1.4 あいつに釣り合うところにいない

「キャロル、この後はどうするんだ?」

「大聖堂に行って、入寮の手続きを済ませることになってるの」

「あれ、導師って寮生活だっけ?」

「新人のうちはね」

「そんなら、先に教会そっちに出向いたほうが良かっただろ……」


 だってしょうがないじゃない、とキャロルの申し開きが始まる。


「できるだけ早く帰ろうと思って夜通し飛んでたら、うっかり夜明け前に着いちゃって」

「……工房に来た理由にゃなってねぇよな?」

「朝早くだったから、知ってる人が誰かいるかな、って。教会の人も、さすがにあんな早くには起きてないもの」

「そうは言うけど、安息日だぜ? 工房にだって休みはある」


 朝の早い顔見知りがいるかもしれない、という一縷いちるの望みにかけて工房に立ち寄ったキャロル。果たせるかな、バーニィが予定外の仕事に励んでいたのを見かけて、これ幸いと声をかけたということらしい。だからといって急降下からの急制動を披露せんでもいいだろうと思う彼だが、それはもう棚上げしておく。


「あらぁ、引き止めちゃってすまないねぇ」

「大丈夫ですよ、おばさま。まだ早い時間ですから、十分余裕があります」


 そろそろ行きますね、と立ち上がったキャロルが、ほのかに安堵あんどの表情を見せたのはバーニィの気のせいではあるまい。


「表まで送る。ついでに、オスカーもちょっと見せてくれ」

「いいけど、どうして?」

「これから先、あいつ用の装備を作るかもしれねぇだろ? 事前に準備しときたい」

「そっか、そうだよね」


 興味本位を職人らしく言い換えた方便ほうべんに頷いたキャロルは、アガサの方に向き直り、ぺこりとお辞儀をしてみせる。


「それではおばさま、ごきげんよう」

「またおいで」


 玄関の扉を閉じた二人は、顔を見合わせてため息を付くと、どちらからともなくクスクスと忍び笑いを漏らすのだった。


「悪ぃな。相変わらず話が長いんだ」

「いいの。おばさまがお元気そうで安心したわ。やっと帰ってこれた、って実感できたし」

「修行は、やっぱりきつかったのか?」


 それはもう、とキャロルは力なく笑う。厳しい訓練もあったのだろう、あまり思い出したくない思い出もちらほらある様子だ。


「総じてみれば楽しかったけど、時々故郷が恋しくなることもあった、かな。どこかの誰かさんが、なかなか手紙返してくれないから、余計にね」


 ニヤリ、と意地悪く笑い、こちらを覗き込むキャロルを前に、バーニィは言葉を詰まらせる。

 キャロルから定期的に送られてきた手紙は、自室の机、引き出しの中にきちんとしまってある。バーニィも当然返事を書くのだが、仕事の手紙ビジネスレターや設計図ばかりを相手にしているせいか、それほどスラスラ筆が動く体質でもない。自然、返事はだんだん遅れがちになる。書いては直しを繰り返しているうちに、キャロルから次の手紙が来たというのも何度かあったかしれない。そんながあっては、とうてい反論なんてできやしないのだ。


「配属先の希望も、なかなか通らなかったしね」

「そうなのか?」

故郷ここを希望してるってずっと言い続けてたんだけど、なんか難航したみたい」


 そういって笑うキャロルは、当代きっての若さで特級の称号をもつ導師。そんな優秀な人材なら、どこの教区も欲しがるのは火を見るよりも明らかだ。彼女を取り合って教会内部で悶着もんちゃくがあったことくらいは、彼にもなんとなく想像がつく。


「でも安心したよ。バーニィもアガサおばさまも、変わってない」

「五年やそこらで心の根っこが変わるもんか。三つ子の魂なんとやら、ともいうじゃねぇか」

「そう、だよね」


 返事になんとなく滞りを覚えた、ほんの一瞬。

 バーニィは、キャロルの表情にわずかなかげ――他人を拒絶する高い壁のようなものを見た気がした。気のせいといわれてしまえばそれで終わってしまう程度、瞬き同然の短さだったが、妙に心に引っかかる。それを問い詰めようと思ったときにはもう、彼女はいつもの笑顔を取り戻している。真意に触れる機会は、これで失われてしまった。


「バーニィ、どうしたの? 急にぼんやりしちゃって」


 そんなものだから、小首をかしげて可愛らしく尋ねられても、もはや当たり障りのない言葉しか返せない。


「やっぱり、これからは忙しくなるんだよな?」

「うん。教会の仕事の合間に魔法の訓練もしなきゃならないし、騎士団にも出向くって話も聞いてる」

「導師って大変だな」

「しょうがないよ。毎日の地道な特訓が、魔法を支えるのです」


 でもその前に、とキャロルが一歩、バーニィとの距離を詰める。  長いまつ毛、まっすぐに見つめてくる綺麗な碧眼に、彼の胸は思わず高なる。


「杖を作ったり、調整したり、しなきゃいけないよね。その時はよろしくね」

「……ご贔屓にどうも。導師にとって、杖は大事な相棒だからな。ボンネビル工房ウチが落札したら、ちゃんと面倒見させてもらうぜ」


 幼馴染に真正面から見つめられてしまうのは、どうにも気恥ずかしい。バーニィが苦し紛れに視線を外す仕草すらも、キャロルは楽しんでいるようにみえる。


「じゃ、私はもう行くね。おじさまとお祖父様じいさまにもよろしく!」


 甘美な時間を惜しむように一歩引いてお辞儀をしたキャロルは、口笛を吹いてオスカーに合図すると、羽のように軽いステップで跳んだ。

 真っ白な導師服ローブの裾をひらりとひるがえした彼女が、オスカーの背に収まり、髪やらフードやらを弄っている数秒間。の視線が静かに交錯し、青白い火花を散らす。


 ――僕の淑女レディに手を出したらどうなるか、わかってるだろ?


 の刺すような視線を突っぱねたバーニィは、やや仏頂面のまま、しばらくのあいだ飛び去るを見送っていた。やがて二人の姿が見えなくなり、一人になった頃合いで、腰に手を当ててため息をつく。

 彼の胸に去来するのは、幼い頃の思い出。

 満天の星が天に満ちる収穫祭の夜、大人たちの酒宴の喧騒を離れた二人は、工房の屋根に寝転んで夜空を見上げながら、互いが胸に秘めた夢を明かしたのだ。


 少年は、いつか祖父や父親のような職人になりたい、と思っていた。

 少女は、立派な導師様になってみんなの役に立つ、と決意を固めていた。


 当時の少年の考えは、まだ薄ぼんやりとしたものだった。

 職人になって具体的にどうしたい、という希望や目標があったわけでもない。祖父や父がそうであったように家業を継ぐ、くらいにしか思っていなかった。

 だが、少女の覚悟を聞いて、その小さな心に明確な目的が生まれる。


 ――いつか、キャロルのために杖を作る。


 そう決心した彼は、次の日には行動を起こしていた。工房は遊び場から仕事場に変わり、ポールを親方、祖父アートを師匠と呼ぶ、職人見習いとしての修行が始まったのだ。

 下働きの合間を縫って、二人から技を教わり、盗み、研究する日々が続く。

 手際の悪さや失敗をどやされ、ぶん殴られたことは一度や二度ではない。ひどいときは数時間に一回の頻度ペースでやめようと思った時期もあったほどだが、キャロルの存在が胸にあったから耐えられた。そうして厳しい修行の日々を乗り越えて、今があるのだ。

 想い人との約束を胸に秘め、地道に経験と実績を積み重ねたバーニィは、杖の使い手と細かく打ち合わせをし、設計から使用後の調整まで請け負う方法スタイルを確立しつつある。今では若手の導師を中心に徐々に信頼を高め、ボンネビル工房の跡取りとしても周囲に認められつつある真っ只中だ。

 だが、名の通った導師におろす杖は、まだ作ったことがない。

 ボンネビル工房にその手の依頼が来ないというわけではない。父は国一番と称される杖職人であり、各地に点在する高名な導師から杖の注文を受けている。弟子のバーニィもその手伝いをするのだが、設計や素材の選定といった、杖の特性の根幹を決める作業までは関わっていない。彼自身、特級資格を持つ凄腕の導師のための杖を作りたいと常々思ってはいるし、現に父に何度も掛け合っているのが、未だ取り合ってもらえないのが現状だ。


 それに比べて、キャロルはどうか。


 はたから見れば、彼女の歩みは順調そのもの。修行を無事に終え、並の導師なら縁もないであろう称号・特級を飛び級で手にし、教会の期待を一身に受けて、自身が目指す立派な導師への道を着々と進みつつある。


 ――俺はまだ、あいつに釣り合うところにいない。


 美しく成長した幼馴染、キャロルとの再会は喜ばしいものだった。昔と変わらぬ接し方でいてくれるのも嬉しい。だが、五年という期間で生まれた明確な差を意識させられたのも、また事実だ。

 同じ高嶺の花でも、全く手の届く余地のない相手なら、おそらくこんな気持ちにはならなかっただろう。親しい間柄であるからこそ、立場の差という心のおりがより強く意識されるのである。


 ――どうすりゃ親方おやじを説得できたもんかね?


 なかなか戻らぬ息子をいぶかしんだ母親が呼びに来るまでの間、バーニィはずっと考え込んでいた。答えを見いだせぬまま、ずっと。

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