1.5 いらっしゃい

 大いなる志を胸に旅立った少女が、卓抜した才を認められ、導師として最高の称号を手に帰ってきた――。キャロル帰郷の報は、ほぼ一日で街中に伝わった。

 教会内部で何らかのやり取りもあったのだろうが、そんな台所事情は外聞の人間にすれば些末さまつなこと、キャロルが立派な導師様として戻ってきたという事実は揺らがない。若者たちは才女に憧れの眼差しを向け、年寄り連中は故郷のほまれとたたえた。おまけに見目みめうるわしい淑女とくれば、本人が望むか否かに関係なく、話題の中心に祭り上げられるのは必然である。

 そんなものだから、聖堂で実施された新人導師のお披露目は大いに盛り上がった。民衆はどこに隠していたか理解に困るくらいの熱量でときの声を上げ、微笑んで手を振るキャロルの姿に熱狂した。摩訶不思議な技を披露した東方の雑技団サーカスも、星空に朗々とその美声を響かせた国一番の歌姫も、彼らをここまで揺り動かすことはできなかった。その人気の広がり方は、どこか流行病はやりやまいのそれに似ていた。

 最初こそ予想以上の歓迎ぶりに戸惑っていたキャロルだったが、今はきっちりと気持ちを切り替え、浮足立った様子もなく、導師として日々の仕事と訓練に邁進まいしんしている。新人ながら色々仕事を課せられているようで、相棒オスカーの機動力を頼みにあちこちを巡回して教えを授け、他の導師とともに魔法の鍛錬をし、時には竜騎士の訓練相手になったりと、相当の多忙ぶりだ。事実、あの再会の朝以降、バーニィが彼女と面と向かって話をした機会はただ一度きり。キャロルと司祭長が揃って挨拶に訪れ、杖の発注について相談を受けた時だけである。

 一方、バーニィ自身も日々の仕事に追われている。

 彼と父、あるいは祖父との決定的な違いは、本職の杖作りにとらわれず、必要と思えばどんな作業でもやることだろう。手が空いていればつちを握って先輩と一緒に熱い鉄を打ち、時にやすりと砥石を駆使して剣を磨き上げ、挙句の果てには天眼鏡を覗き込んで細かい彫金までこなす。杖のこと以外はさすがに専門の職人にかなわないけれど、何でもそれなりにできるというのが彼の強みである。

 そんなバーニィの楽しみが、安息日の前の酒場通いだ。一週間の仕事の終わりに馴染みの酒場に行き、仲間と杯を傾けては、ときに真剣に議論し、ときにバカ話で盛り上がって楽しむのである。

 彼に限らず、憩いの場として酒場を選ぶ者は多い。朝晩問わずに飲んだくれている不届き者もいれば、日を決めて通う者、辛いことと憂き世を忘れたいと杯を仰ぐ者もいる。理由も動機も習慣も様々だが、酒場が人々の交流の中心に位置し、機能していることだけは紛れもない事実だ。


「おう、来たね、若旦那!」


 バーニィが静かに行きつけの酒場のドアを開けると、奥のカウンターで一人の男が手を振っている。

 手元のグラスが小さく見えるほどの巨躯に似合わぬ子供っぽい仕草は、紛れもなく酒のせい。見かけと行動の落差ギャップに苦笑しながら、バーニィは軽く手を上げて返答する。


「もうでき上がってんのかよ、ラルフ。今日はずいぶん早いんだな?」

「午後の訓練が早く終わってね。定時上がり万歳!」


 何がおかしいのか大口を開けて笑いながら、大男――ラルフはバーニィの背中をバシバシと叩く。

 後ろで縛った蓬髪ほうはつに顎にたくわえたヒゲと、粗暴を絵に書いたような見かけをしているが、気は優しくて力持ちを地でゆく男だ。生まれ持った体格におごることなく、竜騎士隊の隊員として飛竜あいぼうともども日々鍛錬を重ねているだけあって、その膂力は常人を遥かに上回る。そんなものだから、本人がいくら手心を加えていたとしても、叩かれる方からすれば焼け石に水もいいところ、普通に痛い。


「ラルフ、うるさい」

「ごめん、ヴィヴィ!」

「私の話、聞いてる……?」


 カウンターの向こうでラルフの声量に顔をしかめるのは、この店の看板娘兼バーテンのヴィヴィだ。スラリとした長い足で黒のタイトなパンツを履きこなし、シャツの上から黒のベストを身につけたその姿は、黒の短髪ショートヘアと相まってさながら男装の麗人だ。


「いらっしゃい、バーニィ。いつものでいい?」

「よろしく」


 ヴィヴィは細い指で器用にマドラーを踊らせ、グラスに満たされた氷と蒸留酒スピリッツ撹拌ステアしてゆく。最後に檸檬レモンを一絞りすれば、完成。三者が渾然こんぜん一体いったいとなり、調和してゆく様はいつ見ても楽しいものだ。


檸檬レモンはサービス。今年は旬が早いんだって」

「ありがとう」


 南国からはるばるやってきた行商人のもたらした、わずかに青さが残る早摘みの檸檬レモンの香りが鼻をくすぐる。気持ちよく酔えそうなヴィヴィの心遣いがありがたい。


「いいなぁ。僕にもサービスしてくれよぉ、ヴィヴィ」

「あんたが好きな蒸留酒スピリッツは癖があるものばっかりでしょ? そういうのと合わせると、柑橘の香りも味も負けちゃう。バーニィみたいにスッキリした味の酒を頼むなら、考えなくもない」

「それじゃ飲んだ気しないんだよねぇ」


 客の頼みをクールにすげなく断るヴィヴィに、情けない顔をするラルフ。二人を横目にみながら、バーニィはそっと杯を傾ける。学舎に通っていた頃から付き合いの続く大切な友人たちと時間を共有するというのは、彼にとって何物にも代えがたい楽しみなのだ。

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