5.4 待ってるから

 大聖堂の裏手にあつらえられた、教会の宿舎。

 独身の導師たちが住まうこの建物は、普段からしんと静まり返った場所だ。だが、今そこを満たすのはくらい感情。魔王を討ち取れなかった無念と、敵の圧倒的な力を思い知らされた絶望だ。

 その廊下を、決意を込めた面持ちで、バーニィが往く。

 残った導師にはボンネビル工房の顧客も多いが、彼らとは軽く挨拶を交わすだけだ。今の仕事は彼らの要望を聞くことではない。


 ――どうやって切り出したものかな。


 怪我の治療を受けてからずっと部屋に引きこもっているキャロル、その心理状態が最悪であることくらいは、バーニィにも想像がついている。現役最高の導師、教会の切り札と称されながら、魔王を討てず期待に答えられなかった結果、多くの仲間が傷つき、命を落としているとなれば無理もない。

 だが、それ以上に彼女の心に深く突き刺さっているのは、相棒である飛竜ワイバーンうしなった事実だろう。微笑みがよく似合い、誰からも愛されしたわれていた彼女が、オスカーの亡骸なきがらにすがり付いて慟哭どうこくする。その姿が頭によぎるたびに、彼の胸は痛むのだ。

 今の彼女に、一体なんて声をかければいいのか。明確な答えをひねり出せないまま、ずんずん前に進む足に引っ張られ、とうとうキャロルの部屋の前まで来てしまった。


「……そこにいるのは誰? バーニィ?」


 ノックしようと拳を握ってなお逡巡しゅんじゅんし、数度の深呼吸を経て意思を固めたところで、部屋の主が呼びかけてくる。その声には力がない。宿舎が静かだからよかったものの、酒場や市場のような喧騒に満ちた場所では聞き逃していたであろう弱さだ。


「そうだ」

「鍵なら開いてるよ」


 向こうから招き入れてくれたのなら願ったり叶ったりである。彼女の言う通り、把手ノブをひねってもさしたる抵抗なく、扉が開いた。

 廊下も決して明るくはなかったが、部屋の中は輪をかけて暗い。外から差し込む雪明かりだけが、ベッドで膝を抱えるキャロルを静かに照らしている。


「もうそろそろ、来ると思ってた。司祭長様に説得でもお願いされたのかしら?」


 身じろぎ一つせず、キャロルは淡々と答える。バーニィへは視線を向けるだけで、本当に何をいるのか、その瞳に何が映っているのかは定かでない。


「無理だよ」


 有無を言わさぬ強い調子の拒絶に、バーニィは思わず、出しかけた言葉を引っ込める。


「私じゃ、あの魔王には、勝てない」

「そんなこと」

「戦ってもないのに、何がわかるの?」


 部屋に響き渡る彼女の一言は、重い。

 心に響くぶん、かつてアレクサンダーから喰らった一撃なんか比にならないほど、効く。


「みんながめてくれた魔法も、魔王が相手じゃなかなか通らない。そうしている間に、私を守ろうとしてくれた先輩が倒れていくばかり。いくらそっちを見ないようにしても、悲鳴とか、うめき声とか、血の匂いとかからは逃げられない。そんな真っ只中に立たされて、必死に杖を振るう私の気持ちが、バーニィにわかるの?」


 バーニィは何も答えないが、俯くこともしない。

 彼女の悲痛な叫び、心の奥に押し込めていた本音がつき刺さるのは苦しいが、ここで目をらすわけにはいかない。ただ、まっすぐに見つめるだけだ。


「討伐隊が壊滅状態で、みんながもう一度、私に出て欲しがってるのも聞いてる」

「魔王と張り合えるのは、あんた一人ってこともわかってんだろ?」

「……仮にそうだとしても、今の私には、杖がない。いくら素晴らしい導師って言われても、杖がなかったら魔法は使えない」


 そう言って彼女が見せた笑みは、冷たく自嘲的なもの。いつものような温かみは、そこにはない。

 彼女を追い詰めた責の一端は自分にある、という自覚がバーニィを苛む。導師として街に帰ってきたキャロルが振るってきた杖は、全てボンネビル工房でつくられたもの。不完全な杖がこの惨状を招いたことは、彼自身が一番身にしみてわかっている。


「オスカーも、もういない」


 大切にしていたものは、もう一つ失われている。

 忠誠心にあふれた優しい飛竜オスカーは、バーニィと密かに交わした約束を守り、主人キャロルを守ってじゅんじた。彼女の体と心にのしかかる喪失感はいかほどか。


「魔法は使えない、オスカーの助けもない。今の私に、できることなんてないじゃない」


 ぎゅっと膝を抱えなおしたキャロルは、いつにもまして小さく見える。泣き腫らした目もどこか虚ろだ。

 想いを交わした相手が背負う皆の期待、強大な力を誇る敵に対峙する苦労と恐怖を、少しでもいいから分かち合ってやりたいというのは、男として当然の気持ちだ。だが、魔王を討つのは、彼女にしかできない仕事。バーニィがいくらこいねがっても、その事実は揺らがない。


「魔王の向こうを張れるのは、あんたしかいねぇ。あんたにしかできねぇ仕事じゃねぇか」

「……バーニィってさ、ときどき残酷だよね」


 そう言って初めて、キャロルはちゃんとバーニィのことを。自分の不甲斐なさの結果だと、彼は正面から胸を刺す冷たさに満ちた笑みを受け止める。


「好きな女に、魔王ともう一回殴り合う覚悟決めろって言ってんだからな。そう言われても文句は言えねぇよ」

「そこまでわかってるなら、どうして」

「現実から目を背けて嘘をつくほうが、俺に言わせりゃよっぽど残酷だ。うまい嘘をつけるほど器用にもできてねぇしな」


 心を通わせたはずの二人の間に横たわる距離は、長く見積もっても三歩ほど。今でははるか彼方にも思えるその距離をゆっくりと詰めたバーニィは、静かに膝を付き、キャロルに目線を合わせた。


「本当なら一緒に戦ってやるって言いてぇところだけど、俺にはそんな力はねぇ。あんたについて行ったところで死体が一個増えんのが関の山だ。魔王に勝てるのはあんただけなんだよ、キャロル」

「戦わなければなんとでも言えるよね」

「だけど、あんたのために、杖を作ってやることくらいはできる。そうすりゃ魔法が使えるし、魔王とだって戦える。そうだろ?」

「材料がないんでしょ? それくらいはわかってるよ。それとも、おじさまが戻ってきたの?」

「いいや。だけど方法はある」


 ――どうやって?


 冷めた目のキャロルを前にして、せっかく固めた決意もゆらぎそうになる。

 持ってきた腹案おもいつきは、彼女さえも婉曲えんきょく的な非難を放り投げるかもしれないものだ。できることなら、好きな女の口から罵詈雑言なんて聞きたくはないが、これも自分の行いの結果と腹を括ったバーニィは勇気と言葉を振り絞る。


「……オスカーを、俺に預けてくれないか?」


 嘘はつかない、でも最大限に譲歩した一言。

 それを聞いてしばらくは、キャロルも首を傾げたままだったが、その言葉の真意に気づいて顔全体を青ざめさせる。


「……バーニィ、それって」

「あんたの考えてるとおりだ」


 直後、鋭い痛みが、バーニィの左頬に走る。

 ベッドから飛び降りて渾身の平手打ちを見舞ったキャロルは、彼を睨みつけながら肩を怒らせ、小さな両手で襟首を掴む。


「よくも……よくそんな残酷なことを!」

「それ以外に可能性はねぇんだよ」


 再びキャロルの手が振り上げられるが、二発目は飛んでこなかった。かわりに、綺麗な碧眼からあふれる涙が切れ味の悪い刃物となって、バーニィの心にジクジクと突き刺さる。

 それでも、彼は顔を背けないし、残酷な事実を突きつけるのもやめない。


「オスカーも魔法を使ってたんだから、立派な魔法生物だ。コアが体内にあることは、ほぼ確実だろ」

「あなた、自分が何を言ってるか、わかってるの?」

「わかってるよ。オスカーがいなくなってあんたが悲しんでることも、そこからまだ立ち直れてねぇことも、酷な決断をさせようとしてるのだって、全部百も承知だ」


 襟を掴んだ指をそっとほどき、キャロルを見つめたまま、バーニィは立ち上がった。


「そこまでわかってるなら、なぜ」

「あんたがオスカーの相棒だからだ。あいつの弔い方を決めるのは、一番近くにいたヤツの仕事だろ」


 言葉に詰まったキャロルはその場にぺたんと座り込み、反論や批判をする力さえ失ったかのように、ガクリとうなだれる。こぼす涙が拭われることもない。


「あんたがオスカーを大切に思ってるのは知ってる。今すぐこの場で答えを出せとも言わねぇ。だからといって、時間の猶予ゆうよもそれほどあるわけじゃねぇ。突貫で杖を作るにしても、それなりに工数は必要だからな。覚えといてくれ」


 唇を噛み締めたキャロルから、返事はない。

 それでも、バーニィは丁寧に想い人への激励の言葉を紡ぐ。自分の言葉は届いていると信じて。


「あんたのために、俺が最高の杖を作ってやる。それであいつのかたきを討つんだ。

 みんなが期待してくれてるとか、自分がやらなきゃ誰がやるとか、そんな事は考えなくていい。オスカーの鎮魂のために戦ってくれ」


 伝えるべきことは全て伝えた。あとは、キャロルの気持ち次第。


「俺は工房にいる。待ってるから」


 ここで自分にできることはもうやり尽くしたと確信したバーニィは、一度だけ優しくキャロルの肩を叩くと、静かに帰路につくのだった。

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