5. 工房の一番長い日

5.1 絶対変だって

 導師と騎士団で編成された魔王討伐隊が出発してから、二週間。

 街の空気は壮行会の盛り上がりから一転し、閉塞感に支配されていた。それは単に、暗雲立ち込める重苦しい天気が原因というだけではない。


 その日の朝一番に、討伐隊壊滅の報が街にもたらされたのだ。


 街へ御用聞きに回っていたルゥが持ち帰ってきた嫌なお土産を、最初は誰もが疑いの目で見ていた。いくら魔王が相手とはいえ、騎士団と教会が自信満々に送り出した精鋭たちがあっさりと返り討ちにあうとは信じがたかったし、最高の導師キャロルがついているという安心感もあった。それに、魔王はまだ往年の力を取り戻していない、という教会の見立てを多くの者が信じていたのだ。

 だが、騎士団からの使いに呼び出され、他の工房の代表者ともども本部に出向いたバーニィたちが耳にしたのは、想像を容赦なく上回る悪い報告だった。

 騎士団が自信たっぷりに送り出した兵士たちのうち、生きて帰れたのは後方からの支援に徹していた弓兵隊と、機動力に長けた竜騎士隊だけ。前衛を務める歩兵群――剣士隊と槍兵隊はほぼ全滅したという。ベテランと実力者を選りすぐった精鋭部隊も、魔王の力の前ではなすすべがなかった。魔法を身に受けたある者は剣を振るう間もなく倒れ伏し、またある者は鎧兜ごと消し炭にされ、二度と故郷の地を踏むことはなかった。

 一方、導師たちはかなりの奮戦をみせたという。

 騎士団ほど戦いの場に慣れてはいないが、互いの得意分野を生かして弱点を補う戦法に徹することで、剣ヶ峰に立たされながらも踏ん張り続けたのだ。魔力を練り上げたで攻撃をどうにかしのいでは、キャロルを筆頭に一斉攻撃を仕掛ける、我慢と忍耐の時間が続く。

 だが、彼らの努力が実を結ぶことはなかった。

 力尽きた導師から一人、また一人と倒れ、戦線の維持がままならなくなったのだ。堤に開いた一穴から水が漏れて崩れるように、導師たちも敗走の憂き目にある。余力のある者たちが殿しんがりを引き受け、魔王の追撃から逃げている最中らしい。


 街全体が近年まれに見る混乱と恐慌に陥っているなかで、各工房に仕事が課せられた。魔王への反撃に向けて体制を整えるため、近隣の工房で協力し、装備の修理と新造を行うこととなったのだ。

 騎士団長と司祭長からの短い説明を受けると、ある職人は沈痛な面持ちで、別の者は半ば諦めの境地に達した表情で、それぞれ現場へと赴く。心中しんちゅうに去来する思いは様々だろうが、ろくに兵士が帰ってきていないのに武器防具の準備もへったくれもないだろう、という雰囲気だけは一致していた。実際、実地調査と修理可否判定、後方に控えるそれぞれの工房への引き渡しと申し送り自体は、大した時間もかからず終了した。

 自分の仕事を終えた職人からそれぞれ工房へと戻る中、バーニィとルゥはずっと騎士団の詰め所に残っていた。キャロルがまだ帰ってきていないと知って真っ青になり、無事を確認できるまでここを動かないと言い張る跡取りに折れた仲間たちが、そのお目付け役を新人にまかせたのだ。

 季節は冬、しかも大寒波襲来の真っ最中。バーニィは屋外の冷たい空気に身を晒し、雪がひっきりなしに体を叩く中、北の聖堂へ続く空をじっと見つめていた。そんな彼を心配し、淹れたての茶を手渡したルゥは、もうもうと立ち上る湯気すらも凍りつく寒さに身を震わせる。


「若、寒くないっすか?」

さみぃけど、そうも言ってらんねぇだろ」

「お嬢さん、早く帰ってくるといいっすね」

「……そうだな」


 一見するといつもどおりの難しい顔をしているバーニィだが、近しい者からすれば虚勢を張っているのが見え見えだ。寒いことを抜きにしても明らかに顔色が悪い。両の足でしっかり大地を踏みしめているように見えても、それなりの力で小突いたらあっさり崩れそうなくらいに落ち着きもない。キャロルがまだ帰ってきていないと聞いてからずっとこんな調子だ。杖のコアの仕入れで不在の父に代わって工房を任されている彼だが、動揺を飼い慣らして押し隠せずにおり、若さゆえの経験の浅さを露呈している。

 バーニィがわがままを言って残ったのは、工房にとっては逆に幸運だったかもしれない。いくら腕が立つとはいえ、精神面でぐらつきのある今の彼に作業なんてさせようものなら、どんな失敗をしでかすかわかったものではないからだ。


「熱心っすねぇ」

「そうか?」

「自分もそこまで想われてみたいもんすよ」


 マサに「余計なことは言いすぎんなよ」と釘を差されているし、そもそも状況が状況である。さすがのルゥも、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべるにとどめておく。


「お嬢さんは国一番の導師様なんすから、あたいらは信じて待つだけっすよ。若も心配すんのはわかりますけど、風邪だけはひかないでくださいよ?」

「ルゥこそ、寒かったらひっこんでていいんだぜ?」

「あたいはさっきまで火にあたってましたから、大丈夫っす。それよか、いつもの襟巻きマフラーはどうしたんすか?」

「……別の工房に行った時に、ちょっと置き忘れてな」


 先輩が一瞬言葉に詰まるのを見逃すほど、後輩は優しくない。

 忘れ物をいつまでもほったらかしのままにするほど、バーニィは粗忽者そこつものではない。それを知る者からすれば、彼の忘れ物がどこにあるかは容易に察しがつくというものだ。


 ――お嬢さんが帰ってきたら、ちょっとお話聞かなきゃっすね。


 そんな調子で余計なことを考えていたせいで、空を見つめていたバーニィの目の色が変わるのに気づくのが、少し遅れた。


「……帰ってきた」

「え?」

「キャロルとオスカーだ、間違いない!」


 先輩を真似て空を見上げた彼女の目には、雪の舞う鉛色の空が映るばかりだ。うちの若旦那は寒さとショックで幻覚でも見てるのかと訝しむルゥだが、当のバーニィは至って大真面目である。


「あそこだよ、あそこ! 見えるだろ?」

「無茶言わないでほしいっす……」


 元の視力の良さに加え、額に押し上げた保護眼鏡ゴーグルに象徴される日頃の配慮ケアのおかげで、今の彼には隣の新人には見えないものが見えている。


「……なんか変じゃねぇか?」

「そんなこと言われてもなぁ」

「オスカーの飛び方、見てみろよ、絶対変だって!」


 しばらく目を凝らしていたルゥにも、ようやくバーニィの言うことがわかりかけてきた。

 数度ではあるが、彼女も竜騎士隊を相手に演習しているオスカーを見たことがある。稲妻を彷彿ほうふつとさせる圧倒的な加速力で目標との距離を詰めたかと思えば、急停止と急旋回でひらひらと舞い踊って相手の間合いを外し、隙をついて一撃を叩き込むのだ。少し小柄な自らの体格、背に乗る相棒キャロルも細身という利点を活かしたオスカーは、飛竜ワイバーン離れした飛行機動マニューバと魔法を武器に、他の竜騎士達に対して常に優位に立っていた。

 だが、今のオスカーに、あの頃の面影はない。

 そのはあまりにも遅いし、というよりはと、ひどく頼りなく飛んでいる。


「あ、ちょっと、若! どこ行くんすか!」


 空を凝視したまま、ルゥがちょっと首を傾げている間に、バーニィは寒さに震える足を叱咤しったして駆け出していた。どこへ行くかも、何をする気なのかも告げぬまま、ただただ積もる雪を蹴っ飛ばして進んでゆく。


「……後を追っかけるほうの身にもなりやがれ、まったく」


 走り出して数歩で、ルゥは雪に足を取られ、盛大にすっ転ぶ。その口からこぼれ出るのは、色恋沙汰では尻込みするくせに、こういうときだけ動き出しの早い先輩への辛辣な愚痴だった。

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