3.2 絶対に逃さないで

「どうって言われてもなぁ」


 率直に言ってしまえば、進展らしい進展など、ない。

 彼にとってキャロルは、想い人であると同時に仕事の依頼主だ。特に最近では、杖職人とお得意様という立場で話をする機会の方がずっと多い。幼馴染として、最後に話をしたのは、果たしていつだっただろうか。


 お得意先として接している相手に対し、下手に想いを伝えて話をこじらせるわけにはいかない――。


 職務に忠実であるがゆえに自制心がはたらき、想いを伝える好機タイミングを逃している自覚は、バーニィにだってある。その上に乗っかってくるのが、一介の職人にすぎない自分が、国でも指折りの導師と釣り合う人間かという疑問。さらに、想い人本人が工房に持ち込んでくる杖の問題も合わさって、彼の心は、台風が通過している最中の水面さながらの乱れようだ。いずれにしても、キャロルは彼にとって心の多くを占める存在で、ことここに至ってますます無視できなくなりつつある、という事実は揺らがない。

 だが、それを友人――たとえそれが長年付き合った間柄であっても――に素直に話せるかというと、それは別の話だ。仕事以外のこととなると素直になれる勇気が出せないというのは、彼の致命的な弱点である。


「相変わらず、杖を壊しては、工房に泣きついてくる」

「ああ、やっぱりそうだったのか」


 そういうことじゃないでしょ、と口を挟みたげなヴィヴィを軽く制しながら、ラルフは相槌を打った。


「先輩、急に訓練を休むことがあるって聞いてたんだけど、あれは杖をやっちまってたのか」

「キャロルが特別な導師、ってのは間違いねぇよ。だけど、おろしたての杖をすぐに壊すってぇのは、ウチの工房の歴史でも初めてだ。杖の調整を先延ばしにしたせいで調子が狂う、って話はちょいちょい来るんだけど、壊すまで行った例はねぇんだ」


 どうしたもんかね、とバーニィは手元の酒に目線を落とす。

 優れた才を持つ導師の一部には、杖――正確には、杖の中枢たるコア――との相性の問題を抱えているものがいる。だが、キャロルほど極端な例となると、バーニィはもちろん、父や祖父もお目にかかったことがない。

 とにもかくにも、キャロルが全力で魔法を使えない状況は、今も変わらず続いている。

 思いつくことはたいてい試してみたけれど、どれもうまくいっていない。ものは試しと杖の柄を金属製に変えてみても無駄だったし、禁忌タブーとされる核の二重搭載デュアルコア化を試みたら魔力が際限なく暴走して大事故になりかけたこともあった。

 いろいろな事態がバーニィの周辺で停滞しているなか、上がるのは杯を傾ける頻度ペースくらいのものだ。


「自分に見合った杖に出会えねぇまま、騙し騙し魔法を使い続けなきゃいけねぇってのは不憫ふびんすぎるからな。どうにかしてやれねぇかって考えて試してはいるんだけど、ままならねぇもんだよ」

「泣ける話だなぁ、ヴィヴィ」

「強大すぎる魔力ちからの扱いに悩む若い導師と、彼女を影からそっと支える幼馴染の杖職人、ね。絵にはなるかも」


 ラルフとヴィヴィはそっと視線を交わし、狩猟ハンティング彷彿ほうふつとさせる手練てだれ手管てくだをもって、音もなくバーニィを追い込んでゆく。無理に聞き出すのではなく、自然に、静かに、水面下で、何もなかったかのように、彼が本心を語るように仕向けていくのだ。


「キャロル先輩は男どもみんなの憧れだ。お前だってそうだろう?」

「……まあ、ね」


 美人で、朗らかで、優しく包み込んでくれるような存在と評判のキャロルだが、導師としての責務の重さからか、ごくまれに、ふと憂いを帯びた表情を見せることがある。導師としてキビキビと明るく立ち振る舞う彼女が時おり見せるかげり、そこに生まれる落差ギャップが男たちの保護欲に火を付ける――というのが、ラルフが聞きかじった評である。

 自分の知るキャロル像と違う気がするのはともかく、バーニィも彼女への好意自体を否定する気はない。


「憧れの導師様は、あなたにとっては幼馴染で、お姉さんで、大事なお客様」

「昔からの付き合いだから距離が近すぎるし、工房の人間として客と一線引かなきゃいけない、そう思う気持ちもわかる」

「バーニィ、見かけによらず真面目だもんね」


 見かけによらずってのは余計だよ、と閉口しつつ、バーニィは乱暴な手付きで酒杯を傾ける。


「今が互いに大事な時期というのは確かにそのとおりだ。キャロル先輩はいつか教会を背負しょって立つ人だし、バーニィは工房の跡取りとして仕事と修行にはげまなきゃいけない」

「二人とも大変だけど、よくやってると思うよ、あたしは」

「だからこそ、互いに支え合っていくべきじゃないのか? それが人間というもんだろう?」

「……ラルフ、お前、酔うの早くねぇか?」


 酔っとらん! と握り拳を天に突き上げて気炎を吐くその姿は紛うことなき酔っ払い。カウンター越しに美人が追加で燃料スピリッツを注ぐものだから、炎は更に勢いを増して燃え広がる。


「ラルフの言うことは極端かもしれないけど、一理あるとは思うよ。あたしはバーニィのことを草葉の陰から応援してる」

「それはありがたいけど、草葉の陰じゃ死んでるってことだぞ?」

「あ、そうか」


 まさかこのバーテンも酔ってんじゃなかろうな、とつい疑いの目を向けるバーニィから目を逸らしたヴィヴィは、吹けない口笛を吹くふりをしてごまかす。


「そういうわけで頼む、お前らくっついてくれ」

「何が『そういうわけで』だよ、無茶言うんじゃねぇ。こっちにだって準備ってもんが」

「キャロルお嬢さんに、しつこく誘いをかける導師がいるんだと。……例の司祭長補佐だ」


 む、とバーニィの眉が歪んだのをみて、ラルフはここがチャンスとばかりに畳み掛ける。相手が怯んだところで一歩踏み込むという定石を、大男は忠実に履行する。


「キャロル先輩が訓練に出向く時にも必ずついてきて、終わったら誘いをかけるんだが、毎度毎度そでにされてるらしい。オスカーと一緒に翔んでく後ろ姿を睨む顔は、同じ人間とは思えないって評判だぜ」

「そんなに?」

「元の顔がいいおかげで、余計にそう見えるんだと。悪魔すら可愛く思えてくるってさ。でもそこまではまだいい」


 問題はその後だ、とラルフは神妙な顔で続ける。


「別の日に司祭長補佐が訓練を担当した時に、今度は騎士団が地獄を見るんだ。先輩が誘いになびかなかった腹いせと鬱憤うっぷんを魔法に込めて叩きつけやがるもんだから、受ける方としてはたまったもんじゃない。教会との合同訓練を中止にできないか、本気で企むやつまでいる始末さ」

「俺とキャロルが……くっつくってのが、それにどんな関係があんだよ」

「キャロルお嬢さんに恋人がいるってなれば、あの司祭長補佐もちっとはほこを収める」

「それは絶対にない」


 自分たちが楽をするために人の恋路を利用するってどういう了見だよ、とバーニィが口を挟むより早く、ヴィヴィはラルフの言葉を遮った。


「例の人が噂通りなら、連れ合いがいても関係なく誘いをかけるに決まってる。むしろ、障害がある方が燃える性質タチかもしれない。状況は一切好転しないと思う」

「でもヴィヴィ、このまま二人をほっとくわけにもいかないだろ?」

「キャロル先輩が他の男になびくかも、ってのはあたしも否定しない。乙女心とナントカ、ってよく言うでしょ」

「秋の空、か?」


 そうそれ、とバーニィの指摘に頷いたヴィヴィは、持論を述べ続ける。


「二人とも若いうちに専門職の修行を始めたから、色恋沙汰に鈍いのも知ってる。だからこそ危険なんだよ」

「その心は?」

「いくらキャロル先輩でも、熱心な誘い文句を重ね続けられたら、ある時急にコロッと落ちちゃうかもしれない。学舎を出てすぐに導師になるための修行を始めてるから、男に対する免疫も決して強いとはいえないはず。バーニィが幼馴染として過去から関係を積み重ねてるといっても、それがこの後どうなるかはわからない。いい方に持っていけるか、悪い方に転ばしちゃうかは、バーニィ次第だね」

「それじゃヴィヴィ先生、彼にかけるご助言は?」

「二人に接点がある限り、機会チャンスはどこかで必ず来る。それを絶対に逃さないで。あと、雰囲気ムード作りは大事だから頑張れ」


 職人としての修行と仕事に明け暮れていたバーニィにとって、ヴィヴィの注文はなかなか難しい。キャロルが力いっぱい振るえる杖を作るのにも匹敵するだろう。今の彼には


「善処する……」


 としか答えようがない。


「お店の紹介が必要だったら、あたしに声をかけてくれればいい」

「なんで自分の店ここを推さないの?」

「噂話を交わす場所だから。愛の言葉をささやくのにはそぐわない」


 そうかも知れねぇな、と豪快に笑うラルフに引っ張られて、バーニィもつい相好を崩す。大切な友人たちと過ごす穏やかな時間は貴重で、かけがえのないものだ。

 だが、愉快な一時は往々にして長くは続かない。この夜も決して例外ではなかった。

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