1.3 決断が遅い
「すいません、おばさま。朝食までごちそうになってしまって……」
「いいんだよ、キャロルちゃん」
オスカーの力を存分に借り、あまりにも乱暴で効果的な雪かきを終えたバーニィが帰宅してからおよそ一時間。
ボンネビル家に挨拶だけして帰るつもりでいたキャロルは、あっさりとバーニィの母・アガサに捕まってしまった。さすがの彼女も中年女性の押しの強さには勝てず、あれよあれよという間に食卓を囲む運びとなり、とどめとばかりに食後の茶まで出してもらったのが申し訳なくなったらしく、少し小さくなっている。
「ウチのオフクロがすまねぇな……」
キャロルに断る隙さえ与えない母を見たバーニィの口から、ため息が多分に含まれた詫びの文句がこぼれ出る。
ボンネビル家は工房を営んでおり、そこに出入りする職人の大半は男性である。そんな家庭事情もあって、キャロルはバーニィに会いに来る度、アガサもしくは職人の誰かしらにもてなしを受けてきた。もちろん、彼女の都合なんてそっちのけ。娘か孫娘が相手でもこんな扱いはされまい。 アガサの振る舞いも、きっとその延長線上のものである。今のキャロルにとってはいささか
「旦那とかじいちゃんもいればよかったんだけどねぇ」
「お二人はお元気なんですか?」
「旦那は一昨日から仕入れに出てるよ。じいちゃんは二年前に引退したけど、王都から指導してくれって直々に呼ばれてね。最後のご奉公って張り切ってるよ」
ボンネビル家の男たちは、代々揃って職人の道を歩んでいる。
バーニィの祖父・アートも、父・ポールも、
「こんな美人になったキャロルちゃんを見たら、二人ともきっとびっくりするだろうよ。最初はどこのお姫様が来たのかと思っちまった」
「おばさま、さすがにちょっと恥ずかしいです……」
ここまで
正直なところ、バーニィも母親と同意見ではある。子供の頃から可愛らしい顔立ちではあったが、今の彼女には立ち振舞いも含めて美しさが足し合わされている。訓練の過程で視線を引き寄せる類の魔法でも獲得したのかしらと錯覚してしまうほどだ。詩人であればその容姿を表現し、褒め称える言葉の一つや二つくらい持ち合わせているのだろうが、あいにくバーニィは職人。仮にそんな言葉を思いついたとしても、照れ臭さを捨てきれず、声が盛大に裏返ってしまうのが目に見えている。
「街を出て、もう五年ですもの。それだけあれば、私だって多少は変わりますよ」
「そうか、もうそんなになるんだねぇ。魔法の修行はうまくいったのかい?」
「おかげさまで。特級資格をいただきました」
「あんだってぇ!?」
満面の笑みを浮かべたキャロルの対面で、バーニィは驚きのあまり椅子から転がり落ちそうになり、アガサは紅茶のおかわりを注ごうとしてポットを持ち上げたまましばし固まってしまう。
導師の階級は、下から一般、上級、特級と区分される。優秀とされる者でも上級資格に辿り着くのが精一杯。特級は類を見ないほど優秀で、かつ何らかの功績を成し遂げたものにしか手にし得ない資格というのが世間の認識だ。
だが、導師を束ね管理する立場にある教会は、そんな通例を無視して
「あんたが優秀な娘だってことは知ってたけど、まさかいきなり特級とはねぇ……」
「正直、まだ戸惑ってるんです。でも、称号にふさわしい導師でいられるようにこれからも頑張るって、ここに帰ってくる前に決めました」
静かに、でもしっかりといい切ったキャロルに、アガサは小さく拍手する。
「その意気だよ、キャロルちゃん。駆け出しの立場で特級資格をもらったんなら、あんたはもうこの国で五本の指どころか、一番腕の立つ導師様と認められたってことさ。胸を張んな。
導師になったってなら、杖を作んなきゃいけないねぇ。どこに頼むかは決まったのかい?」
「正式な話は、教会から許可が下りてからになりますけど……私自身は、
「ありがたいねぇ。そうなったら、
「よろしくおねがいします」
キャロルという顔なじみを相手にしてなお、アガサは工房の女将として、
「おまけに
「そうそう。庭に降りてきたのを見たときは、さすがにおばさんも驚いたわ……」
「子供の頃から父に手ほどきを受けてましたし、オスカーとも長い付き合いですから」
その華やかさから、
その中でも最も高名な
そんな男を父に持つキャロルなら、
「お父様、若い頃からすごい人気だったからね。竜に乗らせれば右に出る者はいないし、槍を扱わせりゃ騎士団の誰も敵わない。おまけに振る舞いは紳士そのものでしょ? 街を歩けば女の子が騒ぐもんだから、どこにいるかすぐにわかっちゃうってねぇ」
「さすがにそれは大げさなのでは……?」
小首をかしげたキャロルの笑顔はバーニィが見てもわかるほど引きつっている。だが、アガサは至って大真面目だ。勢いに乗ったまま、いかに卿が街の人気者だったかを熱弁しだす始末である。
――どうしたらいいかしら?
キャロルが時折目線で助けを求めてくるが、バーニィは小さく首を振るばかり。おしゃべりに夢中の母親を止められたためしがないし、彼の
そんな邪な考えを見透かし、たしなめるような視線を感じた彼は、思わず窓の外に目を向けた。
厚い窓硝子の向こうはボンネビル家の庭、そこではキャロルの相棒・オスカーが大人しくしている――はずだ。
だがそれは、バーニィの勝手な想像でしかなかった。
実際は、金色の瞳がしっかりとこちらに睨みを利かせている。竜は確か精悍な顔立ちで、それに相応しい鋭い目つきの生き物ではある。その事実を差し引いたとしても、彼の眼差しからは
窓の向こうのオスカーはキャロルが困っているのを察しているのか、バーニィの方を見たまま、時折こくこくと頷いてみせる。早く行動せい、と催促しているのかもしれないが、彼もすぐには動けない。どんな物事にも
決断が遅い、とオスカーが不満げに鼻を鳴らしたのが聞こえたような気がした。
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