3.5 腹ぁくくっとけや

 バーニィがから現場に復帰するまで、結局五日を要した。

 ぶん殴られた翌日は目眩めまいがして起き上がれず、二日目はベッドから降りようとしたら膝の踏ん張りがきかなかった。工房に顔を出せるようになったのは三日目からだったが、本調子からは程遠い。両手に今ひとつ力が入らない状態では軽作業しかこなせず、職人の皆にただ迷惑をかけてばかりの自分に苛立つばかり。力仕事ができるまでに復調するには、その翌々日を待たなければならなかった。

 多くの職人たちが心配する中、「このクソ忙しい時に穴開けやがって」と彼をどやしつけたのは父親ポールただ一人だ。


「マサから聞いたぞ、一方的にのされたんだってな」


 途中まで楽しく酒を飲んでいたのに、理不尽にぶん殴られた挙げ句、想い人キャロルに情けないところまで見せるハメになった一件を思い出し、バーニィの顔は苦味を帯びてゆく。


「まあ、跡取りの立場ってのを守って、下手な手出ししなかったことだけは褒めてやるよ」

「工房の名前背負ってっかんな」

「わかってりゃ文句ねぇよ」


 バーニィがボンネビル工房の跡取りであることは、この街に住む誰もが知っている。そんな彼が、司祭長補佐という重要な職位ポストにある導師を相手取って揉め事を起こしてしまったら、工房の評価や今後の仕事に差し支えるのは必定ひつじょう。自然と行動も律されるというものだ。


「とはいっても、まさか勝てねぇ喧嘩を買って大見得切るたぁな」

「あれ、まずかったか?」

「いや? 職人をなめてかかる相手に言いたいことも言えねぇような弱虫に育てた覚えもねぇしな」


 そう言ってニヤリとしたポールに釣られるように、バーニィも曖昧に笑った。




「おめぇが家で寝込んでる間に、司祭長が詫びに来てな」


 仕事の後、食卓を囲みながら、ポールが事の顛末てんまつを語ってくれた。

 バーニィが気を失った後、アレクサンダー導師は自慢の膂力りょりょくを遺憾なく発揮し、職人たちを片っ端からのしてまわった。結果、翌日のボンネビル工房の戦力は半減。残った面々が膨れ上がった仕事の対応に追われ、上を下への大騒ぎだった。

 神妙な顔をした司祭長が姿を見せたのは、その最中である。

 深々と禿げ頭を下げた司祭長に真っ先に噛み付いたのは、血の気にはやる若手たちだった。当人が詫びに来ねぇとはどういう了見だ、といきり立つ職人たちをなだめつつ、ポールとマサが問いただしたところによれば、


「今回の件は教会の管理不行届に原因がある」

「ボンネビル工房の技術力は教会が一番良く理解しているから、取引停止だけは避けてほしい」


 と申し出てきたという。

 教会は売掛金を取りっぱぐれる心配をしなくてよい大事な取引先であり、工房側からすればわざわざ取引をやめる理由はない。だが、厄介者アレクサンダーの行動だけはきちんと管理しろ、と釘を差すのは忘れなかった。彼の苛烈かれつな性格を考えれば、逆恨みしてボンネビル工房に魔法の一発や二発を打ち込みにかかっても不思議ではない。ポールやバーニィに危害が及ぼうものなら、キャロルの杖は永遠に完成しない可能性さえある。契約の履行を建前に件の導師との縁切りを突きつけたわけだが、この要求は全面的に受け入れられた。

 ポールはさらに畳み掛ける。

 次の質問は、揉め事の発端となった司祭長補佐の処分についてだ。バーニィは工房の主力、それもキャロルのための杖作りに関わる人材である。親方にしてみれば一時的に片腕を封じられていたも同然なのだから、当然、然るべき沙汰さたが下るものと踏んでいたのだ。

 だが、職人一同が鋭い視線を向ける中、司祭長が絞り出すようにもたらした答えは、


「アレクサンダー・ヴァンキッシュ司祭長補佐はしばらく謹慎処分とし、期限が明ければ元の職務に復帰する」


 というもの。それを聞いた若手たちは、待ってましたとばかりにやれ処分が軽いだのクビにしろだの騒ぎ出したのだが、まずは話を最後まで聞かなければ始まらない。マサが一喝して黙らせた。

 ポールに促されて司祭長が明かしたのは、教会の台所事情だった。

 彼らの財源は寄付によって賄われているのだが、ここ数年間の最大の出資者スポンサーがヴァンキッシュ家なのだという。それを知った若い職人たちは


「野郎の出世にゃ、やっぱり金が絡んでやがったのか」

「出資者の犬になり下がるたぁ、教会も堕ちたもんだな」

「今度あのクソ導師を工房に近づけてみろブッ殺すぞ」


 などなど、ある者は焼けた鉄のごとく顔を真っ赤にし、またある者は額に青筋を浮かべ、口々に好き勝手ぶちまけた。先ほど職人頭に一喝されたことなど忘れたかのような罵詈雑言が飛び交ったのだが、今度ばかりは、誰も彼らを押さえつけはしなかった。

 司祭長もただただ疲れたようにため息を絞り出すばかりで、反論する意思も気力もないらしい。今回の一件に限らず、アレクサンダーが起こす揉め事の後始末にだいぶ苦慮くりょさせられている様子が伺えた。並の導師一人が起こした問題行動なら破門を言い渡して終わりなのだろうが、飛び抜けた魔法の才能を持ち、かつ彼の家から莫大な運営資金がもたらされているとあっては無碍むげに扱うわけにもいかないのだろう。

 ここ数ヶ月で司祭長アイツの眉間と目元のしわが深くなったのは気のせいじゃねぇかもな、と話を締めくくったポールは、バーニィに一通の手紙をよこした。透かしの入った上質な便箋びんせんは、教会の公的文書にしか使われないものだ。


「お嬢さんの杖、改めてよろしく頼むとさ」


 バーニィとしては、当代最高とうたわれる導師から指名されて嬉しい反面、彼女の規格外の魔力を受け止める優秀な杖を作れていない焦りもあって、単純に喜んでばかりもいられない。


「困ったことになっちまったな。俺もこの商売やって長ぇが、杖をブッ壊しちまうような導師様ってのはさすがに初めてだ。そんな才能の持ち主が杖の催促をしてくるってなると、教会が抱えてるの面倒事、相当切羽詰まってるってみて間違いねぇだろうな」


 いつもだったら「まさか」と聞き流してしまいそうな言葉だが、父ともども秘密裏に魔王復活の話を聞いているバーニィには、それを冗談として受けながし、一笑に伏せるほどに足る材料がない。


「何があっても不思議じゃねぇからな。おめぇも腹ぁくくっとけや」


 急にそんなこと言われても困る、薄ぼんやりした目標相手にどうしろってんだよ、と口をへの字に曲げるバーニィだったが、ほどなくして否が応でも覚悟を決めさせられることになる。

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