第27話 不言色の風、舞い降りる

「アキ!」

 部屋に飛び込むとハナが涙声で抱きついて来た。

 漸く辿り着いたその隣。漸く掴んだその手。漸く見つけたその姿。


「ケガはしてないか? 痛い所は? 何かされなかったか? 」

 腰砕けになった双子の姉を抱きしめつつ、アキは矢継ぎ早に尋ねる。


「大丈夫だよ。でも…… 」

 震える指先でハナが示した部屋の奥の肘掛け付きの椅子。そこにはひとりの人物が座っていた。停電の中、小さな非常灯で映し出されたその人物は、頬杖を突いた姿勢のまま、微動だりともしない。


「陽菜子! ごめんね。騒がしくして、怖くなかった? 」

 大声と共に飛び込んで来たのは、顔から血を流す菊川美愛。彼女はアキとハナの存在を無視するかのように部屋の奥に向かい語り掛けている。


「あなた。陽菜子を少し見ていて下さい」

 大きな声でそう告げる菊川。

 アキはハナを抱きしめたまま、自身が蹴破ったドアまで距離を目視で確認する。およそ五メートル。駆け抜けるには大した距離ではない。問題は入口前に立っている菊川美愛をどう躱すか。アキは思考を巡らせる。


「アキ、あのね‥‥‥ 」

「‥‥‥? 」

 恐怖からなのか、ハナは震えている。

「どうした? 」

 アキはそう応えつつも外からの燻るような臭いに気が付き、鼻を鳴らす。


「陽菜子、少し待っていてね。直ぐに静かになるからね」

 菊川は会話を続けていた。

 未だ停電は復旧せず、部屋は薄暗い。それでも分かるのは奥に鎮座する人影。そして勉強机やベッド、棚にはぬいぐるみなどが並んでいると言う事。


「アキ、私思い出したの‥‥‥ 」

「ハナ、話は後だ。ここから逃げ出すぞ」

 アキは小声でそう告げると、ハナの手を握りゆっくりと立ち上がる。外からの燻るような臭いはますます強くなり、それに加え煙までもが漂いはじめる。それは外での焚き火や野焼きの煙と考えるにはあまりにも濃い。火事。そう考えるの妥当だった。


「アキ、お願いだから聞いて! 私、この人を見た事があるの」

「見た事? 」

 暗がりに慣れて来た目で見つめたハナの瞳は怒りで震えていた。そして同時に捉えた部屋の奥に鎮座する人影の正体。アキは思わず小さな悲鳴を上げる。


「お父様、陽菜子の目を押さえておいてください。さすがに親が人を殺す姿を見せるのは、教育上にはよくありませんので‥‥‥ 」

 下げていた頭を戻した菊川美愛の手には改造式の釘打ち機が握られている。バチバチと木が燃える音はすぐ後ろまで迫って来ていた。


「火事だ! 」

「発電機から火が出てるぞ! 早く逃げろ」

 外から聞えてきた怒声。アキの背から汗が噴き出す。


「陽菜子、少し待っててね。直ぐにお友達を取り返してあげるから」

 歪んだ瞳で語られた言葉と向けられた銃口。アキは自分の膝が震えているのを感じていた。


「アンタはさっきから何に向かって話しているのか分かっているのか! 」


 アキの返答に対して、笑顔を見せながらゆっくりと歩み寄って来る菊川美愛。燃え上がりはじめた壁面が室内を照らし、部屋の奥を顕わにした。


 アキの視界に映る、かつて人であったでモノ。

 

 破れたスラックスから見える膝蓋骨ひざの骨の上に乗せられた右肘は鋭角を描き、漆黒に窪む目と鼻を持つ頭蓋を支えており、黄ばんだシャツから覗く左手は枯れ枝のように細く、色を失いながらも小さな別の頭蓋骨を愛おしそうに抱きしめていた。


 一体の大きな木乃伊ミイラ。そして、それが抱きしめている一体の小さな頭蓋骨。



「ここにはあんたの親父さんやダンナもいないし、陽菜子ちゃんなんて子もいない! 」

 アキは背筋に寒気を感じながらも、声の限り叫んだ。


「分かってますよ、お父様。英子ちゃんは傷を付けたりしません」 

 奥に向かい話しかける菊川美愛は、アキの言葉を無視するかのような独り言を続けていた。壁を燃やす火の勢いは増し始め、身体に熱を感じるようになった。


「分かってますよ、あなた。この小生意気な子もあの男・森川茂同様うまく処理します」

 ハナを護りたいと言う思い、炎への恐怖、突きつけられた銃口。それらで混乱したアキの思考の中で菊川美愛が告げた寿々の祖父の名が刺さる。


「どういう意味だ! 」

「『今から死ぬ者がそれを知る必要がない』とウチの父が言ってるわ」

 炎を背にアキに銃口を向けた菊川美愛が一歩、また一歩と歩み寄って来る。『動け! 』と何度も命じている思考と相反するように、目の前の炎と菊川美愛の狂気に対し怯え、硬く動かないアキの身体。



 ――― 殺される!

 絶望がアキを包もうとした時、目の前にひとつの影が差した。



「アキを殺させたりなんてしない! 」


 そう叫び、まるで通せんぼでもするかのようにアキと菊川の間に立つ人影。その迷いない立ち姿には震えなど微塵も見られない。そして強き意志を感じる瞳は揺らぐ事なく、銃口を見つめていた。


 アキを庇うように立ちはだかった人影――― それは姉・英子だった。


「英子ちゃん。そこをどきなさい! 」

「どかない! 私はアキのお姉ちゃん。お姉ちゃんは弟を護るの! 」

 その言葉がアキの記憶を呼び起こす。

 四年前のあの日、オリオンモール大火災で逃げ遅れた日の事を。レスキュー隊員になる事を誓ったあの日の事を。



 ――― 大丈夫だよ。アキ! お姉ちゃんがいるから! 一緒だから大丈夫だからね!

 恐怖に震えるアキをハナは抱きしめ、必ず父が助けに来てくれると何度も優しく語り掛けてくれた。

 救出が来るまでの間、目をきつく閉じ続けていたアキの背を「怖くないよ」とその小さな掌で撫で続けてくれた‥‥‥



「アキ、この人、オリオンモールの火事の時に寿々ちゃんのおジイさんの会社から出て来た悪い人! 」

「‥‥‥‼ 」

 アキの耳に届いたハナの叫び。


「見ていたのはハナちゃんの方だったのね‥‥‥ 」

「どう言う意味だ! 」

 ため息をついた菊川美愛の瞳に色が戻るのを見たアキは問いかける。


「さっき言ったでしょ『森川茂同様始末する』って‥‥‥ あの男、お父様の事を調べていたのよね。政治家や地域の有力者に便宜を図ってもらう為にウチの若い子を当てがっていた事とか、お金を寄付していた事とか‥‥‥ 色々手を回して表沙汰にならないようにしていたのに、あの男はそれを公にしようとした。だから、あの男をスタンガンで眠らせたうえ、事務所の裏側にあったゴミ置き場に吸いかけの煙草を何本か置いてあの男ごと事務所を燃やしてやったのよ。まさか、テナントの事務所だけでなく、オリオンモールがまるごと燃えるとは思ってもみなかったけど、まぁ、結果オーライよね。あの男は骨も残らなかったんだから」

 乾いた笑いと共にそう語る目の前の女は、自身が煙草の投げ捨てを装い放火をした事を告げていた。そして、その言葉からは罪の意識などまるで感じる事は出来ない。


「俺たちの父さんもあの火事で死んだんだぞっ! 」

「知ってるわよ、有名だもの。大勢の子供たちを救い、自分は爆発に巻き込まれ命を落とす…… ヒーローよねぇ」

「ふざけるなっ! 」

 アキは強い言葉をぶつける。


「ふざけてなんかいないわ。あの男とあの事務所を焼却処分するのは必要事項だったんだもの。記録と記憶を消したって所かしら。実際、上手くいったでしょ? あのプランで唯一の失策は、あの男が死んでるかどうかを確認しに戻った時にお揃いの服を着たよく似たふたりの子供のうちのひとりに私の姿を見られた事」

「まさか‥‥‥ 」

「そうよ。私があの男が燃えているのを確認しに現場に戻った時、あなたたちもあそこにいたの。でも、まさか震えて目も開けてないのが、男の子のあなただとは思わなかったわ」

 だが、ハナはその現場を見ていた。だから警察にも『きれいな女の人』と訴え続けていたのだ。だが、周りはそれを汲み取ることが出来なかった。


 繋がって来た幾つもの出来事。アキの脳裏にある仮説が浮かぶ。


「まさか、あんたがハナを攫った真の目的は‥‥‥ 」

「ご想像通り。目撃者だと思われるあなたをおびき寄せる為。だって、私が捕まったりでもしたら、『ととと』が存続できなくなるでしょ? お父様やウチの人、そして陽菜子が大好きなこの集まりが‥‥‥ 」

 燃え盛る炎など無視するかのように菊川美愛は喜々と語る。燻る煙が喉を付いたのか、ハナが乾いた咳をもらす。その姿を見下ろすように目の前の女は言葉を続けた。


「朗人くん、知ってる? 英子ちゃんって凄いのよ。多分、途中で私の目的に気が付いたんでしょうね。あなたを安心させ、ココに来させないために『良い事を考えなきゃ。良い事を考えなきゃ』って、独り言を何度も言いながら、ずっとニコニコしていたのよ」

 乾いた声で感嘆するように語られたその言葉。アキにも、そのハナの行動が何を意味するかは分かっていた。


 今と同じように護ろうとしてくれていた。不安にさせまいとしてくれていた。

 怖かっただろう、辛かっただろう。ハナは恐怖で押し潰されそうになる中、感覚共鳴によりそれが双子の弟である自分に伝わり、助けに駈けつけるのを避ける為、良い事を考え続け、恐怖にも耐え続け、不安が伝わらないようにと笑い続けていたのだ。


 ――― 頬を叩かれた。

 アキはそんな感覚に襲われた。


 「‥‥‥ 情けねぇ」

 その小さなアキの呟きに菊川美愛の右眉がピクリと動く。


「何が『強くなりたい』だよ。結局、俺は誰よりも強さの意味を知っているハナの庇護の下でイキっていただけじゃねぇか‥‥‥ 」

 アキの震えは完全に止まっていた。


「アンタも訳知り顔で、俺の姉さんの事を語ってんじゃねえよ」

 アキは自分の前に立つハナの肩を軽く叩くと隣に並んだ。

 炎への恐怖は変わらないが身体の震えは完全に止まっていた。冷静さを取り脅した目でよく見れば、先程のもみ合いのせいか、改造式釘打ち機の銃口は右へと大きく曲がっている。


「何を訳の分からない事を‥‥‥ あなたは死になさいっ! 」

 その言葉と共に弾かれた引き金。見当違いの方向に飛んだ鉄針が壁に突き刺さり鈍い音を立てた。アキが強く踏み込み、相手の両耳を叩こうとしたした瞬間、右手に焼けるような痛みが走る。


 ――― 切られた。

 それは直ぐに理解した。すぐさま距離を取り、ハナの前に立つ。右上腕からは血が滴り始めていた。

「アキっ! 」

 傷口を押さえる為だろう、隣に来ようとしたハナをアキは左手で制した。


「腕くらい切り落とせるかと思ったのに、かすっただけかぁ。その怪我でも反応できるなんて、すこぐ反射神経がいいのねぇ」

 菊川の左手にはいつの間にか炎をの赤を反射する大きな刃物が握られている。


「梶君が手に入れたモノなのに、これはマトモみたいね。グルカナイフとか言うらしいんだけど、人を切るには最適な道具だそうよ。でも、あなたはかなりしつこいから、動けなくしてから切り刻むのがよさそうね。安心して、死ぬのはあなただけで、ウチの子の大切なお友達である英子ちゃんは殺したりしないから」

 そう言いながら菊川美愛はポケットの中から見覚えのあるスタンガンを取り出し、アキたちに近づいて来た。燃え盛る炎は勢いを増し、アキとハナのすぐ後で赤い舌を出しはじめている。


「何か期するものがあったみたいだけど、現実は決意程度でどうこうなるものでは無く、苦く辛いものなのよ。については、あなたなら良く分かっているんじゃない?」

 狂気か正気か菊川美愛はアキの首筋にグルカナイフを当てつつ、スタンガンをこめかみに擦り付けて来た。


「俺は自分の運命に自惚れるのは少し前に辞めたんだよ」

 アキの脳裏にお寺で出会った老婆の顔が過ぎる。


「何を訳の分からない事を‥‥‥ ホントに可愛げがないわね。私はあなたみたいな子、大嫌い! 」

「‥‥‥ 俺もアンタの事が大嫌いだよ」

 嘯くアキの首筋を血が一筋伝う。



「お…母…さん、お…父さ…ん、アキを助けて‥‥‥」

 ハナが涙声で小さく呟く。アキは唇を噛みしめた。

「誰か‥‥‥ 助けて‥‥‥ 」

 ハナの祈りも似た声。



「ガオ、お願いっ! アキを助けてぇぇ! 」

 ハナの叫び。


 次の瞬間、炎を切り裂く咆哮が部屋中に響き渡たる。


 紅蓮の炎すさぶ中、吹き込む一陣の疾風。

 広がるカメラのストロボのような閃光。響く菊川美愛の悲鳴。そして放物線を描き炎の中へと消え失せるグルカナイフ。狂気と意識を失い、糸の切れた操り人形のように倒れゆく菊川美愛。


 ――― そして、ふたりの前に舞い降りた一陣の風


 その風は、荒野に吹く旋風つむじにも似た色、その風は人の意志に通じ、されど不言語らず


 筋肉質で均整の取れたやや大きめの身体、弧を巻いた小さな尾、尖った三角形の耳に鋭さのある目。そして、赤茶だった体毛は血と埃にまみれ、炎と煙にあぶられ、灰銀に近い梔子くちなしの色、いや――― 不言色いわぬいろに染まっていた。


「ガオ‼ 」

 アキとハナが叫んだ愛犬の名。


 ふたりの前に不言色の風、舞い降りる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る