トライアングルはもう鳴らない

いちはじめ

トライアングルはもう鳴らない

 あの二人とテーブルを囲むのは、いつ以来のことだろう。朋美は、まだ夏の面影を残す九月の海を見ながら、記憶のページをめくっていた。

 その二人とは、幼稚園から高校まで同じ学校で、三人兄妹のようにずっと一緒だった幼馴染だ。もう高校を卒業して二十年近くたっている。

 大学はそれぞれ違うところに通った。

 優一は、高校の修学旅行で体験したスキーに、心を鷲づかみにされたらしく、死ぬほどスキーがしたい、という呆れた理由で北海道の大学に進学した。光一は興味のあったバイオテクロノジーを学ぶために東京の大学を選び、朋美自身は地元の女子短大に進み、保育士を目指したのだ。

 大学に進んでからは、遠く離れているせいもあり頻繁に会うこともなくなった。 

 社会に出てからはなおさらだ。


 来店者を告げる、入り口の扉のベルが朋美の追想を中断した。

 がたいの大きな男が勢いよく入ってきた。その後を少し小柄で、金属フレームの眼鏡を掛けた男が続いた。二人は朋美の姿を見つけると、他の客は目に入っていない、とでもいうかのような勢いで、窓際の彼女のいるテーブルまできた。

「よっ、久しぶり。美貌は衰えてないね、永遠のマドンナさん」と大きな男、雄一が言う。

「本当にそうだね、あのころと寸分の違いもない」と眼鏡の男、光一も続けた。

「何言ってるの、もうおばさんよ。調子がいいんだから二人とも。そういうところは相変わらずよね」

 二人は笑いながら、朋美の向かいの席に並んで座った。

 彼らは、ちょっと贅肉が付きかけている体型を除けば、記憶の中の二人とちっとも変わっていない。こうして三人が揃うと一気に高校生の頃に戻ってしまう。。

 そう、懐かしさとも違う、心に溢れ出てくる暖かいもの。その温もりに包まれながら、朋美は二人のやり取りをぼんやり眺めていた。

「おいちゃんと聞いているのか? 年食ってもぼんやりさんだな」

「ああ、ごめんなさい。何だっけ」

 二人は目配せをすると、光一が小さく頷き口を開いた。

「実は優ちゃんが結婚することになった。来年の六月に式を上げるんだそうだ」

 優一が一つ咳払いをして言葉を継いだ。

「相手の女性は取引先の社長令嬢で、以前から話があって、ずいぶん迷ったんだけど…… 先ず二人に知らせたくてな。正式に決まったら招待状を送るよ」

「結婚相手の写真は見たことないけど、美人らしいよ、本人の話では」と光一が茶化すようにフォローした。

 優ちゃんが結婚? 朋美は虚を突かれ一気に現実に引き戻された。

「おめでとう。いきなりなんで…… なんかびっくりしちゃった」

 朋美はそう言うのが精一杯だった。

「朋美が泣き出すかと思って、心配したけど、これですっきりした」

「何馬鹿なこと言ってんのよ、泣くわけないじゃない」

「冗談、冗談、これから親戚一同への報告。それじゃ光一、後をよろしくな」そう言うと優一は席を立ち、店を出ていった。

 朋美は目の前の席が空席になったという、何の変哲もない事実が、これほどまでに胸に突き刺さってくるとは思いもよらなかった。

「あと、俺からも伝えたいことがあるんだ」

「えっ、光くんも結婚するの?」

 朋美はもはや動揺を隠すことができなくなり、上ずった声を上げた。

「いやいや結婚じゃないよ。実は俺、来月からアメリカで暮らすことになった。これまでの研究成果が認められて、向こうの研究所に誘われたんだ。俺も随分迷ったんだけど、こんなチャンスは滅多にないからね」

 光一は言い終わると、グラスの水を一気に飲み干した。

「そうなの…… 光くんらしい。研究頑張ってるんだ」

 二人の間を波音がすり抜けていった。


「ちょっと外を散歩しようか」

 優一の不在に居た堪れなくなった二人は、店を出て海岸沿いの遊歩道をしばらく無言で歩いた。

 海からの風が二人を優しく撫でる。

「ねえ朋ちゃん、中学二年の夏の花火大会、その時のこと覚えてる?」

「どんなこと?」

「ほら優ちゃんが朋ちゃんに向かって、俺と光一とどっちかを選べと言ったら、どっちを取るんだって迫った時のこと」

 朋美は、その日の出来事を昨日のことのように思い出すことができた。

 浴衣姿の三人、屋台で買ったアイス、この遊歩道、仁王立ちになった優一、そしてあの言葉。

「覚えてる…… 私はこう答えたのよ。どちらも選べない、二人を足して二で割ることができたら選んであげる……」

「で、僕は朋ちゃんにこう言った。足して二で割ったら、もう一人同じ人間ができるから、やっぱり選べないよなと……」

 その時は三人で大笑いして終わったのだが、以後、三人がこの時のことを話題にしたことはなかった。

 いつしか夜の帳が降りて、あたりは暗くなっていた。

「家まで車で送るけど、どうする?」

 光一の申し出に、朋美は弟が迎えに来るからと断った。光一は一人駐車場へと歩き出したが、いったん立ち止まると朋美を振り返った。

「もし…… もし良かったら…… いや、なんでもない。三人は三人だ」

 光一はそう言うと駐車場へと消えていった。


 一人になった朋美の目から、大粒の涙があとからあとから溢れてきた。

 あの日、一人を選ばない代わりに二人を選んだつもりでいた。それが三人ためだと信じて。

 トライアングルのように響きあっていたはずの三人。だがそれは三人の関係を動かぬものにしてしまった。

 二人では成り立たない、でも三人ではそれ以上近づけない。そう、まるで三角形そのもののように……

 二人は今日、あの日に残してきた自分の気持ちを取りに来た。人生を先に進めるために。

 それなのに私は……

 しゃがみこんだ朋美は声を上げて泣き続けた。

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