10/17 BindBindBind

 薄紅色の空はいつもより距離が近く感じられて、手を伸ばせば空とてのひらが緩やかに同化していくようだった。飛行機雲が空を切り裂くように一線を書いていた。まもなくビルの陰に隠れようとしている太陽がぼんやりと、私たちを見守っていた。

「ラブレター! すごい、これ本当に私宛?」

夕日に透かせるように、何度か手紙を空に掲げて、それから彼女の前へ突き出した。

「多分、そうですね」

 彼女は興味なさそうに、平坦な声で答えた。

「ええ、どうして曖昧なの? お願いされて受け取って、わざわざ私のところまで持ってきてくれたんでしょ? ねえ、誰から渡されたの?」

「はて」

 思わず気の抜ける返答に、すこし笑ってしまう。だけど、彼女はどうやらすっとぼけているわけではなさそうだった。声に抑揚がなく、感情は読めないけれど、でも嘘をついているようには思えなかった。

「誰からでしたっけ?」

「えっ、覚えてないの? まさか誰とも知らぬ通りすがりのひとに"これ渡しといて"って押し付けられたとか? いやいやいや、まさかそんなわけないよね。だってこれ、ラブレターだよ。ラブレターだよね?」

 言っている途中で不安になって、思わず聞き返してしまう。彼女は無表情のまま頷いた。

「そうですね。事実だけ切り取ると、ほとんど私からさんへのラブレターですね」

そんなわけあるか、と思う。だいたい、自分で書いたことを忘れるなんてありえない。太陽の角度によるものか、影がすこしだけ濃くなって、私の輪郭が冷ややかなコンクリ―トの床にくっきりと描かれていた。

「いや全っ然違うでしょ。念のために聞くけど、あなたが書いたんじゃないよね?」

「そうですね。タルト……あ」

 彼女は言葉を切って、それから恭しくお辞儀をした。腰辺りまで伸びたぼさぼさの髪の毛が、だらりと生き物のように体のシルエットに合わせて垂れる。

「です。樽に戸締まりの戸と書いて、タルトです。シエは紙に絵なので、三國みくにさんなら簡単に覚えられますね。お気軽に"タルトさん"とお呼びください」

 タルト、って聞いてまず浮かぶのはあの洋菓子だ。たまにお父さんが買ってきてくれるやつ。食べたくなってきた煩悩まみれの頭を振って、タルトへの思いをかき消した。タルトさんはぼおっとこちらを見ていて、明らかに突っ込みを待っている。

「え、あ、うん。いや、タルトさんって自分のこと"タルト"って言うの?」

 タルトさんはしばらく間をおいて、やがて今思いついたことのようにあっさりと、思い入れなさそうに話した。

「いえ。厳密にはタルト"さん"、です」

 私は思わず声をあげてしまう。違った。突っ込み待ちじゃなくマジだった。一人称としてはあまりに、あまりにイタすぎると思う。

「ええっ。それは、引かれるから止めといたほうがいいよ。ほら、あ、初対面の私が言うのもアレなんだけど、でもやっぱりタルトさんを快く思わないひとが結構いるんじゃないかなって、勝手に思っちゃって」

 わたわたと手ぶりを交えて喋ってから、言いすぎちゃったかなと後悔した。しかし彼女は、私の指摘に一切動揺していなさそうだった。ただやはり、すこし間をおいてからさっきと同じように、抑揚のない声色で語った。

「タルトさんが誰かに嫌われるから、一人称をタルトさんにするなと三國さんは仰る?」

「うん」

「それはちょっと奇妙ですね」

「どうして?」

「もしタルトさんが嫌われることになっても、初対面の三國さんには関係ないでしょう。友達ならまだしも、です。ですから、先ほどの指摘はやはり奇妙です。タルトさんが周りから何とも思われていない、もしくは人気者であるという可能性を考えなかったのですか? 三國さんには、タルトさんのような人物は嫌われるという先入観があったのではないですか? 嫌われそうというのはつまり、三國さんの感想でしかありません」

 私は何も言い返せなかった。口を開こうにも言葉が出てこない。言葉がない、とはまさに今のような状況をあらわすのだと思った。タルトさんは奇妙なほど饒舌に、けれど例えるなら一本張った糸が微塵も震えないほどに一定のトーンで喋り続けた。

「三國さんにとって、タルトさんが嫌われているのかは問題ではありません。思いやりでもありません。三國さんはただ、タルトさんの奇矯な振る舞いを見て、嫌な気持ちになったから注意すべきだと思ったのではないですか?」

 思わずうげぇ、と声が漏れた。タルトさんは超絶面倒くさい人だ。話の内容もサッパリ理解できないし、そもそも言っていることが頭に入ってこない。

「私はタルトさんのために言ったんだよ」

 タルトさんは遠くを見ていた。表情には出ていないが、彼女はほんのすこし満足していた、ように思えた。まるで一仕事終えたかのような落ち着きっぷりに、イラっとさせられる。

「三國さんはわかっていませんね。無意識から出た言葉には、本当の気持ちが宿るものですよ」

 私に向き直ったとき、タルトさんの長くてぼさぼさの髪がゆらめいた。まるで髪が影であるかのように、彼女にくっついて離れず、ゆらりと頭についてまわっていた。私が呆けていると、タルトさんが小さく咳をした。

「まあ、この話はいいでしょう。見解の相違ということですから。それよりも、中身はあらためないのですか?」

 タルトさんが、私宛のラブレターを指さす。

「ここじゃ恥ずかしいよ。家に帰って、お風呂入って、ご飯食べて、それからゆっくり読みたいよ」

「そうですか。タルトさんはそれの差出人が気になって眠れなさそうですが、いかがでしょうか」

 タルトさんは興味なさそうに言う。普通に考えて、彼女の平坦なトーンからは冷淡な印象を抱くだろう。しかしどうしてか、冷たいと思えなかった。彼女の言葉は、内容と声色がとてもズレているような印象だった。

 彼女の声の特徴を強いて言うなら、感情がない。とんでもなく平坦で抑揚もなく、さながらすらすらとただ流れていく水に近かった。そんな声なのに、タルトさんはさも興味を示しているかのように言う。おかしな人だと思った。

「うーん……あ、メアド交換しとく?」

 タルトさんは両手で腰あたりをぽんぽん、と二回叩くと、小さく首をかしげた。

「それがどうやら、私は携帯を持ち合わせていないようでして」

「どうして自分の持ち物まであやふやなの」

「はて」

「はて、じゃなくてさ。自分のこと、何もわからないの?」

「タルトさんは三國さんにラブレターをお届けに参りました。それ以上の情報は不要ではないですか」

 はぐらかされるもんか、と思った。難しいこと言ってごまかそうとしているって、私にだってわかる。

「私はどうやってタルトさんに差出人を伝えたらいいの? 明日こっそり教えてあげればいい?」

 話を戻すと、タルトさんはこっくりと頷いた。

「三國さんがそう仰るなら、タルトさんは今日の睡眠を生贄にささげます。放課後に、校舎裏でお待ちしております」

 無表情だからどこまで本気なのかわからないけれど、彼女なりに待ち遠しく思っているのかもしれない。でも結局、彼女は気にせず熟睡しそうだと思った。

「ここじゃなくていいの?」

「タルトさんは三國さんを呼び出すとき、手紙にこう書きました。"校内の、人気のないところで"、と。そういうスポットは学校にいくつかあります。ですから、今日と同じでは面白くないでしょう。ジメジメとした校舎裏の用具入れの前でお願いします」

 タルトさんからの手紙を思いだす。体育が終わってから次の準備をしているときに、教科書のすき間に手紙が挟まっているのに気がついた。私は告白のための呼び出しだと思ったけれど、目のまえにタルトさんと名乗る変人がいて、なんだか気落ちしてしまう。

しかも受け取ったのは、今のところ差出人不明のラブレターなわけで。すこし顔がニヤついたけれど、前髪で片方しか見えていないタルトさんの瞳で我にかえった。

「えっ、全然こころときめく場所じゃないんだけど。いいの? タルトさんに手紙を預けた人がわかるんだよ?」

 タルトさんはこの時、初めて私のまえで微笑した。彼女の顔が透けて奥の夕陽が見えてしまうくらいに、儚げな笑みだった。うっすらとした、彼女の輪郭を目で捉える。彼女は、タルトさんは、何者なんだろうかとこのとき初めて、ぼんやりと思った。

「やっぱりおかしいよ。誰から渡されたか、わかんないわけ、ないじゃ……」

 手元の便箋に目を落とす。今は太陽のせいで、ほんのりと赤づいているけれど、封筒のどこにも汚れはない。きっとびっくりするぐらい綺麗な白をしているのだろう。

 やはりタルトさんに聞くべきだと思った。彼女が誰かから受け取ったのなら、まさか忘れているはずがない。覚えているに決まっている。すこし怒ってみようと決めて勢いよく頭をあげ、そして驚いた。目を離した隙に、タルトさんはすっかりいなくなっていた。先ほどまで彼女がいた場所は見晴らしがよくて、確かにいつも通りの屋上そのものの風景に違いはないけれど、けれどぽっかりと空いたような物足りなさを感じた。挨拶もなく立ち去るなんて……

 金網の隙間から外を覗けば網目がフレームのようになり、夕日が照らすオレンジ色の市街がすっぽりと収まっていた。いつも過ごしている街とは思えないほど、とても非現実的でキラキラとしていた。私はカバンからスマホを取り出し、カメラアプリを起動した。

「タルトさん、か……」

 一人ぽつりと、名前をこぼした。屋上をおおう影がよりいっそう濃くなってだんだんと黒々としていき、夜がすぐそこにいると感じられた。それにしてもタルトさん、いつ私の名前を知ったんだろう。受け取ったラブレターをひっくり返してみる。封筒の右下には、小さく私の名前が書いてあった。

「ああ、ここ読んだんだ……」

 カバンからファイルを取り出してラブレターを突っ込み、折れないように教科書で挟んでからしまった。鉄でできた銀色の扉はすこし力を籠めないと開かず、やがてギギィ、と不快な音を発して開き、蛍光灯でほのかに照らされた階段が姿をあらわした。私は一歩踏み出して、階段から落ちるような勢いで、体重を前に傾けて滑り降りた。

 家に近づくにつれ、ときめきのような気持ちが強くなる。それなのに周りはいつもと変わりなく、注目しなければ記憶にも残らない風景ばかりが流れていく。街灯に照らされて輝く川の水面よりも私のほうが、よほどキラキラしていると思う。

 帰り道すがら、私は些末な日常を過去にしていく。風景が過ぎ去るたび、記憶のうしろにどんどんと置いていくようにして。

 家に帰ってからもラブレターを貰った興奮が収まらなかった。お風呂でも、夕飯でも、お父さんに呆けていると注意されても、たぶん全部が上の空だった。日常すべてが些細に思えるくらい、心は地に足つかずにふわふわとしていた。気が付くとベッドの上に転がっていた。

 私はラブレターを透かすように頭上に掲げ、表と裏をくるくると反転させる。表は真っ白で、裏の右端に私の名前がある。視界が一瞬暗くなって、目をこする。ベッドに体を預けている安心感からか、まぶたが重い。

「そういえば……なんで……私の名前……書いて」

 いくらか散漫な思考が違和感を捉えたものの、たっぷりと貯められた水に一滴の汚れを落とすように雲散霧消してしまう。ああ、読みたい。せっかくここまで我慢したんだから、開いて、読みたい。けど、ちょっと眠いかな……

 私の手が重力に引っ張られ、だらりとベッド横に垂れ下がった。ぽとりと、便箋の落ちる音がした。


 夢を見た。ボートが波で揺れている。近くにはノート、それから便箋。そしてタルトさん。タルトさんの顔が水面に映っている。

 水面に浮かぶ顔の輪郭すべてを捉えたわけではないが、さながらナルキッソスのように、彼女は自分の顔を見てうっとりしているようだった。そんなタルトさんが、私は好きだなと思った。

 そして私も同じように、顔を映した。それはとても幼い少女の顔をしていた。それはずっとこの目に焼きついていて一時も忘れたことがない、私の妹が笑っていた。


「…伽ちゃん」

 まどろみに首先までどっぷり浸かっている。声が波紋となって水面に広がって、溺れかけの私の耳に、わずかだが誰かの声が届いている。

「美伽ちゃん」

「うん?」

寝ぼけたままでガンガンする頭を振って、指でこめかみをぐっと押した。顔をあげると、繭ちゃんが机の前で股間辺りで指を組み、右人差し指を上に、かと思えば次は左が上にと、とにかく忙しなくまごついていた。

「ああ、繭ちゃん。おはよう」

「あの、えっと、授業終わったよ。起こしちゃ悪いかなって思ったんだけど、何だか苦しそうだったから……」

 繭ちゃんは申しわけなさそうな表情で、私を見下ろしている。

「ありがと。ちょっと嫌な夢を見てたかも。だからかな」

私はあくびと伸びをしてから、ぐいっと顔を逸らして見上げた。

「今週行くんだよね?」

 一瞬どこに、と言いかけてすぐにピンときた。

「ああー……長野? うん。今年はお父さんが車出してくれるっていうから、今までとちょっと違う感じ。いつもは私だけ駅に行って、そこからは伯父さんの車だったし」

 繭ちゃんはしばらく私の顔をじっと見つめてから、急に思い出したように手を叩くと、自分の席へと戻っていった。彼女の肩にかかるほどの髪の毛が日差しをうけて、キラキラと輝いていた。そうしてぼおっとしているうち、繭ちゃんが鞄から取り出したものを持って、こちらに戻ってくる。

「じゃあこれ、渡しとくね」

 掌よりすこし大きい茶袋を手渡された。

「これ、何?」

「香水。シトロンの」

「そりゃまた随分……いいの?」

「いいよお。自分で買ったんだけど、使うまえにお母さんから別の貰っちゃって、未開封のままだったから。余りもので詩子うたこちゃんには申しわけないけれど、ケースとか素敵だったし、香りもよかったから」

「ありがとう。貰っておくね」

「……元気出してね、美伽ちゃん」

「うん」

 繭ちゃんは帰り支度をしに戻り、それからあっと声を出し、またこちらへ寄ってきた。


「今の話とは関係ないんだけど」

「なに?」

 繭ちゃんは不自然に間を置いた。じっと待っているとやがて、目を細めて一言発した。

「昨日、屋上にいた?」

「あ、うん。変なひとに呼び出されて」

「ええっ。どうして?」

 繭ちゃんは口に手を当てて、目を見開いた。私はポケットに突っこんでいた手紙を取り出して見せて、それからため息をついた。

「これ、ラブレターらしいんだけど」

「告白されたの?」

 繭ちゃんは意外と落ち着いていた。こういう話好きそうだなと思っていたけれど、違うのかもしれない。私はタルトさんのことを思い出しながら続けた。

「いや、渡してきた人が相当変でさ、誰から受け取ったのか覚えていないって言うんだよ」

「それは、まあ、ずいぶん変なひとだね」

 そう言って繭ちゃんはくすくすと笑った。こっちは手紙の扱いに困ってるっていうのに、彼女はのんきだ。

「誰からもらったの?」

「タルトさん、って自分で言ってた」

「タルトって、洋菓子の?」

「いや、そんなわけないでしょ。樽に戸締りの戸って書いて樽戸たると。それから紙に絵って書いて樽戸紙絵たるとしえだって」

「珍しいね。そんな名前の子、いたっけ」

繭ちゃんはあたりを見回して、ゆっくりと穏やかな仕草で私に向き直った。

「さあ。この学年じゃないのかな。後輩かも」

「ってことは、告白の相手も後輩なのかな」

「さあね……いや、そもそも私宛じゃなかったんだよ。ほら、ここ見て」

手紙を広げ、冒頭を指さす。

「あれ、本当だ。”田中黄葉たなかもみじ”……誰だっけ」

 繭ちゃんは不思議そうに、文面を眺めていた。私は首を横に振った。

「開くまですごく楽しみにしてて、でも緊張して部屋をうろうろして、ようやく読むって決めて開いたらコレだもの。私のドキドキを返してほしいっていうか。そもそもタルトさんがなんで……」

 そこまで言ってから、昨日寝るまえの違和感を、はっきりと思い出した。私は繭ちゃんに向けて、便箋をくるりとひっくり返した。

「っ」

 繭ちゃんの息をのむ音が、はっきりと聞こえた。昨日は勝手に舞い上がっていて疑問に思わなかったけれど、どうして後ろに私の名前が書かれているのだろうか。

「美伽ちゃんが、書いたの?」

 繭ちゃんの声が震えている。私の手もびくりと震えて、手紙が床に落ちた。落ちる音でハッと我に返り、慌てて拾う。誤解されたら大変だと思い、ぶんぶんと首を横に振った。

「私じゃない。そんなわけないよ。田中さんに手紙なんて書いたことない。それに、自分で書いた手紙を忘れているって、ありえないよね?」

 繭ちゃんの瞳が、ふるふると揺れていた。彼女は責めるような、それでいて憐れむような悲痛な表情をしていた。

「ど、どうしたの……?」

 はやる鼓動を身に感じながら、恐る恐る聞いてみる。何もおかしくないはずなのに、どうしてこうも動揺してしまうのだろう。もし私が書いたのだとすれば、タルトさんから貰ったことが嘘になる。それはありえない。私はタルトさんから受け取っている。彼女が一体どんな人なのかは知らないけど、間違いなく目のまえにいた。だから嘘はついていない。

 もしかしたら繭ちゃんは、私の自作自演だと疑っているのかもしれない。もう一度手紙を見ると、やはり自分の名前が書いてある。繭ちゃんは黙っていた。

「繭ちゃんはどう思う?」

 聞くと彼女は目線を外して、やがてぽつりと呟いた。

「そこ、書くとしたら差出人の名前だよね」

「うん」

「だから、美伽ちゃんが書いたのかと思った」

 私の指先がぴくりと意思に反して動いてしまう。

「自分で書いたなら、見せようって思わないよ」

 息と一緒にゆっくりと、気持ちを吐き出す。昨日の出来事は事実なんだから、慌てる必要がない。手がじっとりと汗ばんでいて気持ち悪かった。

 やがて、繭ちゃんは前髪を指でくるくる巻きながら、こちらに笑顔を向けた。

「そうだよね。本当に美伽ちゃんが書いたんだとしたら、私は友達じゃいられないもの」

 うん、と私は力なく笑った。"友達じゃいられない"という繭ちゃんの余計な一言が、心をズキズキと痛ませる。なぜこうも息苦しいのだろう。ふう、と息を吐き、ラブレターの後ろの名前をさらりと撫でた。

「後ろの名前で、タルトさんが勘違いしたのかな……」

 顎に指をあて、思わずうなった。タルトさんが手紙の差出人を忘れているのか、嘘をついているのかは不明だった。あのとぼけた感じと、詰め寄るような喋りから想像すると、どちらもありえると思った。そして、どちらにせよおかしかった。

 どうして"田中黄葉"ではなく、"私"に渡されたのだろうか。誰に渡すか忘れてしまい、聞こうと思って私を呼び出したのだろうか。これも変だ。彼女は最初、私宛のラブレターだと言っていた。


「あれ?」

 間抜けな声が漏れ出てしまい、顔が熱くなる。繭ちゃんは不思議そうにしていた。彼女は誰宛てだったのか、一度でも喋っただろうか。頑張って思い出そうとしても、すべての発言を覚えているはずもなく、私は力なく机に突っ伏した。でも、言っていなかった気がする。

「あぁもう! 全部タルトさんが悪いんだ!」

 わからなかった。タルトさんが何を考えているのかも、本当は誰からのラブレターなのかも、全部わからなかった。しかし、私の名前が後ろに書かれていることだけは、はっきりとおかしかった。これは私が書いたものではないのだから。

 今すぐ田中さんに届けてもいいけれど、まずは昨日の興奮を返してほしかった。まさか冒頭読んだ瞬間にガックリするとは夢にも思わない。よくよく考えてみれば、あの怪しいタルトさんに渡された時点で警戒するべきだった。いたずらかもしれない、とか。

 でも、どうしてもあの片目隠れた表情とぼしいタルトさんを悪者だとは思えなかった。

 疑わしきは罰せず。よく友達が言っていた。彼女は単純に勘違いをしているだけなんだ。勝手に責めるのはやめようと思った。

「タルトさんに突っ返せばよかったのに」

 繭ちゃんも私と似たようなことを考えていたらしい。

「そう思ったんだけど、渡してすぐ帰っちゃったんだよ」

 繭ちゃんはしばらく考えるそぶりをして、くるりと後ろに振り返った。

「ねえ、のあちゃん」

「なんでしょう」

 いきなり後ろから声がして、飛び跳ねそうになる。

「びっくりしたあ!」

 のあちゃんは、どうやら後ろで静かに話を聞いていたらしい。繭ちゃんは大げさだなあと笑ってから、話を続けた。

「いつからいたの?」

「美伽ちゃんが机にべしゃっと突っ伏したあたりです」

 どうやらタイミング悪く、情けない姿を見られてしまったらしい。

「タルトさん……あ、樽に戸って書くみたいなんだけど、探せないかな」

「あと、田中黄葉ちゃんって子も」

 念のため、田中さんについても調べてもらおう。

「生徒名簿を確認すればいいですか」

 のあちゃんは予め答えを用意していたかのように、すらりと答えてみせた。繭ちゃんは勝手に見ても大丈夫かと心配していたが、のあちゃんは自身たっぷりなドヤ顔を披露していた。

「名前を確認するだけなら問題ないでしょう。まあ、私用で扱うのは少々気が引けますが……タルトさんが何者なのか、ですよね」

「お願いしてもいい?」

 のあちゃんが頷く。

「かしこまりました。ああ、それから。さんなら多分、生徒会の子ですね。一年四組だったと思います」

 のあちゃんはお節介かもしれませんが、と付け加えて笑った。

「ああそっか、選挙に出てた!」

 思わず手を叩いた。つられるように繭ちゃんも手を叩き、私たちは顔を見合わせて笑った。

「では、明日の放課後にでも」

 彼女は恭しくお辞儀すると、カバン片手に教室を出て行った。

「どうするの?」

 繭ちゃんの言葉には、田中さんにラブレターを渡しに行ってあげなよ、という気持ちが込められているように感じた。私は小さくため息をついて、机横にかけていたカバンを掴む。

「私一人では行かないよ。タルトさんにツケを払ってもらわなきゃ」

 タルトさんとの待ち合わせ場所を思い浮かべてから、教室のドアに手を掛ける。

「おかしいなあ。昨日の美伽ちゃん、一人だった気がするんだけど……」

 教室に残った繭ちゃんのつぶやきが、耳をかすめていく。

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