深い 叶本 翔 @Hemurokku
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