2.8 いまさら何を言ってるの

「お二人とも、北の森の言い伝えはご存知ですよね?」


 ボンネビル工房の応接間で、杖職人の親子は、キャロルと向かい合っていた。

 応接間と言っても、工房のそれである。普段は顧客との打ち合わせに使う部屋であり、少々殺風景にすぎるきらいはある。だが、この場にいる誰もそんなことは気にしていない。重要なのは何を話すかだ。


「『北の森の奥深く、そこに分け入ったが最後、化け物に魂まで喰い殺される』だったっけ?」


 改めて口にしてみると物騒である。

 バーニィの記憶する限り、それは好奇心旺盛な子どもたちが森の奥深くに入っていかないよう脅しつけるための文句だったはずだ。事実、北の森は昼間もろくに日が差さず、方向感覚を狂わされて道に迷う可能性が高い。加えて大型の魔法生物が多く棲みついており、狩猟を生業とする勇気あるものたちすら多少足を踏み入れる程度で、少人数での深入りはしない場所だ。欲を出してその奥まで踏み込んだものは例外なく帰ってこなかったことから、北の森は「深淵」という異称で呼ばれている。


「では、深淵そこに何が存在するかは……いかがですか?」


 バーニィは当然知らない。北の森と聞いて彼の頭に思い浮かぶのは、青々とした陰鬱いんうつな森ばかり。それ以外に何があるかなんて検討もつかない。

 一方、ポールには思い当たる節があるらしい。


「爺さんから聞いたことがある。聖堂だろ?」

「そのとおりです、おじさま」

「なんでまたそんなところに……?」


 聖堂は多くの人々が集い、祈りを捧げたり司祭様の教えに耳を傾けたりする場所。それを人が寄り付かない北の森に建てる道理などない。その点はポールも同じ意見らしく、そこに聖堂が建てられた経緯までは知らない、と答えていた。

 それを受け、キャロルは、居住まいを正して朗々と語り始める。


「私たちのお祖父様の、さらにお祖父様がまだ幼かった頃くらいでしょうか。この国は滅亡の危機にひんしていました。天災、飢饉ききん疫病えきびょうと、考えうるあらゆる災厄に見舞われ、弱き者から一人、また一人と倒れていったのです」


 今でこそ平穏なこの国にも、そういった暗い時代があったことは、バーニィも知っている。学舎に通った者は誰でも習う郷土の歴史だが、どうやってその危機を乗り越えたか、そもそもそのあたりの話を聞いたか否か、どうにも記憶が曖昧だ。


「それは教会も例外ではありません。導師が一人また一人と倒れ、日増しに状況が厳しくなるなかで、竜騎士の方々と手を携え、空から諸悪の根源を粘り強く探し続けました」


 それはやがて実を結ぶ。そうでなければ、ポールもキャロルもバーニィも、おそらくこの場にはいなかったであろう。


「すべては、北の森の古城に暮らす魔王によりもたらされたものだと、彼らは結論づけたのです」

「魔王ねぇ……」


 キャロルの話は突如飛躍し、おとぎ話の様相を帯び始めるが、話す方は真剣そのものだ。


「全土から選抜され、古城に送り込まれた導師たちは、見事に期待に答えました。多大なる犠牲を払いながらも魔王を倒し、その地に封印したのです。

 解体された古城の跡地には聖堂が建てられて、強固な封印が施されました。その上で人々が近づかぬよう、誰もが知るあの言い伝えを作ったんです。当時は今よりも教会の権力が強かったので、人々はその教えを信じ、家族や子どもたちに強く言い聞かせました」

「その封印以降、国には平和がもたらされてめでたしめでたし、ってぇことかい?」


 おっしゃるとおりです、とキャロルは小さく頷く。


「今でも封印の監視は続いてるんです。私も週に二回、オスカーと深淵の観察に出向いています」

「……立派になったな、嬢ちゃん」


 飛竜ドラグーン・オスカーを手懐け、機動力を手にした導師であるキャロルにはうってつけの仕事である。彼女の子供の頃を知るポールも思うところが多いのだろう、言葉こそぶっきらぼうだが、口調は温かい。

 思わぬタイミングで褒められてつい照れ笑いを浮かべるキャロルだったが、すぐに真剣な顔に戻る。


「状況が大きく変わったのは、つい先日のことです。深淵に建てられていたはずの聖堂が、見るも無残な姿に変わっていました」

「魔王の封印が解かれた、ってことか?」

「それはまだ、わかりません。教会も総力を挙げて解析していますが、まだ結論が出てないんです」

「一ついいか、嬢ちゃん?」


 何でしょう、と形良い唇が開かれる前に、ポールはすでに疑問を投げかけている。


「それを俺たちに教えてどうするってんだ? こちとらただの職人だ、魔王だの何だのをどうこうできる立場じゃねぇ。それはわかってんだろ?」


 簡潔にして本質をついたそれは、キャロルの思考を一時詰まらせる。再び口を開いた彼女は、答えをどうにか絞り出しているようにも見えた。


「……おじさまのお言葉はごもっともです。もし魔王が復活したとなれば、教会と騎士団が総力を挙げて討伐することになるでしょう。そうなってしまえば、工房のみなさんも無縁ではいられなくなります」

「……最悪の事態になっても慌てねぇように備えとけ、ってことかい」


 いざ戦いが始まれば、武器も防具も杖も加速度的に傷む。前線に立つ者たちが存分に力を発揮するためには、銃後の守り――職人たちを筆頭とする裏方の下支えサポートが必要不可欠だ。その腹づもりをしておけ、と遠回しに言っているにすぎない。彼女の言葉の真意を汲み取ったボンネビル親子はそろって頷く。


「先程も言ったとおり、教会でもまだ結論はでていません。ですが、最悪の事態に備えて動いているのは確かです。私がお二人に話をしたのも、その一環と思っていただければ。ただ、正式な発表があるまで、このことは他言無用に願います」

「大事なお客様の信頼を裏切る気は最初ハナっからねぇよ。安心しな、嬢ちゃん。

 ついでといっちゃなんだが、もう一つ確認させてくれや。もし、ドンパチが始まったとしたら……嬢ちゃんも、そこに出向くのかい?」

「無論です」


 先ほどとは違い、キャロルの返答にためらいらしきものは一切混じっていなかった。バーニィの脳天に、金槌でぶん殴られたような衝撃が走る。


「そんな顔しないで、バーニィ。私も導師の端くれよ。みんなのために魔法を使うのは当然のことだわ」

「あんたがいくら優秀でも、相手は魔王なんだろ? 無事じゃすまないかもしれない」

「危害を加える存在から人々を守るのが、導師の義務。魔法はそのための力ですもの」


 キャロルの覚悟は、とうの昔に決まっていた。導師となり、人々の役に立ちたいと願ったあの夜から、何一つ変わっていない。ぐらついているのは、むしろバーニィのほうだ。


「だからこそ、一刻も早く、私が扱える杖を作って欲しいんです」

「……最初に渡した杖は壊れちまった。それでも、あんたは俺たちを頼ってくれるのか?」

「いまさら何を言ってるの、バーニィ。最高の杖職人と、その後継者のいる工房以外に、杖を任せる気なんてないわ」


 不安を吹き飛ばす春風に似たキャロルの微笑みも、バーニィの心の雲を晴らすには至らない。

 身に危険がおよぶ場所に、キャロルを赴かせたくはない。そんなバーニィの本音は、もはや叶わぬ夢物語だ。彼女は現役最強と称される導師で、魔王というわけのわからない存在にぶつける切り札としてはこれ以上ない存在。開戦のお触れがでたとなれば、彼女が担ぎ出されるのはもはや必定ひつじょうである。

 では、そうなったときに、キャロルが頼りにするしるべはなにか?

 彼女が皆のために魔法を振るい、未知の敵とあいたいすると決めたなら、もう引き止める理由もない。共に戦う相棒としてボンネビル工房謹製の杖をご指名というのなら、彼らが進むべき道は最善の仕事をし、彼女が勝って帰れるよう祈ることだけだ。


「……最大限の努力はするぜ。なぁ、バーニィ」

「もちろんだ」


 幼馴染として納得できない感情を、職人としての理性でどうにか説得し、バーニィは静かに頷く。その内心で、次に作る杖の計画プランを練りながら。

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