4.4 バーニィのばか

「おかえりー」


 砂糖入りのホットミルクと共に戻ってきたバーニィを出迎えたのは、ソファの上でもぞもぞとうごめく毛布の塊だった。誰がやってるかはわかりきっているので、彼もいちいち驚かない。


「……何してんだよ」

「寒いからちょっと拝借しました」

「ミルク温めてきたけど、飲むか?」

「いただきまーす」


 いつもは導師として堂々たる振る舞いを見せているキャロルが、今は毛布からひょっこりと顔を出し、カップを両手に抱え、甘いミルクに頬を緩ませている。幼馴染という間柄ゆえ、他の皆が知らない彼女の一面に触れる機会も多いはずのバーニィすら、新鮮に思える表情だ。


「どうしたのバーニィ? 突っ立ってないで、こっちにいらっしゃいよ」


 お盆を片手に、想い人の可愛い仕草を独り占めしている満足感にひたっていたバーニィだったが、追い撃ちに等しい誘い文句にはっと我に返る。自分の隣の席をポンポンと叩く彼女の眼力はいつもよりずっと強く、有無を言わさぬ迫力に満ちている。


「言うこと聞かないとー、おねーさん知らないぞー」


 当代最高といわれる才能の導師が見せる、子供じみた謎の圧力プレッシャーにあっけなく屈したバーニィは、言われるがままに腰を下ろす。キャロルから握りこぶし四つ分ほど距離を置いて座るその動きは、油の切れたブリキ人形のようにぎこちない。

 だが、彼女からすると、そんな逡巡しゅんじゅんがまどろっこしくて仕方ないらしい。


「なんで距離置くのよー」

「わぷっ!?」


 唇を尖らせて可愛らしくふてくされたキャロルは、なけなしの緩衝帯を一瞬で無きものにし、隣のバーニィを毛布の中に取り込んでしまう。肩に妙な力の入っていた彼には、抵抗する暇さえ与えられなかった。

 毛布の内側にこもる香りがバーニィの脳を麻痺させ、体の左半分から伝わるぬくもりが鼓動をいやがおうにも早める。彼の頭の中では、早くも天使と悪魔が殴り合いをおっ始める始末だ。


――千載一遇の機会なのはわかるけど、相手は大切な幼馴染なんだから、慎重に行かないと!

――据え膳食わぬは男の恥! 遠慮すんな! 進め!


 ただし、両者の違いは程度の問題だけ。方針は「行け」で一貫しており、議論の余地は¥がない。その上、隣では天使の顔をした導師様が、悪魔のような誘い文句を投げかけてくる。


「ほら、寒いんだから、もうちょっとくっついて」


 意を決したバーニィが細い肩に手を回せば、キャロルは待ってましたとばかりに抱きつき返してくる。心のどこかで憧れていた状況シチュエーションではあるのだが、彼の胸に顔を埋める想い人の様子に、彼は違和感を覚える。

 少々手荒にキャロルの額に手を当てても、病的な火照りは感じない。そっと握った指先にも、先程のような冷えの気配は残っていない。そうなれば、思い当たる節は一つだけだ。


 心に巣食う不安が、体を震わせている。


 最高の導師として、魔王討伐の努めを果たす。人々が彼女に寄せる期待はあまりにも大きかったし、それを支え切るには、彼女の体は小さすぎた。

 でも、バーニィですら、彼女の背負うもの全てを分かち合ってはやれない。今の彼がしてやれることといえば、そっと優しく抱きしめて、安心させるように背中をさすってやることくらいだ。


「もっと早く気づいてよ、ばか」

「悪ぃな。知っての通り、不器用なもんで」


 未知の相手に立ち向かう不安と必死に戦っている彼女に、もっと早く寄り添ってやるべきだったと後悔したところで、もう遅い。面と向かって好きだと言えずにいた自分の弱さを呪っても、彼女は明朝に街を発つ。明日の今頃は、オスカーとともに空の上か、それとも戦場の近くで夢の中か。

 いずれにしても、今の彼にできることは、腕の中のキャロルが漏らす泣き言を受け止めてやることだけだ。


「教会の人の街の人も、私に期待をかけてくれてる。お父さまやお母さまも、頑張ってこいって手紙をくれた。バーニィやおじさまは私のために頑張って杖を作ってくれた」

「本当は、もっといいもんを渡せりゃいいんだが」

「でも、限られた時間と条件で準備をしてくれたんだもの。十分だよ」


 世界でも屈指の技術を持つと評されるポールと、その子にして弟子であるバーニィ。その二人が作った杖さえも、彼女の全力を受け止めきることはできなかった。かせを外してやれないまま、キャロルを戦地に赴かせてしまう負い目があるだけに、彼女の言葉が一層胸に食い込み、刺さる。


「問題なのは、むしろ私のほう。みんなの期待に答えられるか、不安でしょうがないんだよ」


 魔王の出現と時を同じくして姿を消した魔法生物に、例年と比べて日照時間が明らかに短く、寒く、雪深い冬。

 バーニィのような一市民さえ、仕事や生活の端々にその影響の臭いを感じているのだ。当代最高の導師として魔王監視と討伐の最前線にいるキャロルが、驚異を肌で感じていないはずがない。


「昔の導師様たちが束になって封印するのがやっとだった相手を、私たちがどうにかできる保証なんてない。そんなに簡単な相手とは思えない」


 未知の存在は徐々に、しかし確実に力を取り戻しつつある。一戦交えて、無事に帰れるかどうかなど誰にもわからない。いくらキャロルが優秀な導師とはいっても、恐怖や不安に駆られるのは当然の話だ。

 でも、彼女に逃げるという選択肢は与えられていない。最上位の資格を持つ導師として前線に立ち、その小さな背中で仲間たちを引っ張っていく重大な役目を放棄することは許されていないのだ。


「……ごめん」

「なんで、バーニィが、謝るのよ」

「俺がキャロルにしてやれることって一体なんだろうって思うと、な」


 彼女に代わって魔王を討つような力もなければ、守るために剣を振るうこともできない。彼女の手を無理やり引っ張り、魔王討伐なんて放り出して一緒に遠くへ逃げる勇気もない。杖を作ることしかできないくせに、それすら完全とは程遠い。キャロルの側にいる資格なんて本来はないような気もしてくる。


「そんなの、決まってるじゃない。黙って胸を貸してればいいのよ……バーニィのばか」


 キャロルは背に回す手の力を強め、バーニィの胸に顔をうずめて小さく嗚咽するばかり。惚れた弱みに加えて、声に涙の色が混じっているとなれば、罵られても言い返せない。

 彼女の抱える不安を拭い去ってやれない自分へのもどかしさ、そんな自分にだけ弱さをさらけ出してくれる想い人への愛おしさがないまぜになってしまい、もうどうしていいのかわからない。そんな彼にできることなんてせいぜい、キャロルが少しでも安心できるように包んでやるくらいのものだった。

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