4-鉛筆
──ごめん、藤堂。もう人の絵は描けないんだ。
そんな風に言えるはずなかった。
私はあの後無難な言い訳をして断って、観覧車を降りて。何もなかったかのように一緒に遊んだ。楽しかった。
けれど、どこか靄がかったような気分だった。
私はため息をついた。夜の9時少し前。私は藤堂が写った写真を横に置いて、それを模写しようとしていた。
でも、出来ない。
もう一度、描こうとしてみる。まずは輪郭から。線をゆっくり、丁寧に。
やっぱり、ダメだ。こんなんじゃない。藤堂の顔はもっと違う。こんなに丸みを帯びてない。もう少し広い。
ダメ。違う、全然違う。これは藤堂じゃない。少しのズレも、あってはならない。
私は消ゴムで勢い良く輪郭を消した。
また描いてみる。
線を。輪郭を。藤堂を。彼の顔を。
そして描き上げたものを見て痛感する。
やっぱり無理だ。これは、違う。
こんな顔じゃない。眉はもう少し下がってる。鼻はこんなに高くなくて、唇は薄い。右目は左目より尖ってなくちゃならない。髪はもうちょっと柔らかい感じがしてないといけない。
パッと見、藤堂怜衣だ。でもじっくり見ると違う。顔の細部が、違う。見てると分かる。これは別人だ。なんだかキモチワルイ。
いつから描けなくなったか。それに明確な線引きはなくて、中学生の半ば頃、段々と人の顔の違いが目につくようになったのがきっかけだった。
「ねえねえ、弥生ちゃん。私、描いてよ」
中学2年生の夏の始め。ろくに喋ったこともないクラスメイトの関原瑠美に言われた。
名前呼びする仲でもないのに、馴れ馴れしい。……なんて言うことは出来ない。
関原は所謂一軍、スクールカースト上層の人間である。そのせいであろう。5人ほど女子を引き連れている。
私の通っていた小学校は荒れていた。それはこの地域のカラーだった。よって中学校も決して穏やかなところではない。
この時点で学年にいじめが原因の不登校は6人。転校してしまった生徒は3人で、内2人がいじめが原因だと思われる。──文房具を全て盗まれる。影口。嘘の告白。トイレに閉じ込められる。その他諸々。いじめのレパートリーは尽きない。中には性的なことに関わるかなりエグいものも少々。
私は中間層をキープしていた。下層は危ない。と言うか、一発アウトでいじめ。上層も危ない。一歩間違えれば最下層に転落。そのままいじめルートまっしぐら。中間層も下に転びやすいが、よっぽどのことをしない限りは安全圏。そう、下手に一軍と関わったりしなければ。
つまり私は窮地に置かれていたわけである。関原のただの気まぐれであるのに。
描くのに失敗しても死。断っても即死。まさに前門の虎後門の狼。つまり、選択肢がないのである。
「分かった。いつにする?」
後日、写真が送られてきた。私はそれを必死に写した。少しのズレもないように。かつ可愛く見えるように。だいぶ集中力と体力を必要とした。でも時間をかけることは出来ない。そんなことしたら関原はすぐ不機嫌になるだろう。
私は胃を痛めながらやっと描き上げた。
絵を渡すと、関原たちはキャーキャー喜んでいた。それがとても、煩かった。私は、関原なんて嫌いだ。女子が群れるのも嫌いだ。
この頃から、私の絵に現れる実物との差異がしつこく目につくようになった。それもなぜか、人の絵だけ。そして描けなくなった。
きっと私の絵は一般に上手い部類だろう。でも私がそう認めないのだ。細かい違いもたくさんあれば大きな違いと変わらない。
その頃から、人を描くのが苦しい。好きだったはずのことなのに。動く人を鉛筆で柔らかく絵に落とすことが好きだったのに。
写生会にはアルパカだけの絵を出した。審査員賞だった。
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