5.2 そういう冗談は好きじゃないよ

 バーニィたちが駆け込んだのは、騎士団本部官舎から少し離れた演習場。折から降り続いた雪に覆われているその一角が、今は血だまりで紅く染まっていた。

 その中心で横たわるのは、体におびただしい傷を負った飛竜ワイバーンだ。

 鉄をも容易たやすく溶かす火球を放つ口からは、いまや弱々しい吐息が漏れ出るばかり。そのはやさのいしずえであり、立ちふさがる全てを吹き飛ばさんばかりの暴風を巻き起こす翼は焼け落ちている。鱗はあちこち剥げ落ちているうえに、尾に至っては無惨にも切り落とされ、影も形もない。魔王の攻撃を受けてこうなったであろうことは想像に難くない。

 いくら生命力にあふれている飛竜ワイバーンとて、多くの傷を負い、流す血の量が増えてしまえば、死に近づくことに変わりはない。力感あふれる飛行で皆を圧倒し魅了させてきたオスカーの生命いのち灯火ともしびは、今や弱々しく揺らめくばかりで、目を離すと消えてしまいそうだ。


「オスカー! しっかりして! オスカー!」


 その主人・キャロルは、オスカーの太い首に取りすがって涙を流している。

 相棒ほどではないというだけで、彼女も重傷だ。まとうローブのあちこちにできた裂け目からは血が染み出しているし、手のひらには火傷も負っている。なるべく早く治療したほうがいいのは素人目に見ても明らかだが、彼女は自分の体の具合になんて目もくれず、枯れかけた声で相棒の名を呼ぶばかりだ。

 どんなときでも朗らかで、導師として明るく振る舞っていた、皆のよく知るキャロルはそこにはいない。腕の中で失われつつある命に動揺し、大切な存在を失ってしまうことへの恐れと怯えに急き立てられながらも、何もできず無力感に打ちひしがれる、どこにでもいる女性だ。


「キャロル!」

「バーニィ、オスカーが、オスカーが」

「傷薬は?」

「ここに帰る途中で、全部、使い切っちゃった……私、回復術式使えないし、どうしよう、どうしようバーニィ」

「もうすぐ人が来るから」


 バーニィのとっさの目配せ、その意図を読みとったルゥは、何も言わず頷くと即座に取って返し、手近な導師を捕まえるべく走り出す。


「私の魔法も通ってたし、なんとか踏ん張れてたんだけど、途中で杖が三本とも砕けちゃって……もうだめかと思ったんだけど、オスカーが、私を、かばって」


 バーニィは人知れず唇をかむ。

 杖が最後まで機能していたなら、魔王を討伐できたかもしれない。騎士団や導師の皆も、無駄な血を流さずにすみ、紙切れのようにその生命を散らすこともなかっただろう。

 だが、現実はその逆だ。

 多くの人が余儀なく黄泉への旅路につく羽目になり、目の前で想い人の大事な相棒オスカーまでも息絶えようとしている。その遠因を作ったのはお前だとそしられても、文句は言えない。


「ねえ、しっかりしてよオスカー、いつもみたいに答えてよ」


 涙声でいくら呼びかけても、オスカーは鳴き声はおろか、身振り手振りすら返さない。それどころか、金色の瞳は忠義を尽くすべき女主人を見ておらず、細い肩の向こうに向けられている。


 ――俺、か?


 バーニィとオスカー、はそれほど折り合いがいいわけではない。人間の方から歩み寄ろうと試みても、飛竜ワイバーンのほうがそれを拒む方がずっと多かったのだ。

 そんなが、自分から率先して目を合わせようとしている、そんな気がした。瞳からも、まだ光が失われていない。


 ――キャロルは連れて帰ってきたからさ、あとのことは、よろしく頼むよ。


 それはバーニィの思いこみ、あるいは独りよがりな願望かもしれない。

 だが、オスカーは確かに、何かを託してくれたように思えたのだ。


 ――任せとけ。


 命を賭して約束を果たした男の頼みを断れるほど、バーニィは薄情ではない。

 キャロルの背後に立ち、強く頷いた彼の顔を見て、飛竜ワイバーンは小さく、しかし満足そうに微笑わらったような気がした。そして、思い残すことはないとばかりに一度、深く大きな息をつく。


「……オスカー?」


 ずっとその首にすがりついていたキャロルが、真っ先にの異変に気づいた。


「やだよ、嘘でしょオスカー……私、そういう冗談は好きじゃないよ」


 鼓動も熱も失いつつある飛竜を前に取り乱し、声の限りに呼びかけても、答えは返ってこなかった。ゆっくりと閉じられた瞼は二度と開かず、腕も力を失って地へと垂れ下がったままだ。


「なんでおいてくのよ、一人にしないでよ……一人じゃがんばれないよ……」


 静謐せいひつを絵に描いたような雪景色の真ん中で、キャロルはオスカーの亡骸を抱きしめたまま、相棒の死という現実に打ちのめされてうなだれていた。もはや言葉らしい言葉なんて紡げるような状態ではない。彼女の慟哭どうこくは天に響くことなく、積もった雪に吸い込まれてゆく。

 オスカーの命の灯が消えてもなお、そばについていたバーニィだったが、彼女に掛ける言葉を見つけることはついぞできなかった。小さく震える細い肩に伸ばしかけた手も、所在なく空を掴むばかり。ルゥが他の導師を連れてくるまで、子供のように泣きじゃくる想い人を、ただ中途半端な距離で見守っているだけだった。

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