5.6 これしかねぇ

 ボンネビル工房、雪の降りしきる裏庭。

 職人たちが見守る中、キャロルとオスカーは静かに最後の別れを済ませた。

 一同の前に横たわるのは、連日の寒さと相まってすっかり凍え切った、残った傷も痛々しい飛竜ワイバーン。キャロルは雪の冷たさもいとわず膝をつき、大切な相棒の体をなでながら何かをつぶやき続けていた。

 祈りか、謝罪か、それとも別れの言葉か。

 いずれにしても、他の者たちには聞き取れないくらいの小さな声だ。その瞳からは、絶え間なく涙があふれている。割って入ることはおろか、余計な一言を発することすら許されない、厳粛な空気がそこに満ちていた。

 やがて、彼女はゆっくり立ち上がり、涙を拭って振り返る。


「もう、思い残すことはありません。よろしくお願いします」

「承知しやした。あとは自分が預かりやす。若とお嬢さんは、中で打ち合わせを始めていてください。自分も、こっちが済んだらすぐに戻りやす」


 気丈に振る舞っているキャロルだが、悲しみを隠しきることまでは叶わなかった。マサに促されて屋内に戻ろうとしたが、足元がふらついてしまい、バーニィの肩を借りることになる。


「それじゃ、爺さん。打ち合わせ通りよろしく頼みますぜ」

「……うむ」


 二人を見送ったマサの呼びかけに応えるように、建物の影から小柄な老人と、その付き人達が姿を見せる。彼らこそ、ボンネビル工房が呼んだ解体師。その名の通り、魔法生物を解体し、材料の採取と選別を生業とする者たちである。

 彼らの行動は極めて手慣れており、迅速であった。均した雪の上に特殊な染料インキで魔法陣じみた文様を描くと、古ぼけた道具箱から取り出した供物を優しい飛竜ワイバーンのために供え、しばし鎮魂の祈りを捧げる。最後に三回打ち鳴らす鐘の音が、儀式の終わりの合図だ。

 これから彼らが取り掛かるのは、生前のオスカーと親しかった者が目にするには、あまりにも残酷すぎる仕事。み事と称されてなお、人間の営みに必要となる行為だ。


「天駆ける竜に安らぎのあらんことを」


 厳かに宣言した老人は、伝家の宝刀に手をかける。


 ――解体、開始。




 鎮魂の儀を含め、解体師が仕事にかけたのはおよそ三時間。全てを終えた彼らは素早く荷物をまとめると音もなく去っていった。

 今、ボンネビル工房の作業台には、その成果が並べられている。

 亡きオスカーが彼らにもたらしてくれたのは、紅玉ルビーを彷彿とさせる深い紅をたたえた魔石に、脊椎に内包されていた琴線。大きさサイズ、質、いずれも一級品ではあるものの、一つ一つをみるとコアの材料としてはおなじみの代物だ。

 だが、となると、話は変わってくる。


「ここに流れ着くまで、自分もいろいろな工房を巡ってきやしたが……まさか核の材料を持つ魔法生物がいるとは」


 予想以上の成果に目を丸くするマサの隣で、バーニィは鼻息も荒くペンを走らせる。

 魔石と琴線、その表面を仔細に観察した二人は、そろって満足そうに頷いた。


「どちらも間違いなく一級品。お嬢さんに予備の杖を保たせてやれますな……若?」


 ――大型の魔法生物の中には、まれに二つの核を持つものがいる。


 バーニィはじっと眺めているのは、例の杖職人の手記。指をかすかに震わせている一因が、あの記述は本当だったのかという驚きと、思いがけず巡ってきた好機にあるのは確かだが、それはあくまでも副次的な要素にすぎない。

 彼の手先に現れているのは、その次の文の解釈に対する迷いだ。


 ――それらの核を載せた杖を手にした導師は大いなる力を振るい、困難から人々を救った。


 定説セオリー通りに杖を二本作るべきか、思い切って一本の杖にコアを二つ載せるべきか。捉え方次第では出来上がるものがまるで変わるのだ。

 バーニィはしばし考え込んだ後、兄貴分に提案する。


「その件なんですけど……ちょっと、試してみたいことがあるんです」

「伺いやしょう」


 くだんの手記を見せられたマサは、すぐにバーニィの意図を理解したらしい。もともといかめしい顔に、たちまち疑念の色が広がる。


コアを二つ乗っけるのはご法度はっと、ってのが杖作りの鉄則です。それをこの土壇場に来てあえて破るってんですかい? それも前に試して失敗してる方法だ。堅実、確実を旨とするはずの若らしくもねぇ、いったいどういう風の吹き回しです?」


 じろり、とこちらをめつけるマサの眼光はいつもどおりの鋭さだ。身内だけど下手なこと言えない、とバーニィの背に緊張が走るが、今の彼は親方代理。職人頭を説得するのも仕事のうちだ。


「キャロルが全力を振るえる杖を作るには、今までと同じ発想じゃ通用しません。それこそ、禁忌タブーに踏み込む覚悟がいると思うんです。いろいろ考えましたが、あいつのバカみたいにデカい魔力に耐えるには、やっぱりこれしかねぇ」

「だからって、失敗した方法をもう一度採用するってのはいかがなもんかと思いますが」


 魔力の許容量キャパシティを底上げするために杖に二つのコアを載せるのは、極めて単純シンプルな発想ではある。だが、杖の内部で増幅した魔力が暴走し、自壊するという失敗は、試みと同じ数だけ繰り返されてきた。かつてバーニィが作り、キャロルに渡した試製品も、同じ末路をたどった。


「ご自身が作る杖を誰が振るうのか、よもやお忘れになったわけじゃありますまい? 当代最高の実力を誇る導師ですぜ? 全力でブッこんだ魔力が増幅して跳ね返ってこようもんなら、今度こそお嬢さんは若の杖で、最悪の最期を迎えることになっちまうんですぜ?」

「俺だって、伊達や酔狂でこんな提案はしません。そもそも、前とは決定的に違う点がある」


 兄弟子の厳しい指摘と詰問に、バーニィは持論を振りかざし、真っ向から立ち向かう。


「俺たちの手元にあるのは、一体の飛竜ワイバーンから採れた二つのコアです。違う魔法生物のコアを一つの杖にまとめようとしてるわけじゃねぇ」

「……これまでと違って、コア同士の親和性は高い。それなら暴走は起きねぇ。そういうことですかい?」


 バーニィは静かに頷く。

 前例もなければ試行時間もない、ぶっつけ本番の勝ち目の薄い勝負といわれれば否定できない。だが、これまでと同じような杖を二本渡したところで、キャロルの魔力を持ってすれば壊れてしまうのは火を見るより明らか。それならば、オスカーが遺してくれた別の可能性に賭けてみたいのだ。


「……わかりやした。よっぽど道理から外れてるなら止めていたところですが、一応、話に筋は通っているようにみえやすからね」 「本当ですか!」 「それに、弟弟子が女の前であれだけの啖呵たんかを切ったんだ、兄弟子がその心意気を買わんわけにもいかんでしょう。ご自分の思うようにおやんなさい」 


 若い杖職人の背中を押した無骨な理解者は、作業に掛かる前の儀式として、坊主頭に手拭を巻く。


「若の一世一代の大勝負だ、俺たちもついてます。自信を持ってドンと構えてくだせぇ」

「ありがとうございます!」

「職人頭として、当然のことをするまでです。お嬢さんのために、最高の杖を作ろうじゃありやせんか。今こそ、ボンネビル工房われわれの本気をみせるときです」

「ええ、マサさん。仕事にかかりましょう」


 どういう生き方をすれば、あるいはいつになったら、極東から流れてきたこの男のような度量を身につけられるのか、彼には想像もつかない。子供の頃から世話になっている相手への尊敬と感謝の念は、これまでも、そしてこれからも変わらないだろう。

 バーニィは早速設計図を広げ、改めて書き込みを付け足し始める。キャロルの杖を作るための、最後の設計変更だ。

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