2.9 面倒な客だねぇ

「状況がいつ変わっても不思議じゃねぇから、支度が早ぇに越したことはねぇな。とはいえ、準備の時間をゼロにもできねぇ。嬢ちゃん、少し時間をくれ。杖のことは、追って教会に連絡するぜ」

「今まで同じ仕様のまま、ってわけにもいかねぇしな。こっちからいくつか案を持ってくかもしれねぇけど、そのときはよろしく頼む」

「バーニィ、何か思いついたの?」


 キャロルという規格外の導師を前にしては、今までの杖作りの常識が通用しなくても不思議ではない。これまで禁忌タブーとされてきたことの中にこそ、解決の糸口があるかもしれないと踏んではいるが、今はまだ、余計な期待をさせるわけにもいかない。


「やってみたいことはいくつかあるけど、今は何も言えねぇ」


 言葉を濁しながらも帳簿に色々思いつきアイディアを書き付けていたバーニィだったが、受付のあたりが妙に騒がしいことに気づいてペンを置く。

 ポールに促されて駆けつけてみると、ルゥと客が揉めていた。


「だから、お嬢さんは今打ち合わせ中なんすよ! 終わったら戻るようちゃんと伝えますから、とりあえず今はお引取りください!」

「急ぎの要件だ、小僧は引っ込んでいろ」

「自分は女っす!」

「どうかなさいましたかお客様……っ!?」


 一体何があった、と割って入ったバーニィは、来客者の顔を見て一瞬言葉を失う。


「アレクサンダー、司祭長補佐? 一体何用ですか?」

「キャロライン導師を迎えに来た。ここにいるのだろう?」


 バーニィに詰めよろうとする司祭長補佐を押し留めようとしたルゥだったが、その体格差は歴然。あっさり振りほどかれ、尻もちをついてしまう。


「大丈夫ですか?」

「あ、すいません、お嬢さん」


 客間から出てきたキャロルに手を引かれて立ち上がると、ルゥは客商売にあるまじき目つきで無粋な客人を睨みつける。だが、当の本人は平気の平左、柳に風とばかりに受け流し、キャロルに帰還を促すのだった。


「キャロライン導師。今すぐお戻りください」

「私を名前で呼ぶのはやめてほしいと、何度言ったらご理解いただけるのですか、司祭長補佐?」


 可愛らしい唇から放たれるのは、別人としか思えない冷たい声。普段との温度差が、バーニィとルゥの背筋を凍らせる。彼らの知っているキャロルはいつも朗らかで、記憶する限り、こんな声色で話したことは一度もない。


「……ユノディエール導師、先程、教会から騎士団に使いが参りました」


 アレクサンダーは仰々しく空咳をついてから、子供を諭すようにゆっくりと説明を始めた。もちろん、ボンネビル工房の面々に真相を悟られぬよう、要所を伏せた言葉選びを交えてだ。


「司祭長の懸念けねんされていた例の件、連携して態勢を整えることになりました」

「そうですか」


 この場にいる面々の中で、彼の言葉にうなずいたのはキャロルだけ。ルゥがなんのことやら見当がつかず首を傾げているそばで、バーニィは無関心を装っている。先ほど事の顛末てんまつを聞いているから、客人が何を告げに来たのかは想像がついていた。

 魔王の封印が解かれ、復活した可能性が極めて高い、と判断されたのだろう。


「至急、会議を開きたいとのことです」

「わかりました。打ち合わせはもうしばらくかかりますから、あなたは先にお戻りください。終わり次第、すぐにそちらに帰ります」

「聞こえませんでしたかな? 会議を、至急、開きたいと」

「出かける前に申し上げているはずですわ。次の杖の目処めどをつけてから帰りますと」

「あまりわがままを言うものではありませんよ、ユノディエール導師」

「杖のない導師なんて、何の役にも立ちませんわ。それに、私がいなければいないで、みなさんが適切な結論を出してくださるはずです」


 キャロルの反論を聞いたアレクサンダーは、わがままな妹を相手にした兄のような渋面を浮かべていたが、じゃあこれならと新たな提案をする。


「それならせめて、河岸を変えてみてはいかがですかな?」

「どういうことです?」

「壊れた杖を作った工房に、また仕事を頼むのは愚策というものでしょう? 私が杖をあつらえた職人を紹介しますよ」

「余計なお世話ですわ」


 黙って聞いてりゃこの野郎、とバーニィが堪忍袋の緒を切らす間すら作らず、キャロルが毅然きぜんとした態度で言い放つ。


「私、ボンネビル工房以外の杖は使わないと決めてますの」

「ここにこだわらなくとも、職人などいくらでもいるでしょう?」

「国一番とうたわれた杖職人と、その技術を受け継いだ息子さん。私が信頼を寄せるのはそのお二人だけですわ」

「だが、現にそいつらが作った杖は、あなたの力に耐えきれず壊れている」

「修行の終わりごろは、もっとひどいものでしたわ。ちょっと力を込めたら杖がバラバラになってしまうんですもの。導師の称号と一緒に『壊し屋』のあだ名を拝命したくらいです」


 ――んなこと一言も言ってなかったじゃねぇか!


 杖を壊したことがあると聞いてはいたが、そんな異名の存在は初耳だ。話を掘り下げなかったのはバーニィの落ち度かもしれないが、正確な情報をよこさなかった教会にも責任の一端はあるだろうと嘆きたくなる。


「話はこれでおしまいです。先にお戻りいただいて、会議を始めていただくようお伝え下さい」


 戻りましょう、とキャロルに腕を引っ張られたバーニィは、たたらを踏みながら応接間に吸い込まれていった。


「ええと、そういうことなんで、お引取りを……」


 いつもの調子で切り出したルゥだったが、閉ざされた扉、そしてその向こうにいるであろうバーニィたちを、悪鬼もかくやとばかりに睨みつけるアレクサンダーを前にして、思わず息を呑む。


「……ただで済むと思うなよ」


 そう言い捨てた彼は、ルゥには目もくれない。扉をむしり取らんばかりの勢いで表に出ると、馬と共に元来た道を引き返していった。


「……面倒な客だねぇ。こういうときはあれだ、砂糖まくんだよね。あれ、それじゃアリが寄ってくるよな……塩だったっけ? あとでマサさんに聞いてくるかぁ」


 蹄鉄が石畳を叩く音が遠ざかると、ルゥはさっきの小騒動などなかったかのようなけろりとした顔でひとりつぶやいた。もともと貧民街の生まれな上、工房という荒っぽい男社会で暮らしている彼女にしてみれば、ちょっとしたゴタゴタは日常茶飯事。特に愚痴ることもなく、元通り受付業務に戻る。


「司祭長補佐、ねぇ。あんな高慢ちきな導師様よりも、顔に似合わず気弱で煮え切らないウチの若旦那のほうがよっぽどマシだと思うけど」


 本人バーニィが聞いたら誉められてるのかけなされているのか困りそうな独り言をつぶやきながら、ルゥは行儀悪くカウンターで頬杖を付き、ぼんやりと次の訪問客を待つのだった。

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