7. 終章

7.1 心配いらねぇよ

 あの冬の夜から、幾年かたったある日。


 ボンネビル工房の面々は、相変わらずせわしない。

 作業場には今日も鉄を打つ音が響き、あちこちで火花や切り粉が舞う。そこで体を動かし、物言わぬ鉄の塊や木材と格闘するのは、油やすすであちこちを汚した職人たちだ。

 その様子を、一人の女の子が真剣な顔でじっと眺めている。

 少し波打った二つ結びの黒髪と、白いブラウスにジャンパースカートという小綺麗な装いは、油と汗に彩られたこの場にはあまりにも不釣り合いだ。


「お嬢さん、今日もご見学ですか?」


 そんな彼女に声をかけたのは、工房で職人頭を務めるマサ。剃り上げた頭にタオルを巻き、相変わらず人に安心を与える気のない鋭い目をしているが、当の女の子は特に気にする様子もなく、ペコリと頭をさげる。


「はい。よろしくおねがいします」

「いいお返事です。いつもどおり、黄色と黒の線からこっちに入っちゃいけやせんぜ」


 はい、と返事した女の子は、再び職人たちの背中を見つめる。父親譲りの黒い眼を皿のようにして作業の様子をじっと観察す、その横顔は母親に瓜二つだ。


「お嬢さん、ちいとばっかし、聞いてもようござんすか?」

「なんでしょう?」

「工房の仕事、見てて面白いですか?」

「とてもおもしろいです! 鉄のかたまりとか、木のぼうがかたちをかえるのがふしぎでふしぎで」

「そうですか、そいつぁ結構」


 愚問だったかな、とマサは相好を崩す。

 言葉にせずとも、満面の笑みを見れば答えは全て明らかだ。まだそこまで老け込む気などないのだが、なんだか孫娘の話を聞いているような気分になってしまうから不思議なものだ。


「もう一つ。どうしてまた、作業をご覧になりたいなんて言い出したんです?」


 マサが比較対象として頭に思い浮かべるのは、自分の弟弟子にして、工房の若き跡取りのことだ。

 諸国を流れに流れたマサがようやくボンネビル工房に腰を落ち着けたころ、件の跡取りは目の前の女の子と同じくらいの年齢だった。職人たちから「若」と呼ばれて可愛がられ、一つ年上の幼馴染と一緒に工房を遊び場にして育った男の子が、他人の作業をじっと観察する習慣を身につけたのはもっと大きくなった後のはず。マサの記憶が確かならば、本格的に職人としての修行に励むようになってからだ。

 昔の思い出に浸っているその対面では、女の子が腕を組んで小首をかしげ、可愛い唸り声をあげている。言いづらい事情があるのか、それとも考えを整理するのに少し時間を要しているのか。


「ルゥねえさんにおそわったんです」


 女の子の口から出てきたのは、意外な人物の名前。興の乗ったマサは片膝をつくと、目線を合わせて先を話すよう促した。


「おとうさんみたいになりたいって言ったら、『しょくにんのぎじゅつは目で見てぬすめ』っておしえてくれました! おとうさんもそうやっていちにんまえになったって」 


 なるほどね、とマサは得心したように頷く。

 道具を与えて現場に立たせるには、この女の子は若いを通り越して幼すぎる。かといって、適当な答えでは旺盛おうせいな好奇心を満たしきれない年頃だ。ルゥの対応が一番適切だろう。


「わたしも、できれば、みなさんみたいにいろいろやってみたいんですけど」

「そいつは、まだちぃとばかし早すぎやす。自分も道具を握ったのはとおを越えてからですし、お父上だって、今のお嬢さんぐらいの頃は、まだ修行の道に入っていやせんでした。今は見るだけで勘弁しておくんなせえ」


 女の子は少し不満そうであるが、職人頭というマサの立場を朧気おぼろげながらも理解しているし、なにより大好きな父を引き合いに出されては頷かざるを得ない。


「そのうち、お嬢さんももっと大きくなったら、あの場に立ってもらうことになるかもしれませんぜ?」

「そのときは、いろいろ、ごしどういただけるんですか?」

「もちろん。それまでに、しっかり技を盗み取っておくんなせぇ」


 マサの言葉に瞳をきらめかせ、がんばります、と胸の前で手を握る女の子の頭を、少々乱暴な手付きでなでてやる。


「ルーシー・プレスリー、入りまーす」

「あ、ルゥねえさん!」


 絶妙なタイミングで作業場にやってきたのは、職人衆の紅一点・ルゥ。女の子も懐いているようで、その姿を認めるやいなや、とてとてと駆け寄ってゆく。


「やっぱここにいたかぁ、お嬢。前に頼まれてた、できてるよ」

「ほんとう? ありがとう!」


 ルゥが女の子に手渡したのは、クマのぬいぐるみ。騎士を模しているのか、目庇バイザーを跳ね上げた鉄兜と胸当てプレートメイルを身に着け、少々凛々しい顔つきをしている。

 それだけみれば量販品のぬいぐるみではあるが、よく見ると右腕の辺りに縫ったあとがある。騎士としての名誉の負傷――ほつれて中綿が飛び出した――をルゥがつくろったのだ。


「これでまたいっしょにお出かけできるね、!」

「それともう一つ、お嬢。新しい導師様がね、来てるんですよ」


 喜色満面でクマのオスカーを抱きしめていた女の子だったが、ルゥの言葉を聞いた途端、弾かれたように顔を上げ、目に見えてソワソワし始める。

 工房に導師が来る理由なんて、杖絡みの話しかありえない。今の女の子の関心事は、杖職人たる父の仕事だ。


「……マサさん、わたし、そちらをみにいきたいのですけど」


 予想通り、とばかりに、マサは苦笑しながらも頷いてみせる。


「よござんすよ。くれぐれも、お父上を邪魔なさらぬようお気をつけ下さい」


 はい、と頷いた女の子は、跳ねるように作業場を後にする。その背中を見る大人たちの笑顔の温度は多少の差こそあれど、総じて温かい。


「……おめぇも一端いっぱしのこと言うようになったじゃねぇか」

「なんの話っすか?」

「お嬢さんに教えたんだろ? 仕事を見て盗めって」

「あたしは、マサさんに教わったことを、そのまま伝えただけっすよ。だいたい、あんな小さな子、作業台のそばに立たせるわけにもいかないし」


 わかってんじゃねぇか、とマサに誉められ、ルゥもまんざらではない様子。彼女も今や一人前の職人、いずれは妹分ができるかもしれないとあって、ちょっと嬉しいのだろう。


「しかし、ちっと意外だな。みてぇに導師を目指すってなっても不思議じゃねぇと思うんだが」

「親父さんが職人として仕事するところは見てても、お袋さんが魔法を使うのは一度も見たことないからじゃないすか? 親父さんの仕事に憧れても、別に不思議じゃないっすよ」


 魔王討伐を果たした伝説の導師は、以来、一度も杖を手にしていない。魔法をし、愛する人と寄り添い暮らす道を選んだのだ。


「とはいっても、これから先、若やマサさんの苦労を嫌ってほど目にするでしょうからね。それでもなお、職人になりたいって言ったなら」

「心配いらねぇよ。この工房の職人は、家族みてぇなもんだろうが。若にもそうしたように、みんなでちっちゃい見習いを支える、それだけだ」

「違いないっすね。ほんじゃさっそく、未来の職人を見守ってくることにしますか」

「おう、しっかり頼むぜ」


 職人への夢を抱き始めた少女に、立派な先輩たらんとする自覚が芽生え始めた若手。

 そんな連中をこれからも背中で引っ張って行く決意を新たにしたマサは、満足げな笑みを浮かべて自分の作業に戻るのだった。

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