4.6 頼んだぜ

 数時間後。

 いまだ深い眠りの底で揺蕩たゆたうキャロルをそっとソファに横たえたバーニィは、忍び足で作業場に出向いた。

 その片隅では、揺らめく炉の火に照らされて、飛竜オスカーが昨夜と変わらず丸くなっている。一寝入りしたのかどうかは定かでない。いつもどおりその大きな目でバーニィを睨みつけてくる。


「そんな怖い目ぇすんなよ、オスカー。あんたの姫様が寝てる間に、男同士で内緒話といこうじゃねぇか」


 歩み寄る姿勢を見せたバーニィを小馬鹿にするように、オスカーが鼻を鳴らす。小僧が何を偉そうに、とでも言いたげだ。

 からすれば、バーニィは女主人キャロルに言い寄る悪い虫のようなもの。キャロルと話をしている最中に機嫌の悪そうな唸り声を上げられたことは数しれず、その上酔いつぶれて運んでもらったときに前科もある。相性がいい以前に、頭が上がらない相手と言っても過言ではない。

 それでも、とバーニィは思うのだ。幼馴染と主従関係、互いに立場は違うけれど、二人の根底に流れるものは同じはず。


「好きな女を守ってやりたい、ってのは、俺もあんたも同じだろ?」


 オスカーの表情は、一見すると変わらない。

 日頃から飛竜ワイバーンと接していればわかるのかもしれないが、あいにく、バーニィが日々相手にするものといえば荒っぽい職人たちに、無理な注文を押し通そうとする顧客カスタマー、言葉を発さない物言わぬ金属や木のカタマリである。そんな彼に竜の機敏を読み取れというのは、少々こくな注文といえよう。


「……偉そうなこと言ったけど、正直、俺にどこまでのことができたかな」


 短い沈黙の後、バーニィは思いつくままに訥々とつとつと話し始める。

 魔王討伐に赴く導師のための杖は、白布に包まれ、使い手に渡るのを待っている。

 現在手に入る最高の材料を使い、世界に名だたる杖職人・ポールと、その息子・バーニィが作った三本の杖。導師なら誰でも欲しがるであろう代物だが、それさえも、キャロルの全力に耐えられる保証はできない。おまけに彼女が立ち向かう相手は魔王、どれほどの実力を隠しているかもわからないし、導師たちの予想を超えたとんでもない力を振るってくる可能性だってある。最強の切り札キャロルが力を発揮しれないことが人類側の致命傷となりはしないかというのが、バーニィ達の不安の種となっている。


「自分の幼馴染が人類の切り札なんて、まるでおとぎ話みてぇだよな」


 抱きしめたキャロルの肩は驚くほど細かった。昔は同じくらいだった背丈も、今では彼のほうが頭一つ高い。魔法を使わせれば右に出る者がいないということ以外、彼女は普通の女の子とさほど変わらないのだ。

 そんな小さな体に、魔王を討伐し人々を守る、あまりにも大きな使命が乗っかっている。

 代わってやりたいとか、せめて一緒にその重荷を背負えればと思っても、そうは問屋が卸さない。現実とはかくも非情なものである。苦しさを自分だけにでも伝えていってほしいと願うのだが、素面の彼女は「大丈夫」と強がるばかりなのだ。

 とにもかくにも、魔法の魔の字も使えないバーニィに、キャロルの代役は務まらない。


「俺は、工房ここで、武器とか杖を作ることしかできねぇ。一緒に行って、剣でもなんでもブン回してあいつの力になれりゃいいけど、そんな力はねぇんだ」


 己の無力さがどんなに歯がゆかろうと、それが現実。魔法の才もなく、武のことわりも知らないバーニィに、戦場での居場所などない。

 そんなバーニィの独白を、オスカーは黙って聞いている。

 余計な合いの手を入れるでもなく、ましてや茶々を入れるなんてこともない。理解しているかどうかさえも定かでない。ただただ、静かに丸まっているばかりだ。


「でもオスカー、お前は違う」


 バーニィはしゃがみこんで飛竜に目線を合わせた。


「虫のいい話なのはわかってる。俺がそんなこと言える立場じゃねぇのも知ってる。

 それでも言わせてくれ。俺の代わりに、キャロルを守ってやってくれよ」


 ――いまさらあんたに言われるまでもないさ。


 もちろん、飛竜オスカーが言葉を返してくれるはずもない。わかりきったご高説なんて聞いてられないとでも言いたげにそっぽを向くばかりだ。


「頼んだぜ」


 バーニィに鼻筋を撫でられて、オスカーはゆっくり目を閉じる。それを承諾の意と取るのは、さすがに調子が良すぎると怒られるだろうか。


「さて、そろそろ準備するか」


 つなぎの上から防寒着ブルゾンを羽織り、襟巻きマフラーを巻いたバーニィは、工房の大扉を開ける。

 扉の向こうに広がるのは夜明け間近の空。分厚い雲に覆われているのは相変わらずだ。

 冬が厳しい地域であることを差し引いても、ここ最近の天候は異常だ。生まれてこの方街からでたことのないバーニィも、ここまで青空を長い期間拝まなかった記憶はない。


「うわ、寒い」


 可愛い声に振り向くと、キャロルが吹き込む冷たい空気に身を震わせている。

 もこもこの外套にくるまってなお寒がる様子を見ていると、つい不安になる。魔王討伐に向かう道中では、野営も何度かあるはず。どう贔屓目に見ても寒いのが得意ではなさそうな彼女は、果たして雪中行軍に耐えられるのだろうか。


「なんだ、起きてたのか」

「ついさっき、ね」

「時間になったら起こしてやろうと思ってたのに。飯、つくってやろうか?」

「ううん、いい。あんまり遅くでていって、妙に詮索されるのも面倒だし。こっそり寮に帰ってから、直接教会に行くよ」

「そうか」


 もう少しだけ一緒にいれたら、というバーニィの淡い期待は叶うことなく、冬の空気に溶けて消えた。


「それなら、こいつを持ってってくれよ」

「新しい杖だね? ありがとう。おじさまにも」


 よろしく、と続ける代わりに、キャロルは小さくくしゃみをする。

 それだけだったら微笑ましい光景だが、彼女は何があっても万全の状態でなければいけない立場だ。しょうがねぇな、とため息をついたバーニィは、自分の襟巻きマフラーをキャロルに巻いてやる。


「いいの?」

「そこそこ値が張るやつだから、ちゃんと返してくれよな」

「うん、約束する」


 ――無事に帰ってこい。


 照れ隠しにしてはあまりにも婉曲えんきょくなバーニィの振る舞い。その真意ねがいを知ってか知らずか、キャロルは首元に手をやって、ただ嬉しそうに笑うのだ。


「温かいね。バーニィの匂いがする」

「なんだそりゃ」

「ひなたに似てる。私の好きな匂い」


 聞いていてこっ恥ずかしくなる言葉をサラリと言い放ったキャロルは、杖三本を小脇に抱え、先に表で待っていたオスカーにひらりと伸び乗った。


「ねえ、バーニィ」

「どうした?」

「この仕事が終わったら、今まで一緒にいれなかったぶん、色々お話をしたいの。これからのことも一緒に考えたい。いいよね?」


 少し頬を染め、ちょっと困ったように眉尻を下げた想い人の可愛らしいおねだりを断れる男なんて、いやしない。バーニィはただ一度、大きくうなずいてみせた。


「とことん付き合ってやるから、絶対に帰ってこいよ」

「うん。待ってて」


 そう言ってオスカーの手綱をとったキャロルの顔からは、もう微笑みが消えている。代わりに浮かぶのは、戦地に赴く戦士の精悍さだ。


「行くよ、オスカー!」


 先程まで寝こけていたとは思えない気合の声とともに相棒をけしかけると、顔を覆いたくなる一陣の風が辺りに吹き荒れた。

 あたりに静寂が戻ったころにはもう、は高く舞いあがり、空を駆けている。


 ――帰ってきたらちゃんと、「お帰り」って言ってやる。


 二人が去っていってなお、バーニィは工房の大扉に寄りかかり、明けゆく空を見つめ続けるのだった。

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