【短編】

モース

川の中に

「ちょっとここ、寄って良い?」

君はそう言いながら、カラン。店内に小さな鐘の音が響く。


店内を回っていると店員に声をかけられた。

「どのようなものをお探しですか」

「明るい色で、そうだな。厚すぎないものって、ありますか」


「でしたら、こちらはいかがでしょう。無駄がなく、洗練されたデザイン。カラーは茜、縹(はなだ)、鶯の三色展開。牛革です。」


どれも美しい色であった。茜色は、禍々しいほどの鮮やかさであったし、縹色は海を思った。


「どう思う?」


「鶯色」

ポトリと口から落ちた。


「そうなの?意外だな」


鳥たちが夜明けを待つように、静かな時間だった。視線が動く音がした。


「じゃあ、これで」

「かしこまりました。では、こちらへどうぞ。ラッピングも承っておりますよ。ご希望のお色でご用意します。」



「外で待ってて」


鐘の音は雨水で錆び濁った音だった。



「君は他の色が好きなのかと思ってたよ。」


「縹色も素敵だったね」


「聞くまでそうだと思ってた。」

先程の店の紙袋を手渡される。覗き込むと赤い包み紙が街灯に照らされ艷やかに光る。




「手帳、なくしたんでしょ。」

「いや、本当は、色が気に入らなくて捨てたんだ」




「好きだからこそ、離れたくなるんだよ」

「大切にしてね」



鶯色の手帳は店で見たときよりも美しくみえた。


「迷ったんだけど、前とは違う色が良いかなって。」

知っている。さっき見たもの。

最も甘く、何よりも美しい。触れずにはいられない。何度も棘で刺されて尚、忘れられないものなのだ。恐怖で手を離そうとも思い出はそれを許さない。


湿る視線が欲望が身体を這い、逃げるように瞳の裏を彷徨った。


不思議そうな顔をして、彼女はくくくと笑った。

「前は茜色だったよね。私、好きなのに。」


 あんな色、嫌いだった。持てば近付ける気がしたんだ。それをやっと、諸とも捨ててしまえと投げ込んだ。


 君が赤に惹かれるようにね、君みたいで嫌なんだ。美しい毛並を想う度、手に入らないことを幾度も思い知らされる。







バシャン。




(川の中に揺れる手帳)

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【短編】 モース @shostaq

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