第26話 アキ、激闘!
広い。そして整然。それが「ととと」の建物に突入した直後のアキの印象だった。
板張りの廊下にはたくさんのダンボール箱。それが床や壁に引かれたラインの内側にズレなく天井の高さまで積み上げられている。
そしてすべての段ボール箱にはラベル。それには野菜の品種や賞味期限、出荷日時に配布する予定箇所、そして担当者の名前や目標とする販売数までがキッチリ記されていた。
ともすれば、汚らしくなりがちなダンボールをキッチリ区分けしていても尚、人が悠々と二、三人が横に並んで歩ける広さがあるのだから、廊下としてはかなり広い部類だろう。
壁や床、そして天井は造りは古いにもかかわらず、土足で踏み込んでしまった事を申し訳なく思うくらいに磨き上げられている。その効果なのか、廊下は『滑る』を通り越し、歩くごとに小鳥の様な鳴き声をあげる京都・大覚寺の鴬張りの廊下のようになっていた。
幸いにも廊下には人影は無く、アキはその音に神経を尖らせながら、段ボールの陰から蔭へと身を隠し、前へ前へと進んでいた。
――― この感じ、ハナは上だ‥‥‥
理屈でも、言葉でも説明できない感覚共鳴の知らせ。痛みの退かぬ首筋に手を当てつつ、更に前へと進んでいたアキの視界に「資料庫」と書かれた大きな扉が見えて来た。
――― 資料庫か‥‥‥
幾つかの考えを巡らせていたアキの耳に自分以外の誰かが廊下を歩く音が届く。徐々に近づいて来るその音がアキの心拍を速めた。
辺りを見回すが、あるのは段ボールと部屋の扉のみ。さすがに目の前を通られたら、相手に気が付かれるのは間違いない。アキは資料庫と書かれた部屋の扉を静かに開けて中を探る。感じ取れたのは僅かながらの光。更に近づく足音と人の気配。
――― 中に誰もいないでくれよ‥‥‥
アキは資料庫の中へと飛び込んだ。
僅かな灯りの中、照らし出される六畳程のその部屋には幾つものチールラック。そして、その下段にはここにいる人間の荷物なのか、それらが籠にキレイに収められている。
そして、中断より上は和暦で年号が刻まれたファイルが年代順位に並んでいた。
「アルバムか何かか? 」
アキは何気なく手を伸ばし、棚の中央から比較的年代の若いファイルをひとつ抜き取りページ中央を開いた。
そこには年間スケジュールと書かれたA4用紙。少し太めの罫線で区切られた枠の中には、播種予定日・粗越し予定日・追肥予定日などまるで意味の分からない言葉や、出荷予定日・収穫予定日・販売予定日・マニュアル見直し日などおおよその意味が想像できるものまで、それらが何種類もの色に区分けされて記載されている。
「年次記録みたいなもんか? 」
アキはそんな独り言を洩らしながら次々とページを捲ってゆく、年間予定に続いて、月次予定表、週間予定表、日時予定表、そして組織図。そのどれもがキッチリと色分けされて、キレイにファイリングされている。
それ以降のページは、どうやら日誌らしく日付から始まって、天気、参加者、野菜等の入荷数など、ごく僅かな文字か数字を記載すれば済むテンプレ通りのモノ。唯一スペースが広く、文章を記載することが出来る備考欄も設けられてはいたが、記載されていたのは、やはりテンプレの『特記ナシ』。
ファイルを持ったまま、ひとつ上の段に目を移すとそこには各種マニュアルらしきもの。異様なくらいキッチリしているそれがアキの印象だった。
「館山さん、会社とも団体とも言えない集まりだって言ってたけど、何が違うんだ? 」
独り言を漏らしづつ、アキはファイルの一ページ目に戻る。
そこには一枚の写真。
『 四月一日 菊川座主とみんなで 』 そうタイトルが記された台紙には大きめの写真がキレイに貼られていた。写真に写っていたのは、年齢も服装も異なる二十人ほどの男女。彼らがこの建物の裏庭らしき場所で、大きな桜の木をバックに並び笑顔を浮かべている。中央には高齢の男性と二十代と
アキの頭の中を薄い、されど決して風に吹かれぬ事のない霧のようなものが漂い始めた。そんな中、届いた人の小さな呻き声。
それは、この部屋の隣。
声の方向にそっと近寄ると、壁には小さな節穴が空いており、声はそこから漏れ出ているようだった。アキはその節穴に目を当て、中を覗き見る。
――― 見えたモノ。それは裸で重なり合い、恍惚の表情を浮かべる複数の男女。
ある者たちは舌を絡め合い。別の者たちはお互いの陰部を吸い合い、またある者は女性の乳房に顔を埋めていた。
アキは、はじめて見るその情景に言い知れぬ不安と興奮を覚え、その場にへたり込む。その振動で棚からひとつファイルが落ちた。
「誰かいるの? 」
ファイルの落ちた音に反応したのだろう、資料庫の扉が勢いよく開く。立っていたのは先程の写真で中央に写っていた髪の長い女性。
「あなた、
女性が訝しげに尋ねてきた。アキは焦るよりも早く、女性の持っている薄い紫色のリュックに釘付けとなった。
――― ハナのお気に入りのリュック
「そのリュックを何故アンタが持っているんだっ! 」
怒気を隠さず、そう尋ねるアキの顔を見て、リュックを持っていた髪の長い女性が顔の端だけで笑った ――― アキにはそう見えた。
何かを知っている。いや、今ハナが何処にどのような状態で居るかを知っている。それは明らかだった。
「リュックを棚に置きに来たんだけど、もう、ここまで来てたんだ‥‥‥ 」
女性が不敵に笑う。
「それは、どういう意味だっ! 」
「みんな! 不審者よっ! 」
アキの問いに対する答えは無く、代りに髪の長い女性はそう叫ぶと、アキの前から逃げ出すように駆け出した。
「待てっ! 」
もう隠れるのも無駄だろう。アキは女性を追った。
「みんな、その子を取り押さえてっ! その子は、私たちの居場所を壊しに来た災厄よっ! 」
部屋の扉が次々と開き、わらわらと人が出て来た。十代に見える者いれば、五十代に見える者もいる。中には洋服がはだけたままの男女まで。突然の来訪者に驚いているのか近寄る様子はなかったが、その姿は明らかに動揺をしているように思えた。
「あなた迷い人でないなら出ていきなさいっ! 警察を呼ぶわよっ!」
「呼びたければ呼べよ」
後ろから掛かった女性の声に振り向く事なく答えたアキは髪の長い女性が階段を上る姿を捉えた。案内表示なのだろう壁には「2階・生活棟 ※宿泊は自由ですが、勝手な行動は慎みましょう」の貼り紙。
走る速度をさらに早め、アキは階段の手すりを摑む。
「誰か早く取り押さえろっ!」
「絶対に捕まえてっ!」
「美愛様をお守りしろっ! 」
後ろから金切り声に加え、上からもバタバタと人が階段を駆け下りてくる音が聞こえて来た。
「誰か捕まえろ」
「みんなで囲めっ! 美愛様と座主様の元には行かせるなっ! 」
「相手は子供ひとりだ!」
そんな男たちの叫び声と共にアキは後ろから大勢に手や服を掴まれた。バランスを崩し、思わず片膝を付く。途端、背中や腰そして頭に降り注ぐ沢山の足。咄嗟に両腕で頭部をガードし、蹴りの直撃を防ぐが、それでも隙間から相手の足先が入り込み、頬や額に重い痛みを走らせる。
身体中は痛み、意識すら奪われそうだった。口の中は切れ、その血は止まる気配がない。それでもアキは片膝を着いた状態で耐え続けた。
もしかしたら、両膝を着いた姿勢の方がダメージは少なかったのかもしれない。だが、アキは敢えてその姿勢で耐え続ける事を選んだ。両膝を着けば相手の隙が見えづらくなる。反撃に出るのが半歩遅れる。何より心が折れてしまう。そう思えて仕方がなかったのだ。
「‥‥‥ よし。みんなでこれだけ袋叩きにすれば、もう反撃する気力も体力も無いだろう。あとは縛りあげて、とりあえずは倉庫にでも放り込んでおこう」
何発、いや、数十発は喰らった蹴りの雨が止むと、男の声がそう告げた。
「オレたちみんなの空間を荒らすから痛い目に合うんだ」
「足痛ェ。誰かこのガキ縛るロープ持って来てぇ! 」
「何者なんですかね、この子供。たったひとりで何しに来たんだか…… 馬鹿じゃないの? 」
暴力を振るった事に興奮しているのか、アキを蹴りまくった人物たちは息は切れ切れで言葉も粗雑。そして何よりアキを完全に叩き伏せたと思い込んでいる。
慢心と油断から生まれた隙。
それはアキが囲まれてた瞬間から狙っていたモノ。己の未熟さ、相手との数による戦力差を埋める為に浮かんだ唯一の戦術。
「うおおおおオォぉっ! 」
アキは叫び声をあげた。
その声に反応し、こちらに再度飛び掛かって来た男の鼻先に向かい、アキは右の拳を突き出す。
拳に確かな感触とグシャリとした音。そして肩まで突き抜けて行く振動。
カウンター気味に、しかも男が階段から勢いよく飛び降りた為だろう、男は踊り場で倒れ苦しそうに呻き声をあげ始めた。
続けてアキは直ぐ手前にいた背の低い中年男性の腕と襟首を掴み、背負うように投げ、未だ階段踊り場で呻く男の上に投げつけた。
返す刀で、動揺丸出しのヒョロリとした大学生風の男の水月に膝を入れる。
吐瀉物を出しながら倒れる大学生風の男。
アキを囲んでいた人物たちの動きが止まった。
「みんなで一斉に飛び掛かれば大丈夫よっ! 」
奥の方から声が飛ぶ。だが踊り場という狭い場所に既に三人もの人間が呻き声をあげて倒れていれば、大勢の人数で飛び掛かるのは容易な事ではない。
「捕まえてっ! 」
「相手はひとりだっ! 」
三度あがる群衆からの声。今度はアキに向かいひとりの女性が飛び掛かって来た。
アキはその線の細い女性の顔に向かい口の中に溜まっていた血を霧状にして吹き掛けた。悲鳴をあげその場に蹲る女性。
「女の子になんて事をするんだ」
「絶対に許さねえ! みんなでやっちまおう! 」
「みんなで、不審者に正義の制裁を加えるのよっ! 」
倒れている人物たちを無視するように四人ほどの男女が挑みかかって来た。
たくさんの手、重なり合う怒号、無数の悪意ある視線。それらがアキに降り注ぐ。
「‥‥‥ さっきから、”みんな・みんな”って、煩いんだよ。そう唱えれば強くなれる呪文か何かかよ」
アキはそう呟き小さく笑う。
「何が可笑しいんだ、てめぇ‼ 」
アキの表情を嘲笑と捉えたのだろう。一番手前にいた体格の良い男が怒声を上げ掴みかかって来た。
「あんたら、みんながだよ」
そう返すと同時にアキはその男の両耳を掌で挟むように叩いた。続いて、髪を掴み己の額を相手の鼻っ面目掛けて叩きつけ、最後にその男を背負い群がっていた人物たちに向かい投げ捨てた。
「喰らったら、まず立てない……か」
悲鳴を上げ蹲る男を一瞥しながら出たアキの独り言を打ち消すかのようにあがる罵声。
「次はお前か? 」
アキは斜め前に立つ茶髪の男に視線を向けそう言い放つと、階段を二段登る。
「えっ? 」
茶髪の男が自身を指差すなり、アキはその男の顎先に向かい右肘を叩きつけた。階段から崩れ落ちて尻もちを着いた男は鼻血でも出したのか、顔の中央を必死で押さえている。
「次‥‥‥ 」
切れる息、額から流れる血、汗と血が滲んだ服、ギラついた眼光。アキは更に階段を三つ登り、後退りする連中全てに強い視線をぶつけた。
「次、俺と
正直な所、左手は拳を握るだけで猛烈な痛みが走り、右腕は上げるのも億劫な程に腫れている。腰など気を抜いたその瞬間に崩れ落ちるだろう。左の額には大きな傷口でもあるのか、ヒリヒリと痛み、首筋まで伝う血の流れを作っている。
「次はアンタかっ! 」
視線があった坊主頭の男性が慌て視線を逃し、階段をひとつ登ったアキに道を空けた。
「それともアンタかっ? 」
アキは目の前で震えている女性を睨む。
「えっ? ‥‥‥わ、わたし? 」
「俺は姉さんを取り戻しに来た。邪魔をするなら誰であろうと容赦はしない」
女性はアキの冷酷なその言葉に顔色を無くしていた。
「下で転がっている連中みたいなりたく無ければ、その場を動くな」
アキは腰を抜かして、階段の最上部に座り込んだ女性の横を抜け、二階へと辿り着く。
あたりを見回すと二階の廊下には十人以上の人垣。そして、アキは上へと続く階段に目を向ける。壁には上を向いた赤い矢印と「三階・遊戯室 ※みんなの共有スペースです。」張り紙。
アキはその文言を読み、軽く鼻で笑って見せると三階への階段に足をかけ、上へと向かった。後ろからは誰ひとりとアキを追おうとする者はおろか、声を上げる者すらいなくなっていた。
***************
ボロボロの身体を引き摺るように辿り着いた三階は、他の階層よりかなり狭いのか、廊下の端から端までは十メートル程しかなく、扉も目視出来る範囲では僅か三つしか無かった。
身体中を痛めつけられた為か、首筋の感覚は上手く感じ取ることが出来ない。
「ハナっ! 」
アキは大声で姉の名を叫ぶ。
「‥‥‥ キっ! ちゃ‥‥‥っ!」
呼応するように聞こえたハナの途切れ途切れの声。それは一番奥の『遊戯室』と書かれた扉から聞えて来た。アキは走り出し、声の聞こえた扉に体当たりするように中へと飛び込んだ。
途端、アキの右肩に焼けるような痛みが走る。思わず呻き声を上げ、肩を押さえると、そこには釘のようなモノが刺さっていた。
そして、目の前には手に黒い塊を握りしめたひとりの女性。
「やっぱり
痛みに蹲るアキを余所に、女はため息を付きながら再びポケットに手を入れ、鉄針を取り戻すと釘打機の先端にそれを押し込んでいた。
「ハナを何処へやった! 」
そう問い立てたが、ハナは女性が隠すように立っている「陽菜子の部屋」と書かれたドアの後ろにいるのは分かっていた。
「英子ちゃんは今、ウチの父や夫、それに娘と遊んでるわ」
その言葉にアキは目の前の人物こそが一連の事件の主犯だと確信する。そして、その名前も見当はついていた。
「菊川美愛! アンタ、何故ハナを攫った! 」
「英子ちゃんはあなたたちの学校のSNSの噂通り、前向きで素直で純粋なすごく良い子ね。ウチの娘、陽菜子のお友達に相応しいわ」
自分の子供の友達になってもらう為に攫った、菊川美愛はそう語っていた。相手との距離を測るアキの耳に痛みによる幻聴か、遠くから人の悲鳴のような声が聞こえて来る。
「友達が欲しいなら、もっと他のやり方だってあったはずだ」
アキは肩を押さえつつ、菊川美愛との距離を測る。
「簡単に言ってくれるじゃない。あの子にとって友だち作りは大変な事な事なのに‥‥‥ それに、もうひとつの目的の為にはこのやり方が最適だったのよ」
「もうひとつの目的? 」
「英子ちゃんとあなた。離れていても、お互いのおおよその状態や居場所が分かるんですってね。あなたたちの学校のSNSで噂になってたわ」
言っている意味が分からなかった。
菊川美愛の言葉は続いた。
「それに、あなたは英子ちゃんに何かがあれば、直ぐに飛んで来るとも、書かれていたわ。少し疑ってもいたけど、ホントに来るんですものありがたいわ」
ハナとアキの感覚共鳴を知り、それを確かめていたかのような物言い。いや、アキが来る事を待っていたかのような言い草だ。
「もう一つの目的は俺をここに呼び寄せる為? 」
「そうよ。でもあなた、私の顔を覚えていないのね‥‥‥ まぁ、いいわ。想い出されたら出されたで、厄介だし」
アキの言葉に小さなため息をもらすと、菊川美亜は再び引き金を引いた。風を切る音共に、何かがアキの頬を掠めた。そして、後ろから聞こえて来た釘が木に突き刺さる音。
「ホント使えない! あの男、あれだけ好き勝手にうちの子たちを抱いたクセに、雑なものばかり寄こして‥‥‥ でも、まぁここまで近づけば大丈夫よね」
アキの僅か二メートル程前まで近づいた菊川美愛はそう笑うと、再び改造式の釘打ちをアキの額に向けて突き出した。
「さようなら、優しい弟くん」
背筋が凍るような冷たい言葉が告げられた時、裏庭から獣が唸るような叫びと共に、何か重量のある物体が倒れる音が聞こえた。
次の瞬間、部屋に訪れた漆黒。
停電。そして、生まれた相手の隙。
アキは躊躇なく、暗闇に向け右の拳を思いっきり突き出す。手首に伝わる重みと同時に左の脇腹に激痛が走る。
アキはそれは全てを無視して、前方にぼんやりと浮かび上がるドアを蹴り破り大声で叫んだ。
「待たせたな! ハナ」
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