6. 冬の夜の夢

6.1 異常ヲ観測セリ

 発:王立気象台、宛:王立天文台。

 天候雪、風強シ、吹雪ニヨリ視界不良、今夜中ノ天候回復見込ミナシ

 不要不急ノ外出ヲ避ケヨ、諸兄ノ健闘ヲ祈ル


 ――以上、王立気象台の定期電信より抜粋。




 気象台からの便りを一瞥いちべつした天文観測員は、何をいまさらわかりきったことを、とため息をついた。

 窓に叩きつけられる雪を見れば、悪天候が現在進行形なのは一目瞭然。好転する見込みが薄いことだって容易に想像がつく。そもそも、ここ最近の空はずっと分厚い雲に覆われっぱなしで、時計が必死に昼間と主張しているのに表は気の滅入る薄暗さ、という日々が続いている。さらに悪いことに、季節は冬真っ盛り。降った雪はただただ積もるばかりで、辺り一帯は氷の世界だ。


「こう寒いと、いい加減、お天道様が恋しくなってくるな」

「同感です。観測も何もあったもんじゃありませんよ」


 ここ数日で何度繰り返されたかわからない先輩の愚痴に、後輩がげんなりした顔で同意の意を示す。


「この悪天候も、例の魔王様のしわざだって話なんだろ? なんとかなんねぇかなぁ」

「肝心の騎士団も教会も負けちまいましたからね……。下手すりゃずっとこのまま、ってことですよね? 嫌だなぁ、暗くて寒い日が永遠に続くなんてまっぴらごめんですよ」

「小耳に挟んだんだけどよ、魔王がこの辺を支配するなんてことになったら、人間は皆殺し、地上は悪魔や魔物が練り歩く地獄になるかもしれないってさ」

「やめてくださいよ、縁起でもない……」


 観測室の空気は冷たい上に、重い。

 本来であれば望遠鏡を覗き込み、星々の位置の記録に邁進まいしんしている時間帯なのだが、今は東西南北どの空を向いたところで星なんて見えやしないのだ。自然と余計なおしゃべりが増えるが、その話題にも明るい要素が一つもなく、結果雰囲気が沈む、という悪循環が延々と繰り返されている。

 だが、そんな状況下においても元気で明るく――良くも悪くも、空気の読めない――人間というのはいるものだ。ちょうど戻ってきた彼らの女リーダーも、そういったへきの持ち主である。


「君たち、おしゃべりはそれくらいにしたまえ! 魔王がこのあたりを支配したらどうなるかなんて、今考えても仕方ないだろう!」


 どこからそんな元気が出てくるんだよ、とげんなりする観測員一同だが、下手に反論すると長い長いお説教が待っているから、余計な口は挟まない。沈黙は金、とはよく言ったものだ。


「だいたい、騎士団や教会の手に負えないものを、私たちがどうこうできるはずもないだろう! 私たちの職務は空と星々の観察で、魔王についてあれこれ余計な詮索せんさくや心配をすることではないぞ! 持ち場に戻りたまえ!」


 へーい、と気のない返事とともに空を睨む観測員たちだが、リーダーが声を張り上げて息巻いたところで雲が消えるわけでもない。望遠鏡を覗いたって、彼らのお目当てである愛しの星々は隠れたままなのだから、職務を全うしようもないのだ。

 観測員の不満は、今宵も雪のようにただただ積もってゆく。




 天文台の面々が嘆息していた、その頃。

 吹きすさぶ雪と凍てつくような寒さ、そして分厚い雲をまとめて切り裂くように、一筋の流れ星が空を往く。

 誰の目にも留まらず、顧みられることもないその星は、大いなる決意を小さな胸に秘め、ただ真っすぐに北を目指した。

 そして――ついに、もう一つの邂逅かいこうする。




 ところ変わって、王立気象台。

 気象観測を職務とする彼らの士気は、天文台の面々より高かった。この夜も、担当者が熱心に天候の記録に励んでいる。

 そんなさなかに起こったある異変について、議論が繰り広げられていた。


 北の空に浮かんでいる二つの光点は何か?


 星という線は最初に消えていた。

 この曇天どんてんではそんなものなど見えようはずもないし、そもそもくだんの光点は素人が見ても一等星より明るいのだ。


「動きがありました!」


 議論に加わらず、空の観察に徹していた一人が叫ぶ。

 それを合図に、数名の観測員が鉄帽をかぶって表に飛び出した。外は変わらぬ猛吹雪、暴風に押し流されそうになりながらもどうにか踏ん張った一同の視線の先では、二つの光点が幾度となく交錯を繰り返している。


 かたや、直線的な軌跡を描く、禍々しさにあふれた紫色。

 それにあいたいするは慈愛に満ち、流麗な曲線で舞う金色。


 初めて見る現象を前に戸惑いながらも空を観察し続けていた彼らだったが、直後、天空を走る幾筋もの稲光を目の当たりにした。それ単体は幾度となく観測してきた自然現象であっても、未体験の密度と太さで視界に迫るとなれば話は別だ。一拍遅れて震えだした空気が、一同の聴覚を上下左右に揺さぶる。

 それが雷鳴と気づくいとまも与えらないまま、二度三度と雷光に見舞われた観測員たちは、若手もベテランも関係なく、頭を覆って伏せるしか手立てがなかった。観測史にない暴力的な雷がもたらす恐怖は、体を縮こまらせるだけでなく、時間感覚すら狂わせる。

 永遠とも一瞬ともつかない時を経て雷鳴が止み、彼らが再び顔を上げた時には、あたりの光景は一変していた。


 


 曇天に見舞われた真夜中の世界は、先程まで間違いなく闇に包まれていたはずだ。だが、今は金色の光があたり一体を照らし出し、目に映る全てが昼間以上にまばゆく輝いている。

 立ち上がって周囲を見回す者、座り込んだままあっけにとられている者、懐中時計を出して時刻を確かめる者、自分の頬をつねってどうにか現実と認識する者。唐突にもたらされた光は、人間が受け止めるにはあまりにも強すぎた。

 誰もが天を仰ぎ、目を細めた、その直後。


 空間を切り裂く一筋の光条と、それを追ってとどろきわたる、咆哮を思わせる風切り音。


 駆け抜ける光と音の密度たるや、先程の稲妻が児戯じぎにさえ思える勢いだ。そのうえ、行きがけの駄賃とばかりに地表を突風が吹き荒れる。雪を天空まで舞い上げ、木々をなぎ倒さんとするそれは、さながら怒りに満ちた竜の振るう爪だ。

 その猛威が及んだのは地上に限らない。陽の光すらさえぎるほどの分厚い雲も、いつのまにか晴れていた。


 気象台の面々が自体を把握できないまま、光条は消え、あたりをふたたび闇が包む。


 空は満天の星明かり、地には雪。普段なら暗いと感じるはずはないのだが、先程の輝きを目にしてしまった者たちはそうもいかない。極端な光から闇への揺り戻しから逃れられず、一時的に視界を失ってしまったのだ。

 そんなさなか、リーダーは混乱する部下たちを必死にまとめ、全員の無事の確認と関係各所への連絡を指示。職務の遂行にただただ邁進まいしんするのだった。




 ――以下、王立気象台の緊急電信より抜粋。


 発:王立気象台、宛:王立天文台

 異常ヲ観測セリ

 星ナラヌ光点ノ交錯、観測例ナキ稲光、天駆ケル光条

 現況、晴天、雲認メズ

 貴方ノ観測状況ト見解求ム

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