5.8 必ず帰ってこい
「バーニィ、いいかしら?」
作業場に、キャロルが再び姿を見せた。
オスカーを亡くした時に見せた弱々しさも、魔王を討つ使命の重さに必死に耐える悲壮感も、彼女の背中からは感じられない。どこか吹っ切れた様子で、
しんと静まり返った工房には、バーニィだけが残っていた。開栓して放置したままの炭酸水のようなぼんやりとした顔で、椅子に座ったまま宙を仰いでいる。
「ど、どうしたの? 大丈夫?」
「別になんともねぇよ」
すっと立ち上がり、棚へと歩み寄るバーニィの所作自体は案外しっかりしている。一晩を寝ずに明かした割にという注釈付きだが、ふらつきの類は見て取れない。その様子をみて、キャロルも少しだけ安心したらしい。
「いま出してやるから待ってろ」
「相当の自信作って、思っていいのかな?」
「当たり前だろうが」
バーニィはかたわらの木箱から、キャロルのために
「ちょっと試してくれねぇか?」
彼がはじめに手渡したのは、金属製の
はじめは違和感を覚えているようだった。普段扱わない装備だから当然といえば当然だが、まじまじと眺めてみたり、姿見の前でくるりと回ってみたりしている。
「オスカーが使ってたもの、よね?」
「お察しの通りで。それを仕立て直して、あんたでも扱えるようにした」
「そうなんだ……どう? 似合うかしら?」
「大変良くお似合いですよ、お嬢様」
「気に入ったよ。他には?」
ふたたびローブを
「さっそく
「作ったほうが聞くのもどうかとは思うんだが……それ、何に使うんだ?」
「相手の魔法から身を守る、お守りみたいなものかな。
気合の声とともに、それほど固く閉まっていないフタをひねったキャロルは、細い指先で中身をつまみ上げる。大きめの真珠をさらに二周りほど太らせたくらいの大きさだが、艶や輝きはない。表面には人為的な文字も彫られている。
「さすがボンネビル工房。私の想像以上の仕上がりです」
「お
「それは……ご苦労さまでした。皆さんに伝えて。私は絶対に負けない、って」
真珠紛いの球体、その表面をひとしきり観察したキャロルは、工房の職人たちの努力の結晶に最大の賛辞を送る。
彼女が懐に忍ばせた小瓶、その中身の正体は、オスカーの
そんな経緯で作り出されたおびただしい数の骨の球には、一つ一つ手作業で刻印がなされている。こんな非常事態でなければ依頼も来ないし、製作を請けないであろう代物だ。
「さて、いよいよお待ちかね――真打ちの登場だ」
白い布に包まれた長物の中身は、オスカーの
「普通の杖と違って、
一つは、杖に埋め込まれた琴線。もう一つは、杖の頭にあしらわれた紅く輝く魔石だ。
オスカーの最後の贈り物を
「前の杖よりは余裕があるし、
「そんなに心配しなくていいよ、バーニィ」
緊張感と期待の混じった笑みとともに、キャロルは天に向かって杖を掲げる。
「ちょっと気難しいかもしれないけど、
「それならいいんだが……調整が必要なら今のうちに済ませたい。どうだ?」
「必要ないよ。重さも長さもぴったり、昔から使ってる杖みたい。……まあ、今までも一緒にいたんだから、当たり前だね」
そう言って手中の杖を愛おしげに眺めるキャロルをみて、バーニィはこれまでの道のりをぼんやり思い出す。
導師になるといった彼女のために杖を作りたい。その一心で、彼は父に弟子入りし、職人への道を歩き始めた。
父や職人の側について技を盗み見し、自ら手を動かして実践して、技術を学びとる。失敗してどやされた数のほうが、誉められた数より遥かに多い日々だった。いつからか、自らの試みとその結果を細かく記す癖がついた。今に至るまで続くその習慣は、今もなお帳簿の
だが、杖を手に微笑む彼女を見れば、その苦労なんてないも同然だ。
キャロルの手の大きさも、それに見合った杖の太さも、取り回し方の癖まで考慮した重量配分も、バーニィは全て記録し、理解している。その
「ありがとう、バーニィ」
杖を傍らにおいたキャロルは、バーニィの手を取り、感謝の言葉を贈る。
「あなたがいなかったら、オスカーを亡くした暗い気持ちのまま、ふさぎ込んだままだったと思う」
「礼は、全てが終わってからでいい。俺にできるのは、
「……うん、頑張る」
「オスカーの仇を討って、無事に帰ってこい。杖の感想も聞きたいし、それに……これからの話もしたい」
バーニィの提案は、彼の掲げる夢のもう半分。それに小さく頷いて答えるキャロルの顔には、これから決戦に向かう悲壮感など微塵も感じさせない、満面の笑みが浮かぶ。
できることなら行くなと言いたい。彼女の手を放したくないのが本音だが、世界はそれを許してくれない。せめてあと五分だけと思っても、出立の時は刻一刻と迫っている。
名残惜しげに指をほどいたバーニィは、作業着のポケットから首飾りを取り出す。穴を開けた魔石に鎖を通しただけのシンプル極まりない造形だが、それがかえって深い
「魔石の端材で作ったお守りだ。これがあるからどうってわけじゃねぇけど、せめてオスカーを近くに感じられれば、って思ってさ」
キャロルは何も言わずに
その意味がわからないほど、バーニィも無粋ではない。妙な緊張感に少しだけ震えはじめた指先をなだめながら、手製の首飾りをかけてやる。
「それじゃ、バーニィ。私そろそろ行くね」
「ああ。ちょっと待ってろ、馬を出すから。途中まで送ってってやる」
「その気持ちだけ、もらっておくよ」
怪訝そうな目を向けるバーニィを尻目に、キャロルは軽やかな
「試してみたい魔法があったの。見てて、バーニィ」
そう言って、すう、と大きく息を吸い込んだキャロルは、
「【風よ、舞え】!」
叫びとともに巻き起こす一陣の風。それは、かつて
雪は風に乗って荒れ狂い、世界が白く染まる数秒の間、バーニィはたまらず顔を覆う。
「できた」
白い悪魔が去り、腕をおろした彼の視線の先では、キャロルが重力の
「【飛行】の魔法は、修行してた頃からずっと研究してたの。いつか、オスカーの隣で飛んでみたいって思ってたから。でもどうしても、うまくいかなかったんだよね」
「……そいつはやっぱり、杖のせいか?」
「そうかもね。こうやって上手くいったのも、きっとこの杖を作ってくれたのがバーニィで、この杖が……」
そこまで言って、キャロルは目を伏せる。
オスカーの隣で飛びたいと願った彼女が追い求めた【飛行】の魔法が、オスカーを
「大丈夫、この杖はきっと、あなたと私の期待に答えてくれる。後で感想、ちゃんと聞かせてあげるわ」
「……よろしく頼むぜ」
「それじゃ、行ってきます」
ふたたび巻き起こった疾風がおさまった時にはもう、そこに彼女の姿はない。バーニィが無意識のうちに伸ばした手も、所在なく
「必ず帰ってこい! キャロル!」
積もった雪に声が吸い込まれ、その叫びも届かない。夜の帳を満たすのは静寂ばかりだ。
その場に残されたバーニィは、最後の戦いに赴いたキャロルを想いながら、一人空を見上げて立ち尽くしていた。
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