3. 平穏を乱す者

3.1 因果な商売ね

 魔王の封印が解かれた兆しがある。

 そうキャロルに教えられたあの日以来、バーニィたちの周囲はにわかに忙しくなった。騎士団や教会から、ひっきりなしに修理やら新規製作の注文が舞い込むのだ。ボンネビル工房にも人手には限りがあるため、ことと次第によっては近隣の職人を斡旋あっせんしたり、応援に来てもらったりしている。バーニィも本職の杖作りの合間に、他の職人が鋼を叩いて剣や槍を作るのを手伝ったり、鎧兜の調整作業に勤しんだりしながら、日々を過ごしていた。

 街の様子は、一見これまでと変わらない。盛り場への人の出入りや、物価の上がり下がりといった変化を訝しむものもまだ少数、ましてやその理由まで話題に登る気配などは皆無といってよかった。

 そんな雰囲気もあって、どれほど仕事が忙しくなろうとも、職人たちが夜のお楽しみをないがしろにするようなことはない。秋の終わりの迫る安息日の前夜も、バーニィは馴染みの酒場に赴いていた。




「いらっしゃい、バーニィ」

「お、来たな。今日は早かったね」

「たまにはそんな日もあんだよ。ヴィヴィ、いつものやつ頼む」


 杯を囲む面子はいつもと同じ。彼の隣では、筋骨隆々の竜騎士・ラルフが蒸留酒をあおり、対面からは目元の涼し気な女バーテン・ヴィヴィがそっと杯を差し出す。


「最近は工房も大変だろう?」

「おかげさまで。騎士団も訓練に熱心なようで、結構結構」

「……何か思うところがありそうね」

「まあね、今日もちょっと揉めちまってさ」


 来店早々、バーニィはグラスの中身の半分ほどを一息で胃の腑に収め、盛大に愚痴をぶちまけた。


「俺たちは職人だから、どんなにボロボロになった武器でも、然るべき金と時間をくれればちゃんと直して返す。修復が無理と判断したなら新しく仕立てる提案をする。それが仕事だからな。

 でもな、駄目になった剣やら鎧やらを荷車いっぱいに持ち込んで、明日の昼までに直せって言われても無理だぜ? いくら金積まれたって作業時間はゼロにゃならねぇって、あいつら一体いつになったら学習すんだよ?」

「あー、それは……すまない」


 一介の兵士相手にこぼす不満としてはお門違いもいいところではあるが、ラルフも人がいいので、曖昧な笑顔で精一杯縮こまってみせる。元の体格が立派なので、あまり効果がないが。


「バーニィ、それはラルフの責任じゃないわよ。竜騎士隊もそれなりに忙しいでしょう?」

「人によるよ。僕の仕事は後方支援とか偵察だからなぁ。幸か不幸か、ああいう訓練とか演習にはあんまり縁がなくてね。前線に立つ連中は……ご愁傷さま、かな?」

「……そんなに厳しいの?」

「地獄だよ、あれは。朝の予定は訓練、昼の予定も訓練。ことと次第によっちゃ夕方から夜にかけて特別訓練だからね。今日はないみたいだけど、あいつらいつ休んでるんだろう?」


 不思議でしょうがないという顔をされても、騎士団でない二人が答えを持ち合わせていようはずもない。頬を引きつらせて同情の眼差しを向けるので精一杯だ。


「夜くらい休ませてあげればいいのに」

「今の言葉、聞かせてやりたいね。ヴィヴィが同情してるって知ったら、あいつらもきっと喜ぶよ」

「兵士のみなさんが来ないと、ウチも商売上がったりなのよね。街を守ってくれるのはありがたいと思ってるけど、さ。あまりロマンチックな理由じゃないけど、もっといっぱいお店に来てほしい」


 根っこに現実的な願いが横たわっていると知ってさえいなければ、誰もがヴィヴィの笑みに魅了されるであろう。知らないってのは幸せかもしれねぇなと思うバーニィだが、それをいうのは野暮やぼというもの、黙ったままだ。


「騎士団が厳しい訓練に励み始めたってのは、あまりいい兆候じゃないね。どういうつもりなのかな……? ラルフ、ちょっと教えてよ」

「……目的は知らないけど、導師を相手に訓練してる。魔法を使う相手に対してどう戦うか、って訓練だそうだ」

「それって意味あるの?」


 そうさねぇ、とラルフがゆっくり揺らす杯の中で氷塊が踊り、光を跳ね返す。


「魔法のことは導師様に任せといて、騎士団は別の連中を相手にする訓練をしたほうがいいとは、個人的に思うけどね。あんまり意味ないように見えるな」

「なら、わざわざそんな訓練を続けるのはなぜ? 騎士団の上の人たちもお馬鹿さんではないんでしょ?」


 さあね、と大男は知らないふりをする。

 ラルフにしてみれば、自分の所属する組織――騎士団の意図を市民ヴィヴィに漏らすわけにはいかない。仮に知っていたとしても、とにかくすっとぼけるだけだ。


一般兵したっぱは上からの命令に従うだけさ」

「どんなに愚かで、バカバカしくても?」

「それが兵隊ってもんだから」

「因果な商売ね」


 そうつぶやき、憂いをたっぷり含んだため息をつく仕草はヴィヴィにあまりにも似合っている。彼女の熱烈なファンであれば、胸が高鳴るのではなく、むしろ心臓が一旦止まりそうになることうけあいだ。


「訓練を担当する導師にも、色々いるみたいでね。キャロル先輩なんかは相手の技量に合わせて手加減してくれるみたいだけど」


 そりゃそうだろ、とバーニィは内心で呆れる。彼女が――杖が万全だと仮定して――本気で魔法を使おうものなら、それは訓練ではなくただの虐殺に変わる。そうなっていないのは、ボンネビル工房が彼女にを提供できないことの裏返し。職人にしてみれば歯がゆさと悔しさの象徴でしかない。


「そうじゃない導師様もいる、ってこと?」

「ああ。ちょっと前にこっちの教区に異動してきた、司祭長補佐っているだろう? 彼が担当の日はひどいらしいよ? かかってもいない病気やらいない身内の不幸やらの届け出が増えるって」


 言外に語られる訓練の過酷さに少し眉をしかめて考え込んでいたヴィヴィだったが、何か思い当たるフシがあったらしく、ぽんと手を叩く。


「もしかして、アレクサンダー・ヴァンキッシュ卿のこと?」

「お、よく知ってるね。知り合いかい?」

「こういう仕事してると、人の噂はよく回ってくるから」


 バーニィは黙って話を聞いている。

 キャロルの杖の一件以来、彼はくだんの司祭長補佐に会う機会がなかった。表面上だけ見れば、言葉を数度交わしたくらいの間柄でしかない。

 そんな杖職人の内心を知ってか知らずか、女バーテンはカウンターの向こうで極めて渋い顔をしている。


「導師としては、先輩の次に優秀だって聞いてる。でもそれ以上の悪評もあってね」

「伺おうかな」

「女癖が度を越えてよろしくないそうね」

「……相変わらず、方面がだらしないやつに対しては辛辣しんらつだな」

「導師だから余計、そう思うのかもしれない。それを差し引いても、そのおとこは結構なクズだよ」


 吐き捨てるように言い切ったヴィヴィの目・言葉・顔全てに、はっきりと嫌悪の色が浮かんでいた。

 甘い言葉や花束とともに言い寄られた回数を数えたら指が何本あっても足りない彼女だが、実はその全てをことごとく撫で斬りにしている。軟派な男は彼女のお気に召さないらしい。


「伯爵家の人間で、舞踏会とか晩餐会に招待されることも多いんだけど、そこに出向いちゃ出席者の女を喰い散らかしてる、って話を聞いてる。やることがこすっからいね。きっと、キャロル先輩も同じことを言うと思う」

「違いないね」


 頬杖とともに曖昧な笑顔を浮かべたまま、ヴィヴィの舌鋒ぜっぽう鋭い物言いをぼんやり聞いていたバーニィだったが、突然想い人の名前を出されて動揺し、うっかり酒をこぼしそうになる。彼の事なかれ主義をいつまでも許しておくほど、友人たちは優しくなかったのだ。


「ここまでわかりやすいとかえって拍子抜けだね」

「バーニィは考えが顔に出すぎるから、あんまり客商売には向かない気もする」

「一応その自覚はあるんだぜ? だから工房の奥に引っ込んで、職人やってんだけど……」

「どうする、ヴィヴィ。僕としては、よろしい評判のない導師様の話よりも、長い付き合いの友人の話を聞きたいところなんだけど」

「全面的に賛成。ねぇバーニィ、最近キャロル先輩と仲良くやってる?」


 ひるがえした反旗を力づくであっさり引きずり下ろされたバーニィは、この場をそう切り抜けたものか、酒でぼんやりした頭に再び活を入れるのだった。

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