1.8 ありえない

「寝たかな?」

「……そうみたいだ」


 ボンネビル工房の跡取りは、カウンターに突っ伏し、静かに寝息を立てていた。

 けっして酒に弱い体質ではないバーニィだが、その隣でいくつの杯を空にしたかわからないラルフのようなでもない。ある限度を超えると、あっさりと睡魔に意識をひきわたし、そのまま眠りこけてしまうのが常だった。


「バーニィも相変わらずだね。昼間は難しい顔して気ぃ張ってるくせに、一皮むけばこの有様だからな」

「人によっては、母性本能をくすぐられる、なんてこともあるかもしれないね」

「ヴィヴィはその点、どうだい?」

「これ以上弟とか妹が増えるのはパスかな」

「そんなら、キャロル先輩におまかせだな」

「賛成」


 ラルフは五人兄弟の二番目、ヴィヴィは六人兄妹の長女で、どちらかといえば誰かの面倒を見る機会が多い立場だ。

 一方、バーニィは一人っ子である上に、周りに数多くの職人がいる環境で育った。親方と女将を中心に、共に手を取り合って仕事をし、ときにぶつかりあいを起こすなかで同じ時間を過ごす彼らの間に築かれた絆は、もはや家族のそれも同然である。そういう視点にたてば、バーニィはボンネビル工房の末弟という立ち位置ポジションであり、現に年嵩としかさの兄貴分たちに可愛がられて育ってきた。そのせいか、二人は時々、バーニィの行動の端々に末っ子気質を感じてしまうのだ。


「それはともかく、こいつをこれから連れて帰るのか……」


 ラルフとバーニィの家は近所同士だが、あいにく、今起きている方も相当に酒が回っている。こんな状態で大人の男一人を背負って帰るというのは、見かけどおりの剛腕で鳴らした彼でも少々骨の折れる仕事だ。


「馬車、呼んであげる」

「ありがとう。お言葉に甘えるよ」


 帰りの足のアテができて安心したのか、再び杯の中身を口にしたラルフだったが、表のざわめきを察知してふと手を止める。対面で硝子杯を拭くヴィヴィが扉に向ける眼差しも、警戒の網を巡らす猫のような鋭さだ。


「ごめん、ラルフ。ちょっと見てきてくれる?」

「客使いが荒いバーテンだねぇ……」


 ぼやきながら、でも頼られてまんざらでもない顔で立ち上がったラルフだったが、扉をぶち破らん勢いで飛び込んできた白い導師服ローブを目の当たりにして思わず後ずさる。


「バーニィ、いる?」

「え、あ、キャロル先輩?」

「あら、お久しぶり」


 街で噂の導師様の突然の登場に、常連客一同がどよめく。ヴィヴィも言葉だけは冷静だが、止まっている手が驚きと戸惑いを如実に物語っていた。

 もっとも、周囲を沸き立たせている当の本人はお構いなしといった様子。ラルフの隣で突っ伏しているバーニィを素早く見つけると、小走りに駆け寄ってくる。


「寝ちゃってる! 遅かったかぁ……」

「その様子だと、一杯引っ掛けに来たんじゃないみたいね」

「ごめんなさい、ヴィヴィちゃん。それはまた今度の機会に。今はバーニィを連れていくから……。ほら、起きて! 工房に戻るよ!」

「ん、あ、何だよぉ」

「何だよじゃないよ、ほらしっかりして! 工房でおじさまが呼んでるよ!」

「おやじがぁ? あんだよぉ……」


 早口で詫びたキャロルの肩を借りてどうにか立ち上がったバーニィだが、寝ぼけている上に体の隅々まで酒が回りきってしまっているので足元が覚束おぼつかない。キャロルが肩を貸してなお足取りが怪しいので、見かねたラルフが手伝ってやる。


「ありがとうございます、ラルフ君」

「このままじゃ共倒れだろうからね。どこまで連れてけばいい?」

「表までで大丈夫です。オスカーと来てますから」


 その言葉の通り、扉の向こうではキャロルの相棒・オスカーがおとなしく待っており、人々がそれを遠巻きに眺めている。バーニィもそうであったように、竜は敵意のない者を襲わない生き物だとみんな知ってはいるのだが、近くで触れて慣れ親しむ機会は多いわけでもない。自然、距離を置いてしまう形になる。


「工房に戻る、って言ってたよね? 非常事態?」

「たまたま時間ができたから、杖の相談をしたいって思って、工房に伺ったんです。そうしたらバーニィ、もう上がっちゃってて、家にも帰ってなくて。お酒を飲みに出てるって言われたから、探しに出ようと思って飛び出したのはいいんですけど、どこのお店かもわからなくて。そんなに飲んでなければいいなと期待してたんですけど、やっぱり遅かったですよね」

「だいたいわかった。ずっと探し回ってたのね」


 ヴィヴィの返事に頷いたキャロルは、オスカーの手を借りてその背にバーニィを押し上げると、自らも軽やかな足取りで地を蹴って飛び乗った。


「ごめんなさいね。本当はもうちょっと、ちゃんと話したかったんですけど」

「いいってことよ。ほら、急いだ急いだ」

「またのご来店をお待ちしています」


 二人に頭を下げたキャロルが一声叫べば、心得た、とばかりに天を仰いだ相棒が大きな翼を力強く振りおろす。

 飛竜ワイバーンなづけた可愛い導師様が、あたりにつむじ風を巻き起こしながら空に舞う姿を目にした観衆は大興奮、やんややんやの大はしゃぎだ。


「それでは皆様、ごきげんよう!」


 歓声に応えたキャロルは、一秒ごとに高みへ、そして遠くへとオスカーを走らせる。風が止んだ頃にはもう、バーニィを連れたは空の彼方、蒼い軌跡の流れ星と化している。


「ラルフは、どう思う?」

「オスカーのこと? いい飛竜ワイバーンだよ。僕のパナメーラといい勝負だ」

「そっちじゃない」

飛竜ワイバーンにも色々種別がいてね、大きい方からボスホス、ソフテイル、ワルキューレ……」

「それ、前にも聞いた」

「オスカーはワルキューレ種だろうが、ちょっと小柄かな。速いのは体格の影響もあるんだろうね」

「ご高説はありがたいけど、私が聞きたいのはキャロル先輩のこと」

「ああ、そっちか」


 酔っ払っている竜騎士の感想を、ヴィヴィは容赦なく撫で斬りにする。職業柄、飛竜ワイバーンが気になる気持ちはわかるのだが、あいにく、彼女の質問の趣旨からは大きく逸れている。

 ようやく合点がいった、とばかりに頷いたラルフは、腕を組んでしばし考え込む。


「……あんまり心配しなくていいんじゃない?」

「やっぱりそう思う?」

「先輩自身が役に立たないって思ってるなら、わざわざ迎えに来やしないだろ? それも行きなれない酒場を一軒ずつ回ってだよ?」

「やっぱりそうよね。それじゃ質問ついでにもう一つ。飛竜ワイバーンって、主人が嫌っている相手を背中に乗せるの?」

「ありえない」


 ラルフは強い調子で言い切った。質問を半ば遮るような、有無を言わさぬ返答であったけれど、麗しのバーテンダーにとってはそれで十分だ。

 飛竜使いライダー飛竜ワイバーンの絆は、それほどまでに強い。さとく忠誠心の強い生き物である飛竜ワイバーンが、主人のお眼鏡にかなわない人間を背に乗せるなんて絶対にない。


「少なくとも、キャロル先輩はバーニィを信頼してる。そう見て間違いはないのね」

「今の段階では、な。酔っ払ったあいつが、オスカーの背の上で吐いたりしない限りは大丈夫だろ」

「それは、ちょっと心配……。酔っ払って飛竜に乗ると、どうなる?」

「やったことないからわからんけど、たぶん」


 ラルフは肩をすくめた。


「ロクなことにならないのは、確かだろうね」




 後日、二人は事の顛末てんまつを、バーニィ本人から聞き出すことに成功した。

 揺れと浮遊感に耐えてずいぶん頑張ったようだが、工房の屋根が見えたところでつい気が緩んだらしく、盛大にしまったらしい。オスカーが受けたも甚大だったらしく、しばらくはバーニィの顔を見るだけでご機嫌斜めどころか怒髪天をつく状態だったという。最終的には、オスカー用の装備の無償製作で、どうにか手を打ってもらったとのこと。

 酒をちびちびと飲みながらバツが悪そうに語るバーニィの顔は実に情けないものだった。それがラルフとヴィヴィ共通の感想である。

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