5.4 待ってるから
大聖堂の裏手に
独身の導師たちが住まうこの建物は、普段からしんと静まり返った場所だ。だが、今そこを満たすのは
その廊下を、決意を込めた面持ちで、バーニィが往く。
残った導師にはボンネビル工房の顧客も多いが、彼らとは軽く挨拶を交わすだけだ。今の仕事は彼らの要望を聞くことではない。
――どうやって切り出したものかな。
怪我の治療を受けてからずっと部屋に引きこもっているキャロル、その心理状態が最悪であることくらいは、バーニィにも想像がついている。現役最高の導師、教会の切り札と称されながら、魔王を討てず期待に答えられなかった結果、多くの仲間が傷つき、命を落としているとなれば無理もない。
だが、それ以上に彼女の心に深く突き刺さっているのは、相棒である
今の彼女に、一体なんて声をかければいいのか。明確な答えをひねり出せないまま、ずんずん前に進む足に引っ張られ、とうとうキャロルの部屋の前まで来てしまった。
「……そこにいるのは誰? バーニィ?」
ノックしようと拳を握ってなお
「そうだ」
「鍵なら開いてるよ」
向こうから招き入れてくれたのなら願ったり叶ったりである。彼女の言う通り、
廊下も決して明るくはなかったが、部屋の中は輪をかけて暗い。外から差し込む雪明かりだけが、ベッドで膝を抱えるキャロルを静かに照らしている。
「もうそろそろ、来ると思ってた。司祭長様に説得でもお願いされたのかしら?」
身じろぎ一つせず、キャロルは淡々と答える。バーニィへは視線を向けるだけで、本当に何を観ているのか、その瞳に何が映っているのかは定かでない。
「無理だよ」
有無を言わさぬ強い調子の拒絶に、バーニィは思わず、出しかけた言葉を引っ込める。
「私じゃ、あの魔王には、勝てない」
「そんなこと」
「戦ってもないのに、何がわかるの?」
部屋に響き渡る彼女の一言は、重い。
心に響くぶん、かつてアレクサンダーから喰らった一撃なんか比にならないほど、効く。
「みんなが
バーニィは何も答えないが、俯くこともしない。
彼女の悲痛な叫び、心の奥に押し込めていた本音がつき刺さるのは苦しいが、ここで目を
「討伐隊が壊滅状態で、みんながもう一度、私に出て欲しがってるのも聞いてる」
「魔王と張り合えるのは、あんた一人ってこともわかってんだろ?」
「……仮にそうだとしても、今の私には、杖がない。いくら素晴らしい導師って言われても、杖がなかったら魔法は使えない」
そう言って彼女が見せた笑みは、冷たく自嘲的なもの。いつものような温かみは、そこにはない。
彼女を追い詰めた責の一端は自分にある、という自覚がバーニィを苛む。導師として街に帰ってきたキャロルが振るってきた杖は、全てボンネビル工房でつくられたもの。不完全な杖がこの惨状を招いたことは、彼自身が一番身にしみてわかっている。
「オスカーも、もういない」
大切にしていたものは、もう一つ失われている。
忠誠心にあふれた
「魔法は使えない、オスカーの助けもない。今の私に、できることなんてないじゃない」
ぎゅっと膝を抱えなおしたキャロルは、いつにもまして小さく見える。泣き腫らした目もどこか虚ろだ。
想いを交わした相手が背負う皆の期待、強大な力を誇る敵に対峙する苦労と恐怖を、少しでもいいから分かち合ってやりたいというのは、男として当然の気持ちだ。だが、魔王を討つのは、彼女にしかできない仕事。バーニィがいくら
「魔王の向こうを張れるのは、あんたしかいねぇ。あんたにしかできねぇ仕事じゃねぇか」
「……バーニィってさ、ときどき残酷だよね」
そう言って初めて、キャロルはちゃんとバーニィのことを見た。自分の不甲斐なさの結果だと、彼は正面から胸を刺す冷たさに満ちた笑みを受け止める。
「好きな女に、魔王ともう一回殴り合う覚悟決めろって言ってんだからな。そう言われても文句は言えねぇよ」
「そこまでわかってるなら、どうして」
「現実から目を背けて嘘をつくほうが、俺に言わせりゃよっぽど残酷だ。うまい嘘をつけるほど器用にもできてねぇしな」
心を通わせたはずの二人の間に横たわる距離は、長く見積もっても三歩ほど。今でははるか彼方にも思えるその距離をゆっくりと詰めたバーニィは、静かに膝を付き、キャロルに目線を合わせた。
「本当なら一緒に戦ってやるって言いてぇところだけど、俺にはそんな力はねぇ。あんたについて行ったところで死体が一個増えんのが関の山だ。魔王に勝てるのはあんただけなんだよ、キャロル」
「戦わなければなんとでも言えるよね」
「だけど、あんたのために、杖を作ってやることくらいはできる。そうすりゃ魔法が使えるし、魔王とだって戦える。そうだろ?」
「材料がないんでしょ? それくらいはわかってるよ。それとも、おじさまが戻ってきたの?」
「いいや。だけど方法はある」
――どうやって?
冷めた目のキャロルを前にして、せっかく固めた決意もゆらぎそうになる。
持ってきた
「……オスカーを、俺に預けてくれないか?」
嘘はつかない、でも最大限に譲歩した一言。
それを聞いてしばらくは、キャロルも首を傾げたままだったが、その言葉の真意に気づいて顔全体を青ざめさせる。
「……バーニィ、それって」
「あんたの考えてるとおりだ」
直後、鋭い痛みが、バーニィの左頬に走る。
ベッドから飛び降りて渾身の平手打ちを見舞ったキャロルは、彼を睨みつけながら肩を怒らせ、小さな両手で襟首を掴む。
「よくも……よくそんな残酷なことを!」
「それ以外に可能性はねぇんだよ」
再びキャロルの手が振り上げられるが、二発目は飛んでこなかった。かわりに、綺麗な碧眼から
それでも、彼は顔を背けないし、残酷な事実を突きつけるのもやめない。
「オスカーも魔法を使ってたんだから、立派な魔法生物だ。
「あなた、自分が何を言ってるか、わかってるの?」
「わかってるよ。オスカーがいなくなってあんたが悲しんでることも、そこからまだ立ち直れてねぇことも、酷な決断をさせようとしてるのだって、全部百も承知だ」
襟を掴んだ指をそっとほどき、キャロルを見つめたまま、バーニィは立ち上がった。
「そこまでわかってるなら、なぜ」
「あんたがオスカーの相棒だからだ。あいつの弔い方を決めるのは、一番近くにいたヤツの仕事だろ」
言葉に詰まったキャロルはその場にぺたんと座り込み、反論や批判をする力さえ失ったかのように、ガクリとうなだれる。こぼす涙が拭われることもない。
「あんたがオスカーを大切に思ってるのは知ってる。今すぐこの場で答えを出せとも言わねぇ。だからといって、時間の
唇を噛み締めたキャロルから、返事はない。
それでも、バーニィは丁寧に想い人への激励の言葉を紡ぐ。自分の言葉は届いていると信じて。
「あんたのために、俺が最高の杖を作ってやる。それであいつの
みんなが期待してくれてるとか、自分がやらなきゃ誰がやるとか、そんな事は考えなくていい。オスカーの鎮魂のために戦ってくれ」
伝えるべきことは全て伝えた。あとは、キャロルの気持ち次第。
「俺は工房にいる。待ってるから」
ここで自分にできることはもうやり尽くしたと確信したバーニィは、一度だけ優しくキャロルの肩を叩くと、静かに帰路につくのだった。
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