4.5 ここにいて

「ちっとは落ち着いたか?」

「……うん」


 外の空気から切り離された部屋で、バーニィとキャロルは一つの毛布にくるまったまま、交わす言葉も少なく、暖炉で揺れる頼りない火を見つめている。


「ミルク、冷めちまったな。温め直すか?」

「いい。そんなことより、ここにいて」


 一見落ち着いたようにみえるキャロルだが、バーニィにしがみついたまま離れない。彼が腕をほどこうとすれば「寒い」と言い出し、余計に体重を預けてくる始末だ。


「ねえ、バーニィ」

「あんだよ」


 そんなものだから、さっきから彼の胸は全力で高鳴りっぱなし。距離なんてないに等しい状況では、心臓の鼓動もキャロルに届いているかもしれないし、ずっとこんな状態が続いたら寿命が縮むんじゃないかとさえ思えてくる。せめてもの抵抗として、緊張を悟られまいとぶっきらぼうな物言いをしてみるけれど、効果があるかははなはだ疑問だ。


「私も、いつか、杖を手放す日が来ると思うの」

「……そうだな」


 ただでさえ高い魔力を誇る彼女のこと、それに見合う杖には生涯出会えないままなら、導師をやめても不思議ではない。そうでなくとも、他の要因で魔法を失うことだってあるかもしれない。それが一年先か五年先か、はたまた十年先かはわからないけれど、終わりは必ず来るのだ。


「その時が来たら、やりたいことがあってね」

「そりゃ初耳だな」


 導師になって、皆の役に立ちたい。

 それがキャロルの夢であると明かされたことはあっても、その向こう側の話はまだ聞いたことがなかった。


「私の知り合いに、工房の跡取り息子がいてね。その人を支えてあげたいなって思ってるんだけど……」


 頬を染める彼女の言葉の意味がわからないほど、バーニィも鈍くはない。

 言葉を失ったバーニィの胸に、キャロルはそっと耳を当てる。彼女の一挙一動に心と感情を揺さぶられっぱなしなのは、きっととっくの昔に筒抜けだ。


「バーニィ、緊張してるんだ?」

「……そりゃするだろ。キャロルは、どうなんだよ」

「さあ、どっちでしょう?」


 そう言ってバーニィを見上げるキャロルが浮かべるのは、さっきまで泣いていたのが幻かと思える程度には意地の悪い笑顔だ。


「私は本当の気持ちを話したのに、バーニィは本心を隠すのかな?」


 逃さない、とばかりに体重をかけられれば、いくらバーニィでも覚悟を決めるというものだ。頭の中の天使と悪魔にも、今はご退場願う。ここで想いを伝えずして、いつ伝えるというのか。


「ずっと好きだった人が腕の中にいるんだ、緊張だってするだろ」

「そうだよねぇ」


 バーニィの、なけなしの度胸を絞り出した言葉に比べると、キャロルの返事は羽のように軽い。その軽さのまま、彼女はひらりと壁を飛び越えて来た。


「私も、いま、同じこと考えてた」

「それって」


 ――それ以上、言葉にするのは無粋だよ。


 そう言う代わりに、キャロルは伸び上がって、バーニィの唇を奪う。

 時間にして数秒、それは二人にとって、限りなく永遠に近い時間。


「キャ、キャロル?」


 唐突な求愛に驚き、目を見開いて固まっていたバーニィを見つめていたキャロルだったが、さすがに照れくさくなったのか、ふたたび彼の胸に顔をうずめた。


「私、いま、きっとだらしなくにやけちゃってるから」


 だからしばらくこのままで、とキャロルに押し倒されたバーニィは色めき立つが、


「え、おい、キャロル?」


 当の導師様は、なんとそのまま小さく寝息をたて始める。


 酒、そして、心理的な緊張と弛緩の繰り返し。

 それらによって、彼女の神経は加速度的に疲弊していったらしい。キャロルの寝息は、先程の大胆な行動からは想像できないほど小さいが、どこか満足げだ。

 一方、図らずもお預けをくらったバーニィは、このやり場のない気持ちをどうしたものか、とキャロルをかき抱いたまま悶々とする。 奥手とはいえ、彼も年頃の男。好きな女の子とに及びたいという欲求も興味も大いにある。だが、さすがに寝込みに手を出すのはいかがなものか、という自制心が働くあたりが、彼の真面目さ、そして小心さをよく表しているといえよう。


 ――幸せそうな顔しやがって、このやろう。


 男は狼なんだから油断するなよ、と呆れる気持ち半分。不埒ふらちな悪行には及ばないと信頼されて悪い気分はしないというのが半分。手出しをするほどの度胸もあるまいと思われている可能性も捨てきれないが、キャロルの優しい温もりと心音がそばにある今、後ろ向きネガティブな考えはどっかにうっちゃっておきたいのが偽らざる本音だ。

 とはいえ、想い人の整った寝顔が目と鼻の先にあっては、高鳴る鼓動も落ち着く気配を見せないし、そもそも身動きが取れない。バーニィの意識はもはや槌で打つ直前の鉄のように過熱していて、このまま寝れる気などしない。

 こうなりゃ一晩、この寝顔を守ると覚悟を決めたバーニィは、腕の中の淑女の髪に優しく指を絡ませるのだった。

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