4.2 聞いたことねぇぞ
軒先に
二人を悩ませているのは、杖の要である
枯渇の原因は、元を辿れば魔王の復活である。
現に、北の聖堂の封印が解かれたという報が入る前後から、森に暮らす魔法生物の数が急減しはじめていた。名手と呼ばれた
そんな状況でボンネビル工房にできることといえば、定期的にキャロルから杖を預り、修理と調整をする場当たり的な対応だけ。キャロルのための最低限の材料をどうにか確保するのが精一杯で、それ以外の杖を新規に作るための余力など、今の彼らにはない。
供給が遅れがちなのは、金属類も同様だ。騎士の標準装備一式を揃えるにも時間がかかる有様となっている一方で、騎士団や教会からの依頼はどんどん納期が短くなる。工数をゼロにできない以上、示された納期に間に合わないと判断した工房は折衷案を出すのだが、依頼する方はそこをなんとかするのが職人の仕事だろうと無理を通そうとするものだから、頻繁に小競り合いが起こるようになった。皆の神経がささくれ立ち、いつも誰かが無い物ねだりをしている状態が、しばらく続いていた。
そんなある日のこと、再び教会からお触れが下った。
先遣隊からの報告、これまでの準備状況、部隊の編成と作戦会議に要する時間の全てを踏まえて、一週間後に魔王討伐に出向くと決めたのだ。
締め切りが決まれば追い込み作業が始まり、余計に忙しくなる。だが、職人たちにしてみれば、終わりが見えただけマシというもの。あとひと頑張りする気力もどうにか絞り出せる。作るべきものを作り、納めるべきものを納めてしまえば、そこから先は教会と騎士団の仕事になる。そこまでは全力で自分の仕事をやるだけだと、職人たちは昼夜を問わず工房にこもり、作業に精を出した。そして、日が沈むたびに暦にバツ印をつけ、一日千秋の思いで決戦の日を待ったのである。
出征前日。
ここ数日、信じられないほどに低く垂れ込めた雲が日光を遮り、降りしきる雪が大地を凍りつかせている。だが、街の人々はそんな重苦しい天気を意に介さず、討伐に出向く兵士や導師を囲んで、昼間から壮行会に興じていた。
もっとも、ボンネビル工房の面々は、その環に加われるか少々怪しい。
締切が重なったこともあり、ほとんどの職人たちはこの朝まで徹夜仕事に挑んでいたのだ。力ない手つきで自分の荷物をまとめ終えたものから、一人また一人とふらつく足を引きずり、クマの浮かんだ目で数歩先を見つめながら帰路につく。家についたらそのままベッドに直行し、死んだように眠るのが容易に想像できる足取りだ。宴が夜まで続いても、おそらく顔を出せまい。
最後の職人と入れ替わりに、バーニィが工房に戻ってきた。前日深夜に杖を仕上げ、一旦帰宅して休んだ彼は、工房の設備の停止と戸締まりの確認に来たのだ。基本的にはそれぞれの職人が持ち場の片付けを済ませているので、あくまでも最後の確認だけとなる。明日から数日間は、工房自体が休業だ。
作業場を整理整頓し、小さく維持された炉の火を確かめ、大扉の錠前を降ろしたバーニィは、二階に設えた自分用の設計室に引きこもった。盛り場から離れた工房、しかも誰もいないとくれば、考え事をするにはもってこいだ。
結局、魔王討伐の日を迎えても、キャロルと杖の問題の抜本的な解決には至らなかった。
杖職人の親子にできたことは、予備も含めて杖を複数本用意することくらいのもの。材料が手に入りにくくなりつつある中、使える伝手を全部使い、どうにか純度の高い
正直なところ、キャロルが杖を壊した経緯を振り返ると、もはや素材の善し悪しがどうのこうのという領域の話ではないようにも思えてくる。明朝に渡す予定の三本の杖も、彼女の全力の魔法には耐えられず、魔王との戦いが終わったらこれまでのものと同じ末路をたどるのはほぼ間違いない。
だが、杖はいくらでも作り直せる。彼女が無事に帰ってきてくれさえすれば、それでいい。
自分で淹れた茶の熱さに目を白黒させながら、バーニィは引き出しの奥から一枚の図面を引っ張り出し、積まれた帳簿に目を通す。キャロルの杖の始末記たるそれらは、言い換えれば彼の失敗の歴史。向き合うのは正直しんどいが、これを乗り越えないことには、職人としての成長もない。
――
魔石、角の芯、琴線、逆鱗、その他諸々。 魔法生物から採取され、杖の
想い人の杖作りで悩んだこの若き職人、だったら試すまでだ、と一念発起した。
彼ももちろん、
その公試の記録は実にシンプルなものだ。
――キャロル、合図とともに魔力を込め始める
――異常な発光(金色)
――振動大、キャロル、杖を放り出す
――関係者退避
――杖、爆発
結論からいってしまえば、見事に失敗した。杖本体の素材と構造を同一とし、異なる核の組み合わせで作られた
五行足らずの記述しか残せない程度の短い間に、杖は華やかさを通り越して背筋も凍りつきそうなほどのきらびやかな光を放ち、熱病に
だが、つい数日前に手に入れた手記が、彼にもう一度見直しの機会を与える。
最も新しい
――大型の魔法生物の中には、まれに二つの核を持つものがいる。
――それらの核を載せた杖を手にした導師は大いなる力を振るい、困難から人々を救った。
自身が朱線を入れた文章に改めて目を通したバーニィは、先達の残した記録の解釈に頭を悩ませる。同一個体から採れた二つの
とはいえ、
更に悪いことに、もう一つ大きな課題が転がっている。
――二つの
父や祖父といったベテランの職人たちに聞いても、そんな話は聞いたことがないと答えるばかり。この手記を手に入れてすぐに、魔法生物専門の
キャロルが全力を出せる杖を作ってやりたいと思うのは山々だが、現実は非情である。理屈の上ではどんなに高性能な杖でも、術者を傷つけるようでは本末転倒。どうしたものかと頭を抱え、先達の残した記録にすがってみても、答えにはたどり着けないままだ。
日が落ち始めてもなお、ランプを灯して考え事にふけっていたバーニィだったが、ふと、視線を窓へ向ける。彼の耳が、遠くの喧騒とは違う物音を捉えていたのだ。
窓の外に、誰かがいる。
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